
【コラム】そもそも「47都道府県」の成り立ちって...?過去から現在を紐解いてみた
まちトラです。今回は「47都道府県の歴史」を紐解いてみました。
約2分で読み切れますのでぜひお付き合いください!
はじめに
日本の行政区画といえば「都道府県」が思い浮かびますよね。明治時代に誕生してから一世紀以上、われわれは当たり前のように「47都道府県」という枠組みのもとで生活してきました。しかし、そもそもなぜこうした形になったのでしょうか。今回のコラムでは、都道府県の成り立ちを歴史的経緯とともに分かりやすく解説します。
江戸時代までの藩制度
江戸時代(1603~1868年)は、大名がそれぞれの藩を治める「藩制度」が基本でした。全国には大小さまざまな藩があり、それぞれ独自の財政や軍事組織を運用していました。いわば「幕府を頂点とする封建的な地方分権」の形だったわけです。
大名が支配する藩
武士階級(士族)を中心に軍備や治安維持が行われ、農民や商人から年貢を徴収して財政をまかなっていました。多様な文化の発展
各藩が独自の文化や政策を持っていたため、地域ごとに特色ある伝統や祭りが育まれたのも、この時代ならではの現象です。
しかし幕末になると、西欧列強の圧力や国内の政治混乱によって、幕府と各藩とのあいだに軋轢が生まれ、時代は大きく動き始めます。
明治維新と廃藩置県
1868年の明治維新で江戸幕府が倒れ、新政府は近代国家を目指して大改革を断行します。その一環として行われたのが、1871年(明治4年)の「廃藩置県(はいはんちけん)」でした。これは、全国に点在する藩をいっせいに廃止し、「府」や「県」という新しい行政区分を作った歴史的出来事です。
狙い
中央集権を進めることで、軍事・財政・政治の権限を明治政府に集約し、海外に対抗できる強固な国づくりを目指したのです。実施当初の混乱
藩主(大名)は全員東京に住むことを命じられ、各地には中央から県令(知事)が派遣されました。最初は300を超える県が乱立し、行財政上の混乱も起こりましたが、数年かけて統廃合が進められていきます。
47都道府県の確立
最終的に統廃合の結果、1888年(明治21年)頃には今とほぼ同じ区分が形づくられ、細かな変更を経て、戦時中の1943年に「東京府」が「東京都」になったことで、現在の「1都1道2府43県」という枠組みがほぼ完成しました。
1都(東京都)
東京府が改称された形ですが、戦時下という特殊な状況下での制度改革でした。1道(北海道)
開拓使や函館県を経て、開拓事業を効率化するために特別な扱いを受け、現在の北海道庁へとつながります。2府(大阪府・京都府)
幕末から明治初期にかけて政治・経済・文化の重要拠点だったため、府の名称を残しています。43県
それ以外の地域を県として整理し、全体の数が47になっています。
こうして、今日まで続く都道府県体制がほぼ固まったのです。
都道府県制度が与えた影響
行政・政治の中央集権化
廃藩置県によって地方の独立性は大きく制限され、国が直接地方をコントロールする中央集権の道筋が敷かれました。これにより軍事・警察・徴税などの仕組みが全国統一される一方、元武士階級の反発など社会的不安も生じました。
文化・アイデンティティの再編
大名のもとで育まれていた地域文化はそのまま残った部分も多いのですが、行政区画の統廃合によって住民の意識も少しずつ変化。旧藩の名残を誇りに思う地域がある一方、新しい県名に愛着を持つ住民も増えていきました。
経済発展の基盤づくり
県ごとに政府が派遣した県令(知事)が近代化政策を推進したため、鉄道や郵便などのインフラ整備が進み、日本の産業革命を後押しする下地が整いました。もしも藩制度が続いていたら、近代化はさらに遅れていたかもしれません。
現在とこれから
こうした経緯で誕生した都道府県制度は、すでに長い歴史を持ち、私たちの生活に深く根付いています。しかし、人口減少・高齢化が進む今、果たして都道府県という枠組みはこれからも最適な形なのか、疑問の声も出始めています。
広域連携の必要性
医療・介護、防災、交通など、県境を超えた協力が不可欠な領域は増えています。デジタル化の可能性
オンライン手続きの普及により、地理的な区分が持つ意味合いが相対的に薄れる、という見方もあります。地域文化・アイデンティティの再評価
一方で、都道府県単位の「ご当地愛」は依然として根強く、観光やグルメなどを介して地域同士の競争や交流が盛んです。
とはいえ、日本の都道府県は、明治から令和までの百数十年間にわたり、私たちが国と地域をつなぐ役割を担ってきました。その歴史や伝統、住民の愛着を尊重しつつ、よりよい形にアップデートしていくことが、これからの大きなテーマといえるでしょう。
おわりに
「都道府県」は、明治維新の廃藩置県から始まり、その後の統廃合を経て成立した、近代日本の行政区分です。もともと多様な藩が存在していた国を、中央集権体制のもとでひとつにまとめるための大改革だったことが、大きなポイントといえます。
今後、人口減少やテクノロジーの進化にあわせて新たな課題が浮上してくるかもしれませんが、都道府県の成り立ちを学ぶことで、「自分の地域がどのように形づくられてきたのか」や「これからどんな未来を描けるのか」を考えるヒントになるのではないでしょうか。
まちトラ