25歳成人女性が『インサイド・ヘッド2』で号泣した理由
少し前から、カウンセリングに通っている。
カウンセリングの話は今回の本題ではないのでまたどこかで書こうと思うが、カウンセラーさんから出された宿題が「インサイド・ヘッドを見る」だったので行ってきた。
あらすじ
「ヨロコビ」「カナシミ」「ムカムカ」「イカリ」「ビビリ」という感情のキャラクターたちは、アイスホッケーが大好きなアメリカの少女・ライリーの頭の中で彼女の感情を司っている。
13歳になったライリーはアイスホッケーの実力を評価され強豪校の強化合宿に招待されるが、そのころ彼女に思春期が訪れ、大人の感情「シンパイ」「イイナー」「ハズカシ」「ダリィ」という4つのキャラクターが頭の中に登場する。
ライリーは、親友とのすれ違い、憧れの先輩やチーム、実力主義の厳しい世界、そんな不慣れな環境にて新たな感情に戸惑いながらストーリーは進行していく。
私はカウンセリングを受ける中で、私の中にある様々な感情がどう組み合わさっているか、感情のコントロールが効かなくなった時にどうしたらいいのかが分からなくなることが多い。これから受ける支援や治療の解像度を高めるために、各感情が分かりやすいキャラクターとして描かれた本作をおすすめされたのだった。
自己否定感が作る強さ
ライリーは強化合宿の中で自分の実力をコーチにアピールし、憧れのホッケーチームへのメンバー入りを目標にハードな練習に取り組む。
しかし、練習面のみならず慣れない人間関係でも上手くいかないことが多く、その度に脳内のキャラクター「シンパイ」は先を見越して挽回するために彼女の脳を操作していく。
「シンパイ」という感情は、ライリーが成功してより良い未来を描くにはどうしたらいいか想定して行動させるし、そして万が一上手くいかなかった時に悲観しすぎないように予防線の心構えとしてより不吉な未来を想像させたりもする。
そのようなことを繰り返した結果、彼女の中に生まれた軸は「私はダメだ、もっと頑張らなければいけない」という気持ちだった。
その姿は、学生時代の私と全く同じであった。
吹奏楽の強豪校で、周りにはとてつもなく上手い人がたくさんいて、数々のオーディションに落ち、コンクールのメンバーにも入れないことばかりだった。上手くなりたくて、強くなりたくて、周りに認められたくて、朝から晩までものすごく練習した。
その結果、時間はかかったけど楽器演奏は人並みには上手くなった、多分。諦めずに個人練習を積み重ねた時間は自分の財産だと思うし、ソロでも何でもどんとこいという精神力はついた。でもそれが本当の強さなのかは自分でも未だによく分からない。
高校時代、毎日部活のノートをつけていた。どんな練習メニューを何時間こなしたか、今日のコンディションはどうだったか、そして「まだ努力が足りない。明日は今日よりもっと頑張らなければだめだ。」と、おびただしい数の自己否定の言葉がびっちり書いてあった。
大学時代、大事なオーディションに落ちた。周りに認めてもらえない演奏しかできない自分は無価値だと感じ自分を追い詰め、うつ病になった。
スクリーンにいるライリーも、当時の私も、周りからの評価からでしか「自分らしさ」を形成できず、それはものすごく不安定で脆いものだったんだなぁと観ながら感じた。
「シンパイ」の存在と暴走
本作の重要なキャラクターとして登場する「シンパイ」。
先述の通り、ライリーのこれからを想って良い心配も悪い心配も作り上げていく。しかし、その気持ちが加速しすぎてライリーが混乱してしまうシーンがある。
「シンパイ」自身も最初は全力を尽くそうと分かって暴走しているのだが、段々その暴走の渦が強くなってしまい、どうして今こんな渦があるのか、どうやったらこの渦から抜け出せるのかが分からなくなってしまうのである。いわゆる泣きだした子供が泣き止み時を見失って泣き続けてしまう時のような状況だ。
そして私にも大いなる心当たりがある。これまで数えきれないほどパニックの発作を起こしてきた過呼吸だ。
今は興奮を鎮める抗不安薬を日々持ち歩いているのでそこまで酷くなることはないが、今までぼんやりと概念で捉えていた体験が具現化された描写を観て、「私が過呼吸を起こすときってこういう感じだよな」「きっと私の中でもシンパイが暴走しまくっているんだろうな」と、なんだかものすごくスッキリと腑に落ちた。
経験と感情と自分らしさ
作中の脳内の世界では、日々の思い出がボウリング玉のようなボールで表現され、ボールの光る色あいでその時に感じた感情が表される。毎日大量に処理されるボールの中から重要なものは泉に流し、その泉から生えた茎がやがて「自分らしさの花」を咲かせる。この花こそがその人間の生きる軸、いわば自己肯定感となっていく。
ここで重要になるのが「経験」と「感情」はとても似ているがあくまで別物だということだ。作中ではシンパイが心配の感情のボールをたくさん泉に流して新しい「自分らしさの花」を作り出すが、感情をベースに作った花は残念ながらうまく成り立たなくなってしまう。
「感情」は「自分らしさ」を決定しないのである。良い感情も悪い感情も、全て私の役に立つために存在しているだけであり、自分らしさを構成するのはこれまでの人生の歩みのなかで積んできた様々な経験や、大事な思い出達なのである。
私は日頃、様々な感情に振り回されてガーッとのめり込んでしまいがちだ。でも、私の中に存在する感情はあくまで私の内面にいるだけに過ぎず、それらに私の「自分らしさ」までを支配される必要は一切ないんだと思った。
正直、この部分がこの映画の大きなテーマやメッセージであるということまでは理解しつつ、もう少し解像度を高めたいけど自分の中で上手く言語に落とし込めていない部分でもある。
日本版オリジナルのエンドソング
インサイド・ヘッド2は全世界で上映されているが、日本版のみオリジナルエンディングが添えられている。
SEKAI NO OWARIの「プレゼント」という楽曲である。
驚いたのが、この曲はこの映画のために書き下ろされたいわゆる主題歌ではなく、2015年のNHK合唱コンクール中学の部の課題曲として制作された曲であるということ。全く別の機会に作られた曲だが、作品のメッセージと共鳴する部分が多かったので選ばれたのだという。
いわゆるJ-POPを積極的に聴く文化が自分の中に無いので、夏には夏の曲を聴いて盛り上がったり、失恋したら失恋ソングを聴いて泣いてスッキリする、ということもしたことがない。
ましてやセカオワなんてポップな世界観のミュージシャンは自分とは対極の世界のものだと思って逆張りしていたので(失礼)、J-POPの曲でこんなにも泣けるのかとびっくりした。
映画の後半からずっと涙が止まらなかったが、このエンディングの歌詞があまりにも素敵すぎて涙腺が崩壊した。
特にここ最近は未来に希望も見いだせず、「もうさんざん苦しんできたし、30歳ぐらいになったら自分への最後の労いとして死にてぇな~~」と思いながら床に転がる生活をしていたので、「人生って、好きに生きていい特別なプレゼントなんだ」「こんな人生でも、楽しみながらゆっくりプレゼントを開けていいんだ」とあまりの強烈な感動に触れ、そのまばゆさに眩暈を感じてしまいそうなほどだった。
物語の終盤で、ライリーは脳内の「ヨロコビ」と共に全力でアイスホッケーの試合を楽しむ。その喜びはただの「楽しい」だけではなくて、奮闘しようと燃えるエネルギーの喜び、どんなパス回しをしようか計画する喜び、相手のより良いプレーに驚く喜びといった、複雑で多様な気持ちが大きな大きな喜びを形成していた。
それもまたまるで、吹奏楽で多くの苦しみを越えたいま、演奏会でのびのび楽しく楽器を演奏するわたし、素敵な響きに包まれるわたし、仲間と共に音楽の喜びを表現するわたしを投影して見ているようでなんだかとても晴れやかな気持ちになった。
今までホロリと泣いた映画はいくつかあったけど、ここまで心からとめどなく涙を流した映画は初めてでした。あまりに不審者だったので平日夜のお客がまばらな回の上映でよかった。これからの人生で、ずっと忘れられない作品になると思います。