ただ愛されたかった
昨年からコロナの状況になって人付き合いが変わった。
嫌いな人や苦手な人とは会わなくて済むようになり、その点ではメリットである。
ただし。
逆について考えたことあるだろうか。
私は哲学者の岸見一郎先生の指摘を聞いて、ハッとした。
自分が付き合う相手を選んでいるように、
自分も相手に選ばれている。
失恋、を例にお話しされていたが、本当に似ている。
好きですと告白して、相手はそうではなかったということが表に出る。さらに
自分にお声がかからないということは、つまり誰からも選ばれてないということ。
「つながりの格差」が生まれる、ともおっしゃっていた。
このコロナ禍で、どうしても会いたい人を選ぶ。
どうしても会いたい人だけに絞られていく。
それが自然なこと。
これを聞いて、先日亡くなった母を思い出した。
そして、気付いてしまった。
私は、母に選ばれなかったのだ。残念ながら、それが事実。
私は何度も「帰るよ」「帰省するよ」と提案したが、
「東京からなんか帰って来なくていい」ばかりだった。
毎回理由は「危険だから」だった。
危険は私も承知の上でいたのだが、何度提案しても却下で、会わずに逝ってしまった。
結果として、多くの友人や兄妹や親族をランキング付した場合、他の人は優先され、私はランク下。会いたい人に選ばれなかったのだ。
端的に、危険を冒してまで、会いたい人ではなかった、ということだ。
この事実に気付いてしまい、少し悲しくなった。
思えば、昔から私は、ただただ母に愛されたかった。
もちろん、愛してくれていただろうし、応援もしてくれていたんだろうけど。
優先順位が低かった。
そうだよね、わかっていたんだけど…やっぱり悲しい。
会う、会わないは、親子であっても、選ぶし、選ばれる。
今回、選ばれなかった側の気持ちになった。
残念。
これを私は受け止めるしかない。
だからと言って、私はかわいそうではない。母の選択を尊重できて良かった。
母自身の人生を満喫していたようで幸せだったんだなと想像できる。
結果、満足。
選ばれなかったけどね。満足。そういうことにしておこう。