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奇跡の起こし方
コレを見ただけで奇跡が起こる!
コレを貼るだけで奇跡が起こる!
コレを読むだけで奇跡は起こる!
奇跡が起こるシリーズに、頼って、浸りまくってみた。
見て、貼って、読んで…。
それぞれ発信者も内容も全部違うが、「奇跡が起こる」というメッセージは同じだった。
それほどまでに、奇跡を欲していた私。切羽詰まっていた。
それは少し前に、ちょっとした不運があったからだ。これを、変えたくて、手短な「奇跡モノ」に頼った。
結果から言えば、同じものを試した人たちが言うような奇跡は、私には起こっていない。
例えば、宝くじが当たるとか、大きな仕事を手に入れるとか、音信不通だった人と連絡が取れるようになるとか。
ない。
今のところ。
奇跡について、こんな会話を思い出した。
その昔。奇跡を信じていた私に、友人が水を刺すように言った。
「めったに起きないから、奇跡って言うんだよ」と。
私はそれに少し残念な気持ちを抱きながら、
「でも、”奇跡”って名前がついているくらいだから、奇跡はあるんじゃないの?」と。
英語でもミラクルって言うし、前に勉強した、韓国語にも奇跡という単語はあった。
だから世界共通の概念として、奇跡はある。
奇跡が起こってほしい。
そう思いつつも、結局、奇跡モノに頼った一週間、そこまで大きなミラクルはなかった。残念。
そんな矢先に、今朝、ぼーっとしていたら、奇跡の概念が降ってきた。
そこにはペットボトルに入った、水。ミネラルウォーター。
長野県、安曇野…。
パッケージに書かれた、水が採れた場所。
「あれ、この水って、安曇野から持って来てるの?」
(当たり前でしょ)と過去からの私。
(毎日飲んでるんだもの、分かってるでしょ、南アルプスでもどこでも。運んできてるんだよ)
「ちょっと待って。わざわざここまで運んできてくれるなんて」
こんな綺麗な水があるところだから、きっとアクセスが悪いところだろう。
そこへ行って、ペットボトルに綺麗に詰めて、飲みやすくしてくれてあって
成分がわかりやすく表示され、ボトルには持ちやすいように、窪みもあり…これってちょっと待ってよ
これって、奇跡じゃない?
私はお金もらっても、できないし、しない。ミネラルウォーターを持って来れない。この価格で売れない。
水は高いから買わない、という人がいたけど、コストを考えたら水は安い!
それに、違う土地の水を飲めるなんて、大昔では叶わなかったこと。
これって奇跡では?
ここに奇跡があったじゃん。
当たり前のことを当たり前と思うか、奇跡と思うか。
成功者の言う「奇跡」を紐解いてみると、案外、身近なことを「奇跡」と称えていることが多い。
今まで気づかなかった奇跡に気付けるかどうか。
奇跡を呼ぶ本、奇跡を呼ぶお札、奇跡を呼ぶ動画たちはすべて、奇跡を敏感に感じさせて、日常にある奇跡に気が付く“きっかけ“を作ってくれているのかもしれない。
奇跡の起こし方、は、奇跡の気付き方、でもある。
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