
親に苦しめられた人へ
〇母を亡くす
正月明け、友人と食事へ行きました。
4ヶ月ぶり。
この会わない間に、お母様が亡くなっていたことを知りました。
私も2021年に母を亡くしています。
久しぶりにこのことを思い出しました。
友人は、お母様の最期の瞬間に立ち会ったのだとか。
私は、立ち会えていません。
〇母と最後の電話
あれは、夜の8時半頃でした。
田舎に住む母へ電話をかけました。
・退院して、その後の体調が心配だったこと
・いとこに子供が産まれたこと
その話をしようと。
電話をかけると、とても不機嫌で、えらくえらく怒られました。
私は寝ていた。
非常識である。
こんな時間に電話なんて、本当に信じられない。
(私の心の中は、まだ夜8時なのに)
非常識にも程がある。
これで再び寝れなかったら、アンタのせいだ。
冗談じゃない。
やめてくれ、と。
お前はいかにダメかのダメ出し。
その説教は、20分ほど続き、私は気づいたら
「ごめんなさい…」「申し訳ない」
と言いながら、目から大粒の涙が。
母に気づかれないように、静かに涙。
「ごめんなさい」を繰り返し。母の言葉は止まらず。
そして、電話を切った後、大泣きしました。
(次の日、目が腫れて周囲に心配されるほどに)
〇親の言葉の刺さり方
それは「説教」を越えていました。
逃げ道のない人格否定。
その言葉の連続に傷つき、泣いていました。
そしてふと思い出したのです。
「私はこうやってずっと傷つけられて来たんだ」
もう中年と言えるいい年齢なのに、親の言葉でギャン泣き。
いくら親でも、言っていいことと悪いことがある。
ここまで傷つけて、泣かせて。
私はそれを受け入れるのか。
いいや、もういい。
それを許さないでおこう。
一旦、母との人間関係は終わりでいい。卒業だ。
そう決意しました。
〇最後の会話
その三日後、母はゴキゲンで電話してきました。
「今ね、お父さんが料理してくれているんだよ〜♪」
言いすぎて申し訳ないと思ったのか、そのことについては触れませんでしたが、
こちらのご機嫌を伺うような電話。
電話を切った後、それで許せって言われてもね、
あんなに大泣きした事実は変わらないし、、、
そう思っていたら、その一週間後に母の訃報が。
結局、その電話が最後になりました。
“私が先に心の中でサヨナラしたからだ“と直感で思いました。
〇許すか、許さないか
亡くなった母を許すか許さないか。
もうとっくに許しています。感謝もしていますし。
一方で、葛藤もあります。
父・母ともに、たくさんの言葉で傷つけられた事実は変わらない。
(父は健在)
だから、親に苦しめられてきた子が、許さないと言い切っても、気持ちがわかるので否定しません。
無理に許さなくていいと思います。
私はだんだん、母の声も忘れてきています。
本当に卒業した存在になったのかもしれません。
そうなる日がきます。
親に苦しめられた人へ。
届いてほしいと思って書きました。
いいなと思ったら応援しよう!
