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もうひとつの誕生日

今日が誕生日!と思うと、時間の過ごし方が全く違うものになるなぁ、なんて、ふとそんなことを思った。

昨日のバレンタインデー。実はもう1つの私の誕生日だった。

もうひとつ、というのは、別の暦。

「マヤ暦」で見た場合の話。

新年は2020年12月15日に始まり、260日で一周。

検索結果によれば、私のkinナンバーは62だから、12/15から数えて62日目。

つまりバレンタインデーが、誕生日だった。

マヤ暦に熱心な人々は、きちんとお祝いをするらしい。

しかし、私はすっかりチョコレートに心を奪われていて(笑)、忘れていた💦😑

気づいたのは、スマホの突然の通知。

「今日はあなたの誕生日です」

え?そうか…誕生日、と思い出したのだった。

2021年も始まったばかりで、先週には旧暦のお正月も迎えたばかり。(いろんな新年、暦があって面白い)

すっかり失念していたが、さてここで。

突然「今日はあなたの誕生日です」と言われた人はどうなるか、わかるだろうか。

まず、身構える(笑)

そして、急に緊張感が走る。

その後、冷静になってからは、どう過ごそう??何する?特別なことする??
どんな形であれ、今日を絶対にムダにしたくない!と思うのだ。自然に。

そう思えるのも、時間が有限だから。

時間を大切にしようとする。

明日では意味ない。

誕生日の今日に意味があるから。

慌てているうち、ふと気づいた。

「こうやって毎日を誕生日だと思って過ごせば、時間の使い方が、全く変わる」と。

今日という日を、どう過ごすか。

主体的に生きる自分のための1日。

1分1秒。

ぼーっとして、特にスペシャルな行動も起こさなくても、時間だけは刻々と流れていってしまう。

有限だと自覚した時間の使い方。

例えば

20代が明日で終わる!と自覚した時、

今年があと残り3日しかない!とわかった時、

そして。

命があと3ヶ月とわかった時。(祖父の時がそうだった)


残り何日、何時間。

それを有効に使いたいと思うのだ。

結果、それがうまく行こうと失敗しても、それはそれでいい。

「この限られた時間を、どう使うか」と、積極的に選択し、行動したということが大切だから。

大切に使おうと思っただけで、時間は大切に使われている。

誕生日というのは、そういうものなのか。

そういう日なの??(笑)

知らなかった!😀

少し前に、「毎日がラッキーデーだと思って過ごす」(https://note.com/machiphilo/n/n4eff91741646)と書いたが、それと同じようなことだ。


おかげ様で、昨日はとてもいい一日を過ごすことができた。

感謝。ありがとうございます。

今日という日を無駄にしない、自分の決意。大切にしよう。




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まちの哲学者
本当にありがとうございます😊嬉しくて小躍り!!💖