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要らないものは、最初から手に入れない
小学生から20歳くらいまで、懸賞が好きだった。
だいぶおかなしな子供だっただろう(笑)
応募方法は、今のようにネットやアプリ、SNSで申し込むのではなく、ハガキの一択。それ以外はない。そこはガチガチの昭和文化だった(笑)
懸賞を好んだのは、クジ運の良い叔母の影響だった。
叔母さんは、出せば当たる。何でも当たる。
不思議なもので、そういう強運の元に生まれた人って世の中にいるのだ。
だから、叔母から懸賞で当てたレアグッズをもらったり、勝手に私の名前で応募してくれていて、知らないうちに当選しているということもよくあった。まさにサプライズのプレゼントだった。
それにあやかりたいと、私もハガキを書けるようになってから、自分でハガキを出すようにもなった。
小さい頃は、雑誌、小学〇年生のプレゼント、など。
中学・高校はドラマの主題歌CDプレゼントなど。
でも、高校での出来事 https://note.com/machiphilo/n/n31a474d6b6ab
をきっかけに、モノへの執着がなくなってから、懸賞において、ポリシーができた。それは、
「本当に欲しいものしか応募しない」ということだ。
ただそれだけ。
だが、世の中の懸賞マニアの皆さんとは大きな違いがある。
彼らは、何でもかんでも応募する。
今は、転売も簡単にできる世の中になったので、余計に「何が当たってもうれしい」と何でも応募する。
私はどんなに懸賞が好きでも、絶対に欲しいものしか、応募しない、と昔から決めていた。
これは心の中で静かに誓ったこと。当然の如く守っていた。これが使命かのように。
その静かな決意が、今日まで影響しているとは思いもよらなかった。
やがて、大人になるにつれ個人情報もうるさくなり、懸賞は遠のいたが、今でも欲しいものがあれば、応募する。
それでもやはり、どうしても欲しいもの。このポリシーは曲げられないようだ。
例えばこんなことがあった。
先月、クリーニング屋さんの店頭で「ハガキをお持ちいただいたから、自動で応募になる懸賞があります」と言われた。
景品は、オーブントースター、ダイソンの製品など、どれも高級で、当たればうれしいものばかり。
どれにしますか?とA賞?B賞?C賞?…と選ぶ段階で、「応募しません」と私は、断った。
「ん?」「へ?」(^_^;)という顔をされた。
こちらの理由はただ一つ。懸賞は本当に欲しいものしか応募しない。だからだ。
私「当たっても、私には必要ないものばかりなので。」
店員さん「あ、はい…」
私「これらは、本当にほしい人に当たってほしいので。」
そうですか、とニコっとしてくれたが、少し首をかしげていた。イマイチ伝わらなかったよう(笑)
先週こんなこともあった。
好きなラジオ番組が、20名様にステッカープレゼント、と募集していた。
「一瞬、わぁ欲しい♪」と思ったものの、
「もらったところで、そのステッカーでどこに使う?」とよぎり、
「貼るところない」→「使わない」
結果、捨ててしまう自分が見えた(だいぶ失礼。笑)ので、応募しなかった。
要らないものは、最初から、もらわない。
チラシにこのサービス券を持ってきた人は全員プレゼント、というのもある。
そういう時も、例え無料でも、欲しくないものは最初からもらわない。
粗品をプレゼント、という時、昔家族でみんなが粗品をもらってきて、うんざりしたことがある。タダに固執して、必要ない物に囲まれて暮らすのが見苦しいと思うのかもしれない。
懸賞を応募するのも、強いポリシーがあったな、と懸賞をきっかけに思い出した。
頑固なこだわり思い出して、今でも変わっていない自分に、笑ってしまった。
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