
これしかできない、は才能だ
私はこの仕事しかできない。
私にはこれしかない。
これしかできない。
年齢を重ねてくると、自分の限界が見えてきて、できること、できないことがなんとなくわかってくる。
ましてや仕事となると、いきなり新しい分野に入る勇気もない。
そして、「私は、これしかできないしー」と自分が続けてきた仕事を、ずっと続けようと思う。
新しいことなら、今までの延長線上であること。それならチャレンジできる。
「自分はこれしかできないから」という言葉。
ベテラン俳優さんが「自分は役者しかできないので」というのと同じ。
ミュージシャンが「私には歌しかないので」というのも同じ。
同じカッコ良さは全くないが(笑)、一般人の私たちも、日常的に、例えば転職を考える時などに「私は、この仕事しかできないからな」と考えたりする。
「これしかできないから。」
そこに諦めもある印象だ。
しかし、この考えが覆った。
友人が言ったのだ。
「自分はこれしかできないって思えるって、才能だよ」
なんですと?と思ったが、理由はこう。
「逆に言えば、それができる、ということだから」
「私には、そんなふうに『これしかできない』と思うほどの ” これ ” がないから、うらやましい」と続けた。
自分はこれしかできない。
大人になるにつれて、こんな言葉が自然と出るのは、達観した気持ち。
そして、若さがなくなり何かを悟ってしまった、諦めの気持ちなんだと思っていた。
そこには暗さも漂う。
だけど、そうではない。
角度を変えて見ると、とても強い、自分を貫いた言葉だった。
自分にとって普通なこと。当たり前なこと。
「〇〇しかできない」の〇〇に値するものが、自分の才能。
そう思うと芯が通っていて、明るさもある。
これは、仕事だけでなく、趣味の場面でもそうだ。
「カラオケはこの歌しか歌えないの」
「この料理しか作らないけど、よく作るんだ」
「多趣味でいいね。私は、絵しか描けないからね」
「いつもコンビニでは、甘い物しか買わないよ」
全部自分を貫いている!
こだわり、と呼ぶべきなのか。
そこに自分の個性が詰まっている。
これしか、と限定できるのは、確かに才能だ。
いいなと思ったら応援しよう!
