
幸せの哲学
私は、まちの哲学者と名乗りつつも、自分だけがまちの哲学者とは思っていない。
生きることについて向き合い、幸せについて考える人はすべて、まちを行く同じ哲学者だと思っている。
そのくらい、こちらが他の方々から、学ばせてもらうことが多い。
そのうちの一人。
新しい考え方に出会った。
その人が言う、
「生きる上で、幸せであり続ける方法」。
それは…
あえて今の環境や問題にフォーカスしないで、心地の良いことだけを続けていること。
そうすれば、ずっと幸せでいられる。ということだった。
今の環境に違和感を感じても、焦点を当てて考えない。
問題に向き合ったりしない。
良い悪いを考えない。
ただただ、今、心地いいことだけをする。
そうするだけで、私たちはずっと幸せでいられるというのだ。
それもまた、正しい考え方だと思った。
これは例えばこういうことなのかと想像した。
本当は、今の学業や、仕事の問題について、向き合って考えなければならないのに、とりあえず、テレビを見て笑ってやり過ごす。
心地良い方に流れ続ければ、楽しいことしか起こらない。
それが幸せであり続ける方法、ということ。
一理ある。
でも私は思う。
目の前の問題を考えないってアリだろうか。幸せについて考える哲学気質の私たちにはできない。
先が見えるから。
「あえて今の環境や問題にフォーカスしないで、心地の良いことだけを続けること」
それは、一瞬一瞬は幸せかもしれないが、
大事な分岐点での選択を間違え続け、ふと気が付いた時に、欲望の果てなのに
自分が望んだ未来とは、遠い所にたどり着いてしまわないだろうか。
なぜここにいるのだろう、 なぜこうなってしまったんだろう、という後悔。
それが見える。
そんな予感がするから、私たちは、目の前の問題に取り組むし、環境に違和感を感じたら変えたい、変えようと奔走するのではないだろうか。
ずっと問題に向き合わなければ、問題を避け過ぎて、向き合う力がなくなってしまう。
その積み重ね。
その結果で、もたらされる未来。
自分の望まない遠いところに行きたくない。
だから、目の前の問題にフォーカスして、解決しようと動くのかもしれない。
目の前の快楽を選ぶか、それも生き方。
未来の快楽を目指すか、それも生き方。
どちらも幸せになるために生きている。
それはどちらも同じ、幸福の哲学なのだ。
いいなと思ったら応援しよう!
