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人に期待しない生き方
他人への期待。
これを手放した方が、ラクになる。
そう気づいたのはだいぶ大人になってから。
そもそも、自分が他人に期待を抱きがち、と気づいたのも同じく。
ここ数年のことだ。
全く自覚なく、無意識レベルで、人に期待をかけていた。
「あぁしてほしい」「こうしてほしい」
「あの人は〇〇してくれるはず」
「〇〇してくれたらいいのに」
そんな期待だ。さらに言えば、
「きっと国は、国民を救ってくれるはず、〇〇してくれるに違いない」なども。
こちらとしては、フツーに思っていたことなので、これが他人への期待だなんて気づかなかった。
今、問題を抱えている人を見ると、他人への期待から問題が生まれていることも多いように思う。
そんな時は、かつての自分を見ているような気分になる。気持ちがよくわかる。
「人に期待するな」と私も何度となく聞いてきたけど、それは自分の問題ではないと思っていた。
感覚が分からず、問題の本質も分かっていなかったようだ。
だんだん年齢を重ねてきて、いろんな人の事情や心情をおもんばかれるようになってきて、徐々に他人に対して、何かを期待をしなくなっていった。
人に期待しない。
ここ最近、ようやくそう生きることができるようになってきた。
期待しない対象には、身近な家族も含まれる。
例えば「親なら、これくらいしてくれていいはず」
小さい頃は、そんなことも思って生きてきた。だから自分には不足感があり、恵まれていないと思ったこともある。
他人に期待しないとどうなるか。
ストレスがなくなる。
期待し過ぎたことによって、がっかりが生む問題、ストレス。
それがなくなる。
例えば、さっきの私の例なら、親ならもっと子供を大切にしてくれていいはず、という期待があった。
もっと旅行に連れて行ってくれたり、欲しいものを買ってくれたり、お金かけてくれていいはず、と。
しかし、現実がそうでなかったときに、がっかりが生まれた。
がっかりから、衝突したり、ストレスを感じたり、問題が起きた。
今は私も成長したし大人だから、親には特に期待していない。
考え方としても「親も自分の人生で大変なんだ」そう思えれば、期待しなくなる。
私はこうやって日々、人への期待値を下げてきた。
これは別にネガティブなことではない。
問題が発生しないし、他者を尊重できるポジティブな考え方だと思っている。
今日、また他人に対して、期待値をゼロにしてみた。
意識的に。
仕事場で、いつもギリギリの遅い時間に仕事を回してくる人に対しての期待。
これをゼロにした。
「もう少し早く回してください」と声を掛けた過去もある。
言い方を柔らかくして「もう少し早いと、とってもうれしいんですけど…」とした過去もある。
しかし、有効だったのは1回だけ。
早めに回してくれた翌日から、すぐに元通り。効果ナシ。
意味ないなーと思って、こちらから、ステージを降りた。
もう、期待しない。
今日こそは、早めに仕事を回してくれるかも…♪なんて期待するのは止めた。
どうせ、ギリギリの時間にならないと、仕事を回さないでしょ(笑)
でもいい。
知ってるから。そのように覚悟してます。
そうすると、最初から期待してないから、予想通りで、ストレスが生じない。
ギリギリで回ってきた仕事を、いかに効率良く処理するか、自分のことに集中した方が、とても気が楽。
だって期待してないからねー!大丈夫。
同じ相手でも、期待することをやめただけで、自分が大きく変わった。
人に期待しない。
本当にここ最近、そう生きれるようになってきた。
ここには究極の話、政府や国に期待しないということも含まれるよ。
20代の頃は痛烈な政治批判をしていたから、あの頃は、きっと国や政府に対して、過度に期待し過ぎていたんじゃないかと思っている(笑)
今の方が、国や政府に対して、感謝がある。
住まわせてくれるだけで、ありがたい。大変な中やってくれている、と。
人に期待しないは、マイナスの発想ではない。
プラスに働く発想だ。
期待しない、から生まれる、とてもポジティブな感情。
わかってもらえたらうれしい😃
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