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「最悪を想定する」はとても前向きな考え方だ

文字に…ものすごい圧がある言葉だ(笑)。「最悪を想定すること」

しかしこれは、信じられないくらい、前向きな考え方である。
これに気付いたのは、ここ数年だろうか。

最悪、だなんて、とてもネガティブな言葉に聞こえるが、実はとても大切で希望のある考え方なのだ。

この言葉に初めて出会ったのは、若かりしワーホリ時代。

このときに登場した友人から教わった言葉だ。

当時、一緒に住み込みで働いていたということもあり、よくいろんな話をしていたのだが。

ある時、友人はこう言った。

「私は常に最悪を想定しているよ」

何というネガティブな発想!と思い、ただただ「ポジティブ」が正しいと思い込んでいた私は、この考え方を受け入れられなかった。

議論を戦わせたが、何の根拠もない私。彼女の言い分は、

「だって、この前やったバイト、他のみんなは『何でこんなに環境が悪いんだ』って嘆いていたけど、私は最初から、その仕事の環境はすごく悪いものを想像していたから、実際こんなもんだと、さほど驚かなかった」

「いい環境の理想を描いていた人にはつらい状況でも、私は最悪を想定していたから、別に普通に感じた。その分のストレスはないでしょ」

ごもっともな意見に、何も出なかったし、心が乱された。

ただ「ポジティブであれ」としか言えない私は、ちゃんとした根拠の元に打ち砕かれた。

しかし、確かに言いたいことはわかるけど…「何でそんなネガティブに考えるの?」と思って、受け入れられなかった。

最悪を想定する、はそこまでネガティブじゃない。

むしろ今の状況をプラスに持っていくための、前向きな考えだ、とはっきりわかったのは、それからかなり経ってから。

最悪を想定しておけば、いざという時に備えられる。

一瞬でも、シミュレーションができる。

すべてが想定内になる。


例えば、日常の中で。

当たり前のように買えると思っているものを、店に買いに行った時。その店で在庫がなかった場合、ストレスがいきなりグン!と生じる。

ところが、最悪を想定しておくと、その店になくても、ストレスにならない。
ないことも想定内だから。

他の店に行って、これまた見つからなかった場合でも、そうか、ないのか、と現実を受け入れるだけで、必要以上のストレスはかからない。


仮に、当たり前にその物を手に入れ、その後まで想像していた場合。

最初の店で買えなかったらその時点でストレスになり、次の店へ行くことも、大きなストレスになる。次の店でも見つからなかった場合、落胆とストレスがMAXになるのだ。

こんな日常の簡単なことで、こうなるくらいだから、自分の人生にかかわること、命にかかわることの場合のストレスはもっと大きいだろう。


ショックを受けないための、あらかじめの回避方法とでも言えるのかもしれない。

別に傷つくことを避けているのではなく、すべてを受け入れる準備をしているだけなのだ。

今となっては、この考え方がとても役に立っている。

ようやく。

ようやく、自分にインストールされた。この考え方。


彼女にこの話をすると、年齢を重ねて何かに気付いてしまったらしく
「そうは言っても、あんまり良くない考え方なんだよね」とやんわり否定する。

そんなことない!

とてもいい考え方だと思うよ。

最近で言えば、最悪を想定して、給付金なんかくれるはずがない、と思っていたから、もらえるとわかった時の喜びは、他の人よりも大きかったと思う。

嬉しさは大きくなり、ショックは半減。

極端ではあるが、最悪の想定が、” 自分の人生が、今日で終わってしまう "とした場合、惰性で生きる今日よりも、過ごし方はとても濃いものになる。


無理やりポジティブにするより、最悪を想定していた方が、ずっとポジティブに動ける。
この考え方。腑に落ちてから、とても大切になった。

最悪を想定する、はとても前向きな考え方だ。



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まちの哲学者
本当にありがとうございます😊嬉しくて小躍り!!💖