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【ご挨拶】だから私は言葉屋をやりたい

こんにちは、『街の言葉屋』です。

『街の言葉屋』(以下、言葉屋)はヒアリングから選書、相読あいよみ(一緒に読んで情報整理)までを含む「その人のためだけの読書体験」をオーダーメイドでご案内しております。

コンセプトは「豊かな言葉との出会いを」、そして「人文知を暮らしの一部に」。

ここでは、どうして私が言葉屋を始めるにいたったのかを、その思いと共に記します。しばしお付き合いください。



01| 詩と出会い、詩に魅せられ、詩を求め。

詩との出会い:高校から大学へ

野球だのサッカーだのスポーツばかりをやって育った私が、言葉に打たれる原体験をしたのは大学受験の勉強をしていたとき。本を読むのが比較的好きではあったものの、骨のあるテクスト(文章)と正面から向き合ったのはそれが初めてでした。

「死」を論じた文章に、打たれてしまいました。「死」というマイナスイメージばかりが先行する概念を、この世に残された人たち同士が互いの「繋がり」を確認し、むしろ強めるきっかけとして論じていること(確かそんな内容だったと思う)に、とにかく感動してしまったのです。なんとな〜く「言葉」に関心のあった私は、言葉の魔力に一層魅せられて、その存在ともっと距離を縮めたいと願いました。

東京外国語大学に入学。専攻語の勉強もそこそこに、サークル等にも入らず(興味もあったが、なんとなく尻込み…)、日々図書館や本屋に通いました。無学ながらに「哲学」やら「文学」やら、それっぽい本を読み漁るように。すると、度々出会う名前がありました。「いいなあこの文章、いいなぁ〜」といたく感心する文章に限って、引用文に登場したり、もしくはその文章の作者本人であったりしました。

そのお名前を、調べてみたらば。なんと、自分の大学にいる先生であることが分かりました。さらに、自分の在籍コースで入れる研究室であることも分かりました。

当時学部2年生。ゼミが始まるのは翌年でしたが、いてもたってもいれないとはこのこと。すぐ連絡をしてみて、お話ししにいかせてもらいました。それが、今福龍太先生との出会いでした。いうなれば、「詩」との出会いでした。


詩に魅せられる:「言葉との向き合い方」を知る

その後、卒論を書くまで。

先生やゼミの先輩たち、仲間たちに導かれた先には、学内にとどまらない、知的な刺激に溢れた冒険が待っていました。詩的なるものに溢れかえっていました。

ギリシャ・アテネ。学部4回生時に休学し、ヨーロッパ一周をした際に訪れた。
アイルランド・ドゥーラン。アイルランドの西の果て、モハーの断崖をバックに。

優れた研究者はもちろんのこと、詩人に舞踏家、映画監督、選書家、写真家、編集者、新聞記者…自分なぞでは到底想像もつかないレベルで「言葉」と取っ組み合う人たちの姿や声が、そこにはありました。

学部卒業後は、大学院に。先生のもとで修士論文を書き、修士号を得るという経験もできました(テーマは北アイルランドの現代詩人・キアラン=カーソン(1948-2019)の初期作品研究)。まだまだ遠い言葉との距離ではあったが、受験生のころに比べたら、格段に近づいているように感じました。


手にした羅針盤は「詩があるか、否か」

大学を去る時。気づけば人生の羅針盤は「詩があるか、否か」になっていました。詩を感じる方向にばかり、うっかり気が向いてしまう自分になっていました。

「詩がある」とは?
それは「信じるに足るなにか」を感じられることだと思います。
詩や小説、エッセイ、評論文などのテクストに。
音楽や絵画、映画などの作品たちに。
それから友人や家族との慎ましい時間にも、
あるいは独りで思いを抱える時間にも。
そしてもちろん自然にも。
素直に「素敵だな」「なんかいいな」「かっこいいな」「安心するな」「元気になるな」と思えること。それこそが「信じるに足るものとの出会い」、すなわち「詩の経験」です。。

詩は万物に秘められています。どこにでもあります。
あなた自身にも、あなたの生活にも。
それを誰かと一緒に探し当てたいという思いこそが、
言葉屋の根底にあります。


02|言葉屋の仕事の原風景 @能登

能登へ・・・書道部員との出会い

大学を後にしたのち。

詩があるか、否か。その羅針盤に従って向かった先は石川県・能登町。能登半島の先端部にあるこの町で、公営塾「まちなか鳳雛塾」の一員として3年間過ごしました。「言葉と教育」に関心がありました。海や山をそばに感じながら、主に高校生たちと学びを共にする日々。詩に溢れていました。多くの出会いに恵まれました。

能登町・宇出津港での一枚

そのなかのひとつが書道部員たちとの出会いでした。彼女たちが取り組んでいたのは「書道パフォーマンス」。曲に合わせて振り付けをしつつ、巨大な紙のうえに、文字を中心とした視覚表現をたちあげていく競技/芸術です。そのパフォーマンスの作品づくりを、ご縁あって、手伝わせてもらえることになりました。

彼女たちが悩んでいたのは「東日本大震災の被災地支援イベント」にむけての作品づくりでした。部員のひとりの口をして「どう考えたらいいのか分からない」ために、私に頼ってくれたとのこと。とても嬉しくなりました。

さてしかし、それ以上に困りました。「命」や「生死」に、どう向き合えばいいというか…。


初めての選書と、詩に満ちた時間

能登の星空

考えました。そして『星の王子さま』を一緒に読むことに決めました。
週に1〜2回の共同活動で行ったことは2つ。

① ノートでの対話
一定範囲を読み、事前に提示されたテーマについて考えたり、その他の気づきを自由にノートに記して提出。私もそれに応答し、書き込む。

とある日のノート。大きく達筆な字が生徒のもの。小さくせせこましい字(苦笑)が私の応答。
左ページでは『星の王子さま』本編、右ページではユージン・スミスについて考えられています。


5人のノート。それぞれページがびっしりになることもしばしば。黒字が生徒、色字が私。


② テクストを選書&案内
テーマに合わせて、私が<テクスト>を案内し、皆で鑑賞。たとえば・・・・・・

選書したものの一部


考えました。とにかく一緒に考えましたた。たくさん考えました。

生きるとは?
死ぬとは?
誰かの苦しみを、どう考える?
痛みに寄り添うって、どういうこと?
星がどうとかいって、
綺麗事にするんじゃいけないね…
大切にするとは?
共に苦しむとは?
共に生きるとは?
思い、考えるとは?
表現するとは?

・・・・・・疑問符が星のごとく降り注ぐなか、
5人の部員と交感しあった約3ヶ月。
最後はせっかくだからと、作品の中心となる言葉づくりを私に託してくれました。本当に、本当に思いの詰まった、詩のある時間でした。だからこそ、詩作品『今日 こんにちは』ができました。

2022年02月09日(日) 付・北陸中日新聞の2面。取材してくださった加藤さんいわく「詩がよかったらしく、大きな面で扱うことに急遽変わった」とのこと。皆の思いが届いた、と思った。


思えばこれがはじめての「言葉屋」の仕事でした。
考え事を聞き、テクストを紹介し、
一緒に読み進め、一緒に悩み考え、一緒に言葉を編んでいく・・・。
こうした詩のある時間を経て生まれた『今日こんにちは』。
ここに秘められた物語が、言葉屋の全てです。
(パフォーマンスの機会自体は、コロナ・ウイルスの感染拡大によりなくなってしまったけれど・・・)

活版印刷でつくった名刺裏側にある詩篇『今日は』の表情


03|言葉屋の船出 @東京

目にあまる「生きづらさ」

詩に満ちた能登での3年間を終え、ひとまず東京に戻ったいま。変わらず高校生たちと学びを共にする仕事に携わっています。アルバイト時代も含め、教育に関わって10年以上になりました。言葉にまつわる学びにお供するのは、なおも楽しい。

ところが。皆どうにも生きづらそうです。老若男女問わず、私たちの多くが、小難しい顔をして生きてます。どうしてだろう・・・と思います。そりゃそうだよね・・・とも思います。

そして今、自分の目の前にあるのは、愛すべき<テクスト>たち。本やレコード、画集、写真集・・・。そうして思います。「もったいなくない?」と。一人一人に、そこかしこに詩が秘められていることを教えてくれる言葉が、こんなにあるのに。それはまだまだ、知られていないようです。

言葉屋の本棚の一部


自分の知識・経験が、誰かの「生きやすさ」につながるかも・・・?

とかく息苦しい、今日。詩に乏しい、今日。自分の持つ、なけなしの知識や経験が、もしかしたら誰かの役に立つかもしれない。

師事した先生をはじめ、素晴らしい先達たちを前に、自分なんかが恐れ多い・・・と思い続けてきましたが、今は違います。自分もまた<詩的な出会い>のきっかけとなれるのではないかと思います。先達たちが、自分にそうしてくれたように。

だから、そうだ、言葉の案内人をやろう。誰でも気軽に人文知へアクセスできる窓口、「街の言葉屋」です。


04|だから私は言葉屋をやりたい

<人文知>とは、詩との出会いを導いてくれるもの。自分は、その人文知と浅からぬ縁のもとに生きてきました。この社会をもう少し、あなたの暮らしをもう少し、呼吸のしやすい場所にするお手伝いができるかもしれません。

「豊かな言葉との出会い」を案内し、「人文知を暮らしの一部に」する。そんな言葉屋になれるかもしれない・・・。

数多の先達や仲間の存在、それから能登での出会いが、そう強く思わせてくれます。だから私は、言葉屋をやりたい。感謝と共に大きい声で、そう言いたい。




ここまでお読みくださり有難うございました。
あなたと「こんにちは」と言ってあいさつを交わし、
詩に溢れた時間を過ごせること、楽しみにしています。
街の言葉屋、どうぞよろしくお願いいたします。


***サービス内容についてはコチラの記事へどうぞ。先行事例も以下に***

旅レポート#001:家族と沖縄へ「移り住む」ということ 〜愛おしい日々と、歴史への眼差し〜

旅レポート#002:私たちはどう生きるのか 〜吉野源三郎、梨木香歩、そして宮崎駿へ〜

旅レポート#003:コラージュという現実 〜それは決して非現実ではない〜

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