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いきなり脱サラ。脱サラ、はやったもんですから、その頃。思いきって、パン!って決めちゃったわけなんです。

28歳の時、昭和47年、1972年の9月にですね、私、たまプラーザにスポーツ店を出しまして、ええ、もう48年になります。その前は学校で教えてたりなんかして、サラリーマンやってまして。それだけだとちょっと面白くないな、この際、なんか社長になりたいなと思いましてね。田園都市線はこれから伸びるということで、たまプラ青葉台、探したらスポーツ店がなかったんで、スポーツ店でもやろうかなということでですね、いきなり脱サラ。脱サラ、はやったもんですから、その頃。思いきって、パン! って決めちゃったわけなんです。

好きな場所は、美しが丘公園ですか、やっぱり。昔から、少年野球、リトルリーグさんが、美しが丘公園のグラウンドを使ってまして、わたしが店を出した頃にはもうリトルリーグがあったような気がしますね。その後、昭和48年から10年間くらいですかね、大人の早朝野球、緑区北部早朝野球連盟っていうのができましてね、各地域で勝ち抜いて、最後横浜スタジアムで試合をして、優勝するとワゴン車1台もらえる、ということで、みんな一生懸命やってたわけです。わたしの会社も十何人ぐらいいましたので、1チーム作りました。たまプラ内では5、6チームはあったみたいですね。平日朝6時ぐらいから始めて、8時半くらいに終わって、汗流して朝ごはん食べて出勤すると。でも朝早くあんまり大声出すと団地の方に怒られちゃうんで、静かにやってました。

1回、横浜全区スタジアムの試合に出たんですよ。1回戦で負けちゃったんですけどね。でもそういうのは公園のグラウンドがあるからこそ練習も十分にできたんですよね。わたしは事務局やってて、石灰を用意したりとか、大会の準備や会長の送り迎えなんかもやりましたよ。でも今、そういうの全区なくなっちゃったんですね。なんでなくなっちゃったかというと高齢化ですよ。メンバーが減っちゃってですね、青葉区だけじゃなくどこの区も。でもリトルリーグ、ボーイズリーグや軟式の少年野球はやってますね。

あと、グラウンドで思い出深いことといえば、2012(平成24)年3月11日に東日本大震災への追悼ということで、商店街主催でキャンドルナイトをやったことがありますよ。5000人くらい参加しましたね。市が尾高校書道部に「絆」の文字を、畳2枚分くらいの紙に書いてもらってですね……その横に水槽を設置して、プラスチックのコップにアルミ箔で包んだキャンドルを入れ浮かべて、美しが丘と石巻で同時に黙祷を捧げました。そのキャンドルは商店街で2個ひと組1000円で販売したんですけど、美しが丘中学、山内中学3年生、美しが丘小、山内小、美しが丘東小、元石川小、新石川小6年生には卒業記念として無料で配布しました。被災地へのメッセージを書いてもらって、2000個集まったうちの1000個は美しが丘、1000個は石巻に送りました。その様子はデジタルサイネージを使って美しが丘と石巻で中継放映したんですよ。ということで、美しが丘のグラウンドはずっと昔からいろいろと使わせていただいてましたね。

歩け歩け大会というのもありましてね、昭和49年から51年まで、3回やりましたね。当時、まだ原っぱだった今の東急百貨店さんの所に集合して。あの頃は300人すぐ集まっちゃったですね。小学生がメインなんですけども、大人も一緒に街を回ったんですよね。私は出発門を作ってくれって言われて、農協さんがベニヤ板と柱と、材料は全部寄付してくれるってことで、私がペンキで看板書いたわけですね。ベニヤ板2枚分ですから結構大きいですよ。アルバイトかどなたかに店番してもらって、店の前で私はペンキ塗ってたんだから、昔はあれですよね、のんびりしてましたよね。今そんなことできないですよ、いっぱいお客さんが来るのに店の前でペンキ塗りなんて。

美しが丘公園のバックネットのすぐそばに植樹した桜の花が咲いたんで、ちょっと写真をお見せしますね。陽光桜っていうんですけど。植樹日がは2019年の2月の4日。ちょっと花が大きくって色が濃い桜です。私、前から思ってんですけどね、美しが丘公園に関してはもういろんな桜が入ったんで、あと10年もすれば木がおっきくなって、結構いいあれになりますからもうオーケー。

あとですね、街の未来を考えると、土がもうちょっとあって、子どもたちがどろんこ遊びみたいなのができるといいかな、と思ってるんですよ。昔みたいに公園でなんでもやっていいよ、っていうくらいになるとホントはいいですけどね。今、なかなか美しが丘公園も制限されているんですかね、やっぱりそうですよね。まあけがしちゃいけないとかいうのもあるでしょうけど、私どもははもう自由に遊んできましたんで、それを思うと子どもたちにはもう少し遊べる環境が必要かな、と思いますね。

あとは車の駐車場。ホントは公園の地下を掘って無料駐車場を作ればいいんですけれども、どうでしょうねえ。やっぱり車は年をとっても必要だし、なくならないと思いますので、気楽に停められるところが必要かな。もともとたまプラーザは環境いいんですけどね。子どもたちにとっていい環境を、もうちょっと増やしていただければもっといいかな、と思いますね。

インタビュー:2020年 夏

このおはなしは2020年No.007号に収録されています。

この度、2014年から発行を続けてきた冊子「街のはなし」1号〜9号を1冊の書籍にまとめることになり、クラウドファンディングを始めました。

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昭和のニュータウンの温故知新。
住民のまちづくりの努力の蓄積と街の成り立ちを共有したい。

100人のナラティブ・地域の変遷と社会の変化を伝える 記憶を記録する本
たまプラーザ「街のはなし」書籍化プロジェクト

すでにご寄付をいただいている方には、御礼申し上げます。とても励まされております。そして、これまでご協力・応援してくださったみなさまにも、オンラインの寄付を通して、書籍化プロジェクトの仲間になっていただけたら嬉しいです

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企画・文: 谷山恭子
写真:小池美咲

編集・校正: 谷山恭子・藤井本子・伏見学・街のはなし実行委員会

発刊:街のはなし実行委員会

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