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ああ、こんな鮮やかな景色が見れるんだ、って。もうずっと見てました。

38年ぐらい前、その頃まだ22歳かな、新聞配達をしていたんですけど、朝、仕事が終わって4時とか5時、東の空が明るくなってくるんです。新聞店のある高台から見ると、眼下にたまプラーザの駅、ずっとその先に鷺沼方面の丘陵部のシルエットがこうあって、その向こうから、濃紺の空にオレンジ色の太陽の光がずーっと染み出してくるんですよ。ああ、こんな鮮やかな景色が見れるんだ、って。もうずっと見てました。

仕事で汗流した後に缶コーヒー飲みながら、気持ちよかったですね。今は駅が大きくなっちゃったじゃないですか。なので稜線はもう全く見えない。そこが一番好きだった場所で、たまプラーザの一番印象に残っている場所でしたね。

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自分が来たのがちょうど東急百貨店ができた4カ月後、1982(昭和57)年ですね。「私鉄沿線97分署」っていう刑事ドラマがあって、それが2年間ずっとたまプラーザあざみ野でロケしていましたね。よく、「金妻(金曜日の妻たちへ)」の街って言われてますけど、その舞台は駅と商店街の一部だけ、「私鉄沿線97分署」の方は、この辺り全域でロケやってたんで、もう本当にいろんな場所が出てきます。だから自分の中では、たまプラーザは「私鉄沿線97分署」の街っていう感じなんですよ。だからか、やけにドラマとか映画でたまプラーザが舞台になるとすごい反応してしまうことがある。自分がやってる歴史講座にも、そういうドラマの話題を街の歴史の1ページとして組み入れたりしてます。

歴史はね、もう小学校に上がるぐらいから本当に好きで、成人してからの趣味が全国城巡り、沖縄から北海道まで600ぐらいの城を回ってます。そういう地方の歴史については現地に実際に足を運んだりして詳しく知っていたんですが、いざ自分が住んでる街の歴史は? って、聞かれた時に、「え、全然わかんない」って。実は新興住宅街のたまプラーザに歴史があるって深く考えたことがなかったんですよ。地域情報誌で記事を書くことになって、ようやく勉強し始めたんですね。そしたら、もう縄文時代からの遺跡があったり、大山街道があったり、さっき話した一番好きな場所の前には鎌倉街道が走っていて、源義経とかね、ああいう歴史上の有名人たちもここを通ったんだ、って、これはもう感動ですよ。

たまプラーザって江戸時代は石川村って呼んでたんです。隣の荏田村、王禅寺村、川和村、この4つの村は、2代将軍・徳川秀忠公の奥さんのお江さん(江姫)の生活をまかなう年貢をとる土地(化粧料地)だったんです。要するに嫁入りの時の持参金ですね。その後、お江さんが亡くなると芝の増上寺に埋葬されて、今度は増上寺の領地になった。青葉区内の他の土地ってのはほとんどが徳川家の家臣の土地、つまり旗本領なので、将軍の正室の土地だった村々は、ちょっと位が上だったんじゃないかな。そういったプライドが、江戸時代からこの土地に住む昔からの人たちにもあって、今もちょっとだけ引き継がれている。数百年の長いスパンでそういうブランドが作られてきたんじゃないかな、って気がするんですね。だから、こんなに面白い歴史のある街をみんなに教えてあげなきゃいけないっていう想いで、「地名推理ファイル」っていう歴史コラムを書き始めました。

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来た当時、昆虫が多かったんですよ。あのね、もうこんなでっかい、触覚を合わせると30センチぐらいになるカミキリムシとかいてね。捕まえるとギィギィって、これがものすごい力なで。あと、バイクで走ってると、カブトムシがよくぶつかってきたんですよ、ガーンって、ヘルメットに思いっきり。造成地が残ってた、まだ緑もいっぱいあって、アオダイショウが出てきたりとか、とにかく昆虫や生き物がいっぱいいましたよ。自然がね、すごかったです。もう今は全く見かけない。それがちょっと寂しいですね。当時は森も多くて、住宅が建つ前の空き地だとか緑がもっとあった。昔の航空写真見ると全然緑の量が違いますよね。そういうのがどんどんどんどん失われていってる。だからやっぱり、子どもたちがもう少し身近に自然と触れ合えるような場所があるといいなと思います。もう1回それを復活させて欲しいなって。

たまプラには早渕川って川が流れているんですけど、人がまったく近寄れないんですよ。都筑区の港北ニュータウンまで行くと親水広場があったりして川に下りられるんですけど、青葉区内はコンクリートで固められちゃって近づけない。昔は子どもたちが泳いだり、150人くらいが働いていた製糸工場の女工さんたちが水浴びをしてたような川で、絶滅危惧種のミヤコタナゴの宝庫と呼ばれるような、すごくきれいな川だったんです。それがもう近寄ることもできない。地元の人たちが、開発するときにもう少し自然を残して欲しかった、なんて嘆いてたんで、なんとか源流の保木(美しが丘西)あたりだけでも自然の姿につくり直すってことはできないかな。いま壊している郵政宿舎の跡地に森をつくって、そこから、わたしが「たまおねの道」と呼んでる川崎市との境の尾根道、あそことつなげて菅生緑地まで緑の中を行ける、なんてすてきですよね。もうね、今までみたいな開発、発展の仕方ではなくて、後戻りすることも必要なんじゃないかなと思いますね。

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宮澤高広さん

インタビュー:2020年 夏

このおはなしは2020年No.007号に収録されています。

この度、2014年から発行を続けてきた冊子「街のはなし」1号〜9号を1冊の書籍にまとめることになり、クラウドファンディングを始めました。

シンカブル(Syncable)からご寄付いただけます。

昭和のニュータウンの温故知新。
住民のまちづくりの努力の蓄積と街の成り立ちを共有したい。

100人のナラティブ・地域の変遷と社会の変化を伝える 記憶を記録する本
たまプラーザ「街のはなし」書籍化プロジェクト

すでにご寄付をいただいている方には、御礼申し上げます。とても励まされております。そして、これまでご協力・応援してくださったみなさまにも、オンラインの寄付を通して、書籍化プロジェクトの仲間になっていただけたら嬉しいです

街のはなしHPでもこれまでの活動を見れます。www.machinohanashi.com
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企画・文: 谷山恭子
写真:小池美咲

編集・校正: 谷山恭子・藤井本子・伏見学・街のはなし実行委員会

発刊:街のはなし実行委員会




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