茅原実里は背中でみせる。
12年ぶりに8月最初の週末を自宅で過ごしている。
いつもならば、その時期自分は河口湖に出かけて少々早めの夏休みを過ごしているところだった。穏やかに流れる河口湖の街の空気に真夏の刺すような強烈な日差しと暑さの中に時折流れる高地特有の凛とした涼しい風、そして時折強烈に襲ってくる山の夕立ち。いずれも大きな振れ幅をもって非日常を刺激してくれるそれらのものを今年はじかに感じ取ることができない。そして、刺激的と言えば、〈みのりん〉が今年は近くにいない。そう、毎年この時期に河口湖に行くのは、声優アーティスト・茅原実里の河口湖でのライブに参加するためだ。
この毎年恒例の河口湖ライブは、2009年に「SUMMER CAMP」(通称:サマキャン)の名前で始まり、その後「SUMMER DREAM」(通称:サマドリ)を経て現在は「SUMMER CHAMPION」という名前に変わり、サマチャンの愛称で親しまれている。第1回目以降毎年欠かさずこの時期に行われ、会場となる河口湖ステラシアターでのアーティスト別公演数ではいまや茅原実里が単独首位の座についている。あとに連なるアーティストを見てみても、MISIAや、かつては西武球場で恒例の「夏ライヴ」を行っていた渡辺美里などそうそうたる顔ぶれのメンバーが並んでおり、その記録の偉大さがわかる。町営の施設であるステラシアターは会場のキャパシティこそ及ばないものの、ある種のリスナーにとっては「フジロック」や「サマソニ」のように〈夏の音楽の聖地〉でもある。
ところが今年は、この恒例のライブがいつも通りには開催されなかった。理由は、これ以外のことでも何度言ってきたか、何度言われてきているのかもはや数えることもできないほどだが、コロナウイルスのせいである。観客のみならず、当日のライブを運営するスタッフも泊りがけで遠征する公演だけに、まるまる中止となることも覚悟していたが、スタッフの尽力に加えて、富士河口湖町の方々のご厚意もあってのことと思うが、今年の「サマチャン」は、河口湖ステラシアターから無観客にて配信を行うオンラインライブとして2020年8月1日に開催された。
もちろん、理由が理由なのでこの決定自体は自分にとって自然と受け容れられたと思うし、ファンにとっても「少なくとも何かはやってくれる。」という意味での安堵はあったと思う。それでもなお、やはり毎年の通りにはいかないということにはそれぞれに複雑な思いがあったことだろう。もちろん、自分だってそうだった。
そんな中で立ちあがってくれたのが、現在は音楽プロデュース会社「ハートカンパニー」の代表を務める斎藤滋氏だ。茅原実里の所属レーベルであるランティス在籍時に、やはり斎藤氏が音楽プロデューサーをつとめていたアニメ作品『涼宮ハルヒの憂鬱』に長門有希役として出演してキャラクターソングの歌唱もしていた茅原の才能を見出し、アーティスト活動を再開(これ以前に茅原はキングレコードより『HEROINE』というミニアルバムを2004年にリリースしている)させた、彼女のアーティスト活動を語る上では、現在進行形で欠かせない人物である。もちろん、茅原ファンの間でもおなじみの存在だ。
今回のオンラインライブ開催に先立って斎藤氏がファンにひとつの提案をしてくれた。
ハッシュタグ「#サマチャン制作宣伝部」を使って、このライブを盛り上げるためのアイディアをファンも一緒に出し合って行こうというものだ。この提案がファンにとってありがたいものであり、ファンの立場からしてもどうやったらこのライブをしっかりと盛り上げて、ファン以外の人たちにもアピールできるかという思いを抱いていたのを掬い取ってくれる発信だったのは言うまでもない。それは、このハッシュタグで検索をかけた時に出てくるツイート群を見れば一目瞭然だ。(※追記:斎藤氏によるtogetterまとめが公開されたので、リンクを掲載しておきます。)
斎藤氏もスタッフブログで河口湖に対する思いを大変な熱量をもって語ってくれているが、(https://minori-summerchampion.jp/staff_blog/59)
「茅原実里の現場はいつでも愛と熱に包まれている」ということをあらためて感じることができた。
もちろん自分も「#サマチャン制作宣伝部」への投稿を行った。まず最初に行った提案は、自分がどうしても今回このライブで見ておきたい景色について。
2010年5月31日に茅原実里初の日本武道館公演が行われてもう10年以上の時が経っている。まだ夏の河口湖も第1回目が行われただけの頃のことだ(確かこのライブ中のMCで、第2回目の開催が告知されたはずだったと記憶している)。このライブの模様は映像パッケージ化されているが、
このライブ映像本編中に頻繁に差し込まれていた、ステージ上の茅原の背中越しに観客席を映したカメラからの画が自分にとって特に印象的だったのだ。それは、茅原がアーティストとして目標に掲げていた「いつか絶対に武道館のステージに立ってやる」がまさに実現した景色そのものであり(これについては、この武道館公演実施を告知する動画に詳しい)、
ここからはこんな景色が見えているんだと、どこか誇らし気なものでもあった。この画を見た時の感想として「もしもこれを見て「自分もここに立ちたい!」と思う子が出てきたら、そしてたった一人でも実際にそこに立つ子が出てきたら、それだけでこの映像には意味があると思う」と感想をツイートしたことをはっきりと覚えている。10年経って、きっと「その子」はステージに立っているはずだ。いや、間違いなく立っている。そう思わせてくれるくらい、その背中は雄弁だった。
そして今回、また改めてそのアングルからの観客席を、当時の天井まで満員のそれとの対比として、2010年のライブの景色が「2010年の記録」として残っているように、これが2020年のライブの景色だという「2020年の記録」として残ってほしいという願いを込めて提案をさせていただいたのだった。はたして、この提案は若干形を変えながらもどうやら採用されたようだ(と、配信映像を見て自分では勝手に思い込んでいる。もっと近しいニュアンスの提案をされていた方がいたらごめんなさい)。それは、今回のライブで2曲目に歌われた『Sunshine flower』の時のことだった。
『Sunshine flower』は、2009年の「SUMMER CAMP」すなわち、第1回目の河口湖ライブの直前にリリースされた茅原の4thシングル『Tommorow's chance』のカップリング曲として収録され、まさにこの河口湖ライブをどう盛り上げるかをコンセプトに作られた楽曲で、第1回「サマキャン」での初披露以降、毎年必ず河口湖のライブでは歌われている楽曲である。いつもならば、茅原はこの曲をステージ上で小刻みにステップして回りながら歌うパフォーマンスを披露するのだが、今回はそこにスタッフの手持ちカメラが伴走して、一緒に回りながらのパフォーマンスとなった。そして、曲中何度も茅原の背後には無観客の客席が映り込み、時には茅原の背中越しに、あの日の武道館同様に茅原の目に映るのと同じ景色も映し出された。今回も、茅原の背中は雄弁だった。間違いなく、2020年にしか見られない画だったと思う。正直、これだけでも個人的にはかなり満足度の高い今回の配信だった。
その他にも「#サマチャン制作宣伝部」で見かけたアイディアと思しき演出が随所に見られ、特に中盤のアコースティックコーナーでは、「普段は見られないステラシアターの裏側での演奏が見たい」というリクエストにまさにこたえるような形で、ちょうどステージ背後の壁面の奥にある屋外芝生スペースに移動してのパフォーマンスが行われた。その後も最終盤まで、良い意味で「例年通り」の隙のないセットリストだったと思う。そして、自分からはもう一つ無茶な提案をしていたのだが、
さすがに富士河口湖町の皆さんに『purest note』を歌っていただく、というのは無理があったものの、ライブの冒頭の河口湖駅からステラシアターまでの車窓からのムービー(この提案も、自分とは別の方がそのままの内容で提案されていた)や、ライブ終演後のエンドロールの中で、近隣施設・店舗の方々からのビデオメッセージが紹介されるなど、このライブならではの富士河口湖町との交流も見られたことはしっかりと記しておきたいと思う。なお、『purest note~あたたかい音』は、2011年の第3回目、震災の直後の河口湖ライブでMVが撮影された、この地とゆかりの深い楽曲でもある。
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さて、茅原実里の背中である。声優としてデビュー15周年を迎えた茅原が、これだけの長期にわたって活動を続けてこられた理由を、多くのファンは「みのりんの笑顔がスタッフやファンを笑顔にして、どんどん笑顔が広がっていくから」という。自分も、間違いなくそう思う。その姿の象徴的なものが、実は正面の笑顔よりもむしろ背中に見て取れるというのは何だか逆説的な気もするが、実際、今回のライブへの歩みを振り返ってみても、要所要所で茅原はファンに〈背中〉を見せていた。
ひとつめは、最終リハーサルを終えた直後の茅原実里公式ツイッターアカウントからの発信。
リハーサルを終え、スタジオに一礼する茅原の写真が添えられていた。茅原のライブに対する思いは、各種インタビューや本人のラジオ・ブログあるいはライブ本編中のMCなどを通じて何度も語られているが、その思いを何よりも雄弁に語る背中がこの写真には写っている。
そしてふたつめ。奇しくも今回のライブへの意気込みを語るインタビュー記事にも、茅原の背中の写真が使われていた。
これこそ「追いかけたい背中」であり、茅原にかかわるすべての人間が追いかけ続けてきた背中だ。この背中のために、皆が情熱と愛情を注ぎこんでいる。今回のライブでも、茅原は背中を見せてくれた。ただ、その背中は今まで見せてきたどの背中よりも赤裸々でリアルな、そして、ボロボロの背中だった。
まず、今回のライブにおけるパフォーマンスについては、やはりというか、コンディション的には十全のものとは言えなかった。それは、配信の画面越しにも痛烈に伝わってきた。このコロナウイルス禍の状況にあっては、ライブに向けてのフィジカルづくりも十分にはできるものではなかったのだろう。本人も終演後の打ち上げ生配信で、ボイストレーニングについて量も質も十分に確保できていなかったことを明かしている。こればかりはどうにもならないことだが、その様子も含めて「2020年の現在地」であり、それを隠すことなく見せてくれた〈みのりん〉のファンへの信頼と愛情はとても強く感じられた。これはこれで、忘れられない歴史に今後なっていくと思う。
もう一つは、やはり「5月のこと」。あくまでもプライベートな領域での出来事であり、ファンにとってはある意味で関知すべきではないところ、加えて、本人と関係者以外の部分でこの出来事についての当事者がいることを踏まえ、ここでこれ以上詳しいことを述べるのは避けるが、本人のMCでの言葉にもあった通り「多くのものを失い、これからも失っていくものがある」というのは残念ながら間違いないことだと思う。なにより、プライベートなことなのでこの場で話をする必要も、もしかしたらないのかもしれない。仮に、このことに一切触れずにライブが終わっても違和感などないし、大多数のファンはそのことに対して不満を抱くことはないだろう。それでも敢えて〈河口湖〉という場所を選んで正面から語りかけたのは「もう私とファンの関係性はそんな軽いものじゃない」というMCの言葉にもあった本人の意思にほかならず、そんな背中を「見せる」決断をした〈みのりん〉には感謝しかないし、今後もファンとしてその背中を追い明けたいという思いを、少なくとも自分は新たにしたのである。
今回のライブについては、そういったこれら経緯からも「やらない」という選択肢も実際にはないわけではなかったようだ。しかし、そんな茅原の〈背中〉を押したのが、茅原実里アーティスト活動の現プロデューサーで、ファンの間でも「すずめちゃん」の愛称で親しまれているランティスの鈴木めぐみ氏だという。
鈴木氏がプロデューサーに就任したのは、前出の斎藤氏がランティスを退社・独立した後のことではあるが、以前よりセールスプロモーターとしても〈チームみのりん〉に長くかかわってきた人物で、茅原実里を近いところから見続けてきた人である。ひとつ、どうしても紹介しておきたいエピソードがある。それは、2007年に発売された『message01』という、茅原の楽曲MVやそのメイキング、各活動におけるオフショットなどをまとめた活動記録的映像パッケージ作品の中での、スタッフへのインタビューでのこと。当時セールスプロモーターだった鈴木氏は、このようなことを言っていた。
私は、みのりんのためだったら何でもやる。
とても熱い気持ちにあふれた一言だが、この13年後、まさにその「何でもやる」という言葉の通り、鈴木氏が、傷ついて再び立ち上がれるかどうかの瀬戸際にいた茅原の〈背中〉にカツを入れたのだ。アーティストをかたち作るのが〈歴史〉だとすれば、その積み重ねてきた歴史が、今後も紡がれるであろう歴史を動かしたとも言うことができるのではないか。
『message01』には、付属のCDが付いていて、そこに収録されていたのがファーストアルバム『contact』(全12曲入り)の補完をする楽曲としての『contact13th』で、その歌詞は以下の通りだ。
今回のライブでこの楽曲は歌われなかったが、改めて歌詞を見返してみると、まるでいつか訪れる危機を強い絆で強く乗り越えていってほしいというメッセージが込められていると感じるような気持ちにさせられる。別のアーティストで、やはり声優アーティスト界に身を置く「DIALOGUE+」というユニットの、ファーストアルバムの最後に収録された『僕らは素敵だ!』という楽曲があるのだが、この曲を作詞・作曲した田淵智也氏もそのコンセプトとして
マジな話になりますけど、彼女たちには今のその気持ちを忘れずに未来に向かってほしいんです。DIALOGUE+に限らず、多人数のユニット、まあバンドだってそうなんですけど、少し時間が経つとメンバー同士の仲が悪くなったり、取り組む姿勢や態度が悪くなることだって全然あると思っちゃうんですよ。でも、一緒に夢を追いかける大切な仲間だし、みんなで尊重し合って力を合わせてがんばれば、よくない未来になるのをちょっとでも防げるかもしれない。その手助けをできないかと思っています。だから「仲間なんだから、絆を大事にしろ」と思って歌詞に込めたものをしっかり歌ってほしかったし、それをお客さんにも知ってもらいたいんですよね。(natalie「DIALOGUE+「DREAMY-LOGUE」特集」)
まさにそのことに言及している。アーティストとして歴史を紡ぐことの力強さと、時として苛烈さを感じるエピソードとして、鈴木氏と『contact13th』が〈13〉年の時を経て紡ぎ出したドラマに気が付いたことを、是非とも一ファンとして覚えておきたい、このような形にして記録しておきたいと思った。
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そんなこんなで、〈みのりん〉のアーティストとしての歴史は、これからも紡がれていくことと思う。それが続く限り、また〈河口湖の8月〉は巡ってくる。来年こそはあの場所でまた、みんなと会えることを願って、2020年の自分にとっての「サマチャン」を締めくくりたい。
この夏の思いつきも、やがては思い出へとならん事を。