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1.クリスマスの奇跡

  場所はニューヨークの外れ。誰も気がつかないような小さな画廊で、若い画家の個展が開かれていた。
 壁にツタの這う、苔むした煉瓦造りの古いビルだった。画廊の中に客は数人いるだけ。 画廊の女主人は閑散とした会場を眺め、ため息をついた。
 二十点ほどの絵が壁に掛かっていた。
 強風にさらされた荒涼とした岩場、ニューヨークのおだやかな雰囲気の秋の昼下がり、夕日に照らされた砂漠を行くラクダに揺られる人の列。ヨーロッパ、クリスマス市の華やかな雑踏、などなど季節も場所もさまざまなのだが、どの絵も淡くセピア色の霞がかかり、哀愁を帯びた色使いは、見る人を引きつける魅力を持っていた。
 そして、もう一つの特徴は、いずれの絵にも同じ顔の女性が描かれていることだった。
 セントラルパークではキャンバスの中央に、クリスマス市ではワインに酔った男の後ろに、かすかに微笑んだ優しい姿で描かれていた。砂漠ではラクダに乗り、夕日の地中海を眺め、半ば崩れ落ちた煉瓦造りの家の中では、食事のしたくをしていた。
 お世辞ではなく、この若い画家には確かに才能がある、と女主人は思った。先月、マンハッタンの有名な画廊で水着の美女を集め、マスコミを前に饒舌に空疎な美を語っていた男よりも、遙かに画家として才能にあふれ、人の心に響く絵を描いている。
 目にとまりさえすれば、みんな気に入ってくれるだろうに、と女主人はため息をついた。

 部屋が少しにぎやかになってきた。会社帰りの人たちがポツリポツリと画廊のドアを開けていた。
 個展は今日で一週間になった。少しずつだが、来場者が増えてきていた。たまたま足を運んだ人が絵の良さを口コミで広めてくれたのか、それとも無料の入場券をレストランに置いてきた効果なのか、多分、その両方なのだろう。ただ、いずれにしてもお金にはならないことに違いはなかった。
 幸運にも数点売れたとしても、彼の生活が劇的に変わるわけではない。この街では、いたるところで展覧会が開かれている。マスコミや有名な評論家がこの画廊に訪れる時間はない。彼らの目にとまるためには、いかにも彼らが好きそうな、もっと騒々しい、何だか分からない絵を描かなくてはならない。
 この展覧会も赤字だろう、それでも、感動したように立ち止まり、彼の絵をジッと見つめている女性やカップルを見ていると、個展を開いてよかった、と心から思えた。

 今日は画家本人も画廊にきていた。今は砂漠の絵の前で中年の女性に絵の説明をしていた。
 彼は孤児だった。中東系の浅黒い肌と彫りの深い顔立ちをしていた。出身地はアフガニスタン、首都カブールの近郊で、戦火の中、瓦礫に埋もれていたのを米軍の兵士に救われた。
 頭に銃弾を受けていた。カブールの病院で手術をし、命は取り留めたのだが、記憶は全て無くしていた。
 名前や年齢はもちろん、住んでいた家も両親も何もかも、話す言葉さえ記憶から消えていた。
 背格好から三歳ぐらいだろうと推測し、瓦礫の中から救い出した日を誕生日とした。
 彼を救い出した軍曹がポール・メイソンと名前をつけ、自分の養子にして一緒にアメリカに連れてきた。二十年前の話だ。

 彼が女主人の画廊に初めて訪れたのは、秋、イチョウの葉が色づきだしたころだった。
 彼は個展を開きたいと言い、彼女は取りあえず絵を見せてもらった。
「はぁ……」 
 絵を見た瞬間、思わずため息が出た。セントラルパークの秋の夕暮れ、画題は平凡だが、水彩画を思わす淡い色調が、もの悲しくも優しく心にしみこんできた。
 彼女は絵を一目で気に入った。
「お金はあまり……」
 彼は消えそうな声で言った。
「お金はいいわ。どうせ……」
 どうせ、の後の言葉は飲み込んだ。どうせ、赤字続きで、画廊は閉めるつもりだった。
 いい絵に出会った。丁度良い、これを最後にしよう。祖父の代から続けてきた画廊だったが、今はネットの時代だ。古めかしい画廊が生き残れるおとぎ話のような街は、もうどこにもない。
 彼も、多分これが最初で最後の個展だと、言った。彼を救い出した軍曹がガンで入院した。彼は手術代を稼ぐために軍に志願するのだという。絵よりも、まず生きて行かなくてはならない。
 個展のために持ち込まれた絵を画廊に飾りながら、女主人は絵の中の女性に気づき、この人は誰なのか、画家にたずねた。
「僕にも、誰かは……」
 画家は小さく首を振った。意識して描いてるわけではなく、描いていると、自然にそこに現れてくるのだと言う。
「お母さんかしら?」
 と女主人は言いかけてやめた。彼は何も覚えていない、聞いても辛い思いをさせるだけだ。自分の名前も誕生日も分からず、両親の顔も思い出せない。自分だったら、どんな思いで生きて行くのか、想像もできなかった。

 画廊のドアが開き、冬の冷さといっしょに、明らかにホームレスと思われる年老いた女性が入ってきた。
 顔も髪の毛も着ているボロ布のようなコートも、土埃や車の排気ガスで薄黒く汚れていた。持っているのは大ぶりのトートバッグが一つ。ゴミ置き場から拾ったばかりなのか、まだ真新しく、古びたコートとの対比がかえって惨めさをきわだたせていた。
 何日もシャワーを浴びてないのだろう、離れていても臭いが漂ってくるようで、絵を見ていた来場者たちは、老女が入ってくると、一歩二歩と後ずさりして離れた。
 老女は画廊に入ると、一枚一枚、ゆっくりと壁に掛かった絵を見ていき、画家に近づいていった。
 老女は画家の前まで行くと、彼の顔を見上げ、コートのポケットから、折りたたんだ古い紙を取り出し、彼に差し出した。
 若い画家は、一瞬、戸惑った顔をしたが、差し出された紙を受け取り、両手で開いて中を見た。
 離れていても彼の手が震えだすのがわかった。彼は紙に描かれた絵と老女の顔とをかわるがわる見つめた。
 彼の体が小さく震え、涙が頬を伝わっていった。
「お母さん……」
 彼は老女の手を握った。
「お母さん」
 画家はもう一度言い、老女を抱きしめた。

 紙が彼の手から床に落ち、近くにいた女性が拾い上げた。女性は描かれた絵を見て、「あっ」と小さく驚きの声を上げ、こみ上げる嗚咽をこらえるように口に手をやった。
 連れの女性も絵をのぞき込み、驚いた顔で画家と老女を見た。
 老女が持っていた紙が、客の手から手に渡され、女主人のもとに届いた。
 染みがついた古い紙に描かれていたのは、幼い子が描いた母親の笑顔だった。それは、画家の絵の中にいる女性によく似ていた。
 ざわめきが広がり、誰かが、抱き合う二人の写真を撮った。そして、スマートフォンを操作し、SNSに投稿した。
 さらに一人、また一人と写真を撮っては、画廊の外に向けて発信しだした。いかにも、現代の風景。今は、一人一人が記者でアナウンサーで放送局になっている。
 彼らがSNSに写真やコメントを載せてくれ、それを誰かが見て画廊に足を運び、また感想を書き込む。もしかしたら、有名なブロガーが、この画廊で起こった出来事を小さな奇跡として紹介してくれれば、それがきっかけで彼の絵が売れ、彼は戦場へ行かなくてもすむかもしれない。そして、この画廊も……。 スマートフォンを操作する人たちの様子を眺めながら、画廊の女主人はそんな幸運を願った。

 実は、以前にも、女主人は老女を見かけたことがあった。画廊から自分の住むアパートに帰る途中のことだった。
 初めて路上でその女性を見かけたとき、あまりのみすぼらしさに、彼女は十ドル札を出し、老女に渡した。老女は金を受け取り、知らない人物の名前を言いながら頭を下げた。どうやら、老女の記憶は曖昧になっているようだった。過酷な日々が彼女から記憶を奪っていったのだろう。
 昨日、彼女は、やはり老女を見かけ、十ドル札と一緒に折りたたんだ紙を渡し、明日、画廊に来て、若い男性にその紙を渡すようにとささやいた。前夜、女主人は古い紙をみつけ、三歳児のような絵を描いた。
「きっと、良いことがあるわ」
 老女は、彼女の言葉を覚えていたようだ。老女は画廊を訪れ、絵を見て、画家と会った。老女と画家は見つめ合い、抱き合った。
 老女の目には、彼が遠い記憶の中に生きている彼女の息子に重なって見えたに違いない。そして、きっと、若い画家は、老女を思い出せない記憶の中の母親の姿に……。

 やりすぎたかしら……。
 女主人は少しだけ後悔した。もし、間違いと分かったら二人はどれだけ落胆するか。自分は都会で長く生きすぎて、嘘をつくことに痛みを感じなくなってしまっている。
 女主人は、改めて手の中の絵を見た。
「えっ……」
 違う。手の中にあるのは、自分が描いた絵ではなかった。他の誰かが描いた絵だ。幼い子の絵か、母親の描き方に彼の絵の面影が感じられた。
「まさか……」
 目をあげると、一瞬、抱き合う二人の姿が光に包まれたように見えた。
 クリスマスイブ。殺伐とした世界。一つぐらい本当の奇跡があってもいい。

クリスマスの奇跡




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