まちの起爆剤
いまだに主流を占めるハコモノ神話
活性化の起爆剤
最近も様々なところから「まちの起爆剤になるようなプロジェクトをやってみたい」というご相談をいただいたり、業界新聞等でも「〇〇町はまちの起爆剤としてホール(・公民館・道の駅。。。)の整備について〇〇研究所へ基本構想策定業務を発注」といった記事を目にします。
社会資本整備総合交付金、公共施設等適正管理推進事業債、過疎債などを使って身の丈を超えたハコモノを一つ作ればまちが活性化するなら、そんなに簡単なことはないですし、全国の地方都市は現在のような困難に直面していないはずです。
まちの起爆剤はいつまで経っても不発弾です。そして不発弾のままだったらまだマシなのです。爆発すると墓標になってしまいます。
庁舎はまちのシンボル
数年前に支援業務で携わらせていただいた九州のあるまちは、熊本地震で庁舎が被災し、緊急保全事業を活用してイニシャルコストだけで100億円を超える巨大な庁舎として整備することとなっていました。
庁舎は市民生活を支えるために必要なものであり、災害対策本部にもなることから「きちんとした性能」が求められます。しかし、このときも地方都市で敷地に余裕があるにもかかわらず地下駐車場、子どもたちが勉強するスペースなどを次々と(何となく)追加し、明らかにオーバースペック・地方自治法上の位置付けである事務所から逸脱したものとなっていってしまいました。
時間軸から見てもまだ見直す時間・余地が多少は残っていたことから、このことに苦言を呈すと同時にコンストラクションマネジメントによるコストコントロールや仕様の見直しなどを本気で提言しました。
しかし残念ながらこうした思いが伝わらなかったどころか「お前は今まで執行部が議会・市民に説明してきたことがあたかも間違っているという誤解を与えた!」と猛反発を受け謝罪文を求められることになってしまいました。
自分たちのまちのことは自分たちが結果責任を取れば良いので、それ以上は深入りしませんでしたが、すでに庁舎が竣工したこのまちが、庁舎を起爆剤として活性化したというニュースを耳にすることはありませんし、人口も減り続けています。
更にこのまちでは先日の新聞記事によると、新たな「まちの起爆剤」として2,000人規模のプチMICEの整備を検討しているようです。庁舎だけでは足りなかったのでしょうか。
計画づくりの無限ループはこちらのnoteに書きましたが、このまちは補助金・交付金・起債に依存した起爆剤・ハコモノづくりの無限ループがきっと「まちが活性化するまで」続くのでしょう。
起爆で自爆
「まちの活性化の起爆剤として。。。」の文脈は市街地再開発事業における再開発ビル、まちからスケールアウトした大型総合運動公園・ホール・図書館などのハコモノ、郊外の工業団地誘致、官製巨大住宅団地開発なども含めて、これまでのハード先行型行政では王道の方法論でした。
しかし、これらに共通するのはハードを整備すれば「誰かが・全国から・勝手にやってくる」というリアリティのないオママゴト論理でしかありません。担当者や関係者すら行かない(行く気もしない)ようなところに全国から人が集うわけがありませんし、「誰」の顔が見えないようでは、うまくいくわけがありません。(こうしたプロジェクトでコンサルがつくるパースには無数の人が描かれますが、「人の顔」はのっぺらぼうであることが大半です。)
皮肉なことに、「まちの起爆剤」として整備したはずのハードが、まちを自滅させてしまいます。「起爆剤で自爆」笑えませんが、全国各地で多数の起爆剤が自爆しまくり、墓標が各地で乱立しています。
冷静に見つめる
昭和時代の幻想
JFMAジャーナルの寄稿記事でも書きましたが「ハコモノを作ればまちが活性化する」は、高度経済成長期の理論で、ハコモノをつくるからまちが活性化するのではなく、強烈な右肩あがり・人口急増を受け止める社会インフラとして「後付けで」学校・道路等が整備されてきたのです。
現在の人口減少、少子・高齢化、ニーズの多様化、住宅や仕事の場所・やり方等の多様な選択肢がある時代に高度経済成長の理論が通じるわけがありません。
もはや昭和でも平成でもないのに昭和の思考回路・行動論理でやってしまうことが間違っています。高度経済成長からバブルの頂点までは「様々なものが不足し、強烈なニーズが先付け」されていたことを忘れてはいけません。
そして同時にバブルの頂点まではこうしたニーズを強烈な右肩上がりの経済で支えていたので、単年度会計現金主義の行政でも十分に成立していましたし、この時代の国債や地方債はほとんどゼロと言っても過言ではないほど小さなものでした。
一方で今回のテーマとしている「まちの起爆剤」は、停滞したまちの空気感・実態を吹っ飛ばす≒ニーズがない状態で、ビジョンもコンテンツもセットアップしないまま魂のないハコモノに未来をかけてしまうのですから、良い方向で起爆するわけがありません。
庁舎を作ってもオフィス人数は変わらない
「庁舎はまちのシンボル」、これも巨大庁舎を整備する際には必ずと言って良いほど基本構想・基本計画で記される言葉です。
上記のnoteにも書いたとおり、庁舎のことをまちのシンボルと思っているのは、庁舎建設に関わる人たちだけで、地方自治法の位置付けは「事務所」ですし、市民にとっても普段から関わる場所ではないのでシンボルになっても意味がありません。
そして、「庁舎でまちが活性化する」と妄信している人たち、冷静に考えましょう。事業が急激に拡大している企業の本社ビルや貸ビルであれば、そのハコに入る従業員数が増加したり、客層が高価格帯に変わっていくことはあるかもしれません。しかし、庁舎では職員数は(合併市町村などで庁舎を集約して膨らむことはるかもしれませんが、)ほぼ一定ですし、何より職員はお城に籠りがちでまちなかで消費する人が少ない(し、客単価の安い層が多い)ので、まちの経済を劇的に良くする要因にはなりません。
目先の利益を得られるのは。。。
では、ハコモノを作って目先の利益を得られるのは誰でしょう。
直接関わった設計事務所、ゼネコン、保守管理業務にあたるビルメンテナンス関連業者、(サービス購入型の指定管理委託料をもらえる指定管理者、)基本構想やアドバイザリー業務で関わったコンサルタント。これらの人たちはハコモノ整備によって直接のリターンを得ることができます。
特に設計事務所・ゼネコン・コンサルタントは竣工と同時にキャッシュを得ることと同時に、契約関係も終了するので手離れ(≒利益を確定)することができます。
オペレーションするときにはいませんし、その責務を負う必要もありません。
誰も来なくても、基本計画等で描いたコンテンツ・未来が叶わなくても損をすることはありません。その結果責任は残念ながら発注者たる行政が負うしかありません。うまく回らないとハコモノは悪い意味での起爆剤となってしまい、時限爆弾の自爆ボタンしか残りません。
「やった感」しかない
このようなビジョン・コンテンツが十分に精査されないなかでハード整備だけが先行したハコモノ≒時限爆弾であっても、竣工式典では多くの関係者が集ってそれまでの労をねぎらいあい、「やった感」が溢れるでしょう。
ただ、大半のハコモノ≒ザ・公共施設の問題は、この竣工時点がゴールとなってしまい、それ以降に「愛されない」ハコモノ≒自治体経営上の負債になってしまうことです。
「やった感」だけを得た後に残るものは時限爆弾だけです。竣工によってハコモノは竣工即負債に成り下がると同時に、いつの日か自治体の経営に致命傷を与えかねない時限爆弾の導火線に着火してしまいます。
世の中の魅力的なプロジェクト
一方で近年、オガール、INN THE PARK、糀や、タグボート大正などの魅力的で本格的なプロジェクトも全国各地で生まれ始めています。
前述のザ・公共施設≒ハコモノ≒時限爆弾とこれらのプロジェクトには決定的な違いがあります。後者の魅力的なプロジェクトを冷静に見てみると、ハコが起爆剤になっているのではありません。きっかけとしてハコのセンスなども重要な要素になっていますが、あくまでこれらを支えているのはそこで提供されている充実したコンテンツであり、それを取り巻くプレーヤーの方々の魅力と弛まぬ現在進行形の努力です。そこからリンクした場のデザインができあがっているのです。
一瞬で爆破することを目指す爆弾、起爆剤ではなく、長い時間をかけて徐々に客付けをしていく・コンテンツを磨き上げていく、コンテンツやプレーヤーと密接にリンクしていることに大きな違いがあります。
長い導火線
「まちの起爆剤」としてのザ・公共施設のもうひとつの大きな問題は、竣工即負債になっているにも関わらず、自治体経営に致命的なダメージを与えるのは竣工後何年も(ときには何十年も)経過してから自爆することです。
その間に膨大な維持管理コストがかかったり、そのハコモノが鎮座することでエリアの価値が下落したり、ただでさえ「愛されない」のに老朽化で機能が陳腐化して使い勝手がさらに悪くなったりします。そのことに気づいた瞬間には手に追えない事態に陥っており、爆破か魔改造しか選択肢が残りません。
気づいたときには「時すでに遅し」。この導火線がどの程度の長さを持っているのか、本当に着火しているのか、それぞれの爆弾によって異なりますし、なかなか見えない(見る人すらいない)のが更に恐ろしいところです。
アメーバ型
小さなプロジェクトの意味
いろんなところで「小さなプロジェクト」が重要だと主張しています。
小さなプロジェクトを推進していくことで経験知が蓄積し、時限爆弾を見抜く感性・スキルが自ずと醸成されていきます。
規模が小さいので軌道修正がしやすいですし、いろんなことを試すことができる、いろんな人たちが関われる、どう進化するかわからないといったメリットがあります。更に仮に爆発しても、爆弾そのものが小さいので自治体経営へ与える影響もそれほど深刻にはならないことが大きなメリットとして挙げられます。
改めてビジョン・コンテンツ
ハコモノ神話・時限爆弾を予防するためにも、改めてビジョン・コンテンツが重要です。
「何のためにやるのか・何をしたいのか≒ビジョン」と「それを実現するために誰が・何を・どういう頻度で・どのような収支でやるのか≒コンテンツ」をセットアップしたうえで、様々な与条件を整理していけば少なくとも「そもそもの超極悪爆弾」になってしまうリスクを激減させることができます。
なぜなら、「まちの起爆剤≒一撃・一瞬でまちを大きく好転させるプロジェクト」などできないことが自ずから見えてくるからです。
柔軟な軌道修正
起爆剤事業は、そのまちの身の丈を超えた規模である場合が多く、国の補助金・交付金や起債などに依存しているものが大半です。こうした「自分たちだけでコントロール」することが難しい要素が含まれることで(制度上・仕組み上は変更も可能なのですが)動きが取りにくくなってしまいます。
更に何年もかけてコンサルへの丸投げ業務委託で作ってしまった市場性を伴わない基本構想・基本計画によって時限爆弾の設計図が拘束され、膨大な経営資源を投下してきた爆弾に口を挟むことは御法度となってしまうのです。
爆弾と分かっていながら爆弾を作ってしまう。。。恐ろしいですね。
裏を返せば、柔軟に軌道修正していくことができれば時限爆弾をコントロールできたり、起爆装置を取り除いたりできるだけでなく、きちんとまちの経営に貢献できるプロジェクトに置換できる可能性がみえてきます。
行政が制度・政策で進化を促進
ひとつずつの小さなプロジェクトを軌道修正しながら丁寧に進めていくこと、その具体的な事例をみてみましょう。
福知山市では廃校活用にあたり、市街化調整区域内であっても民間事業者の使いたい形に合わせて地区計画をかけて制度的なサポートをしています。
更に開発許可を柔軟に運用することによって上記のS-LABも成立しています。
射水市では老朽化した公共施設、高齢者向け温泉施設を社会福祉法人に売却してサープレイ足洗温泉として再生しています。
こちらでは、敷地の目の前に位置する都市公園もあわせて市民ニーズを踏まえながらドッグランなども整備して、エリアの価値を向上しています。
いずれも民間主導・行政支援の形ですが、このような形式によって民間の経営感覚で「自爆前提のハコモノ」になるリスクをほぼ回避できることとなります。当たり前ですが、民間は自らの組織を壊滅させるようなプロジェクトは行いませんし、金融機関の協力も得ることはできません。
このようなリアルなプロジェクトがまちなかの様々なところで点として行われてくること、それらが何らかの機会で必要に応じて交わったり離れたりを繰り返していくことで、まちがアメーバー状に進化していきます。
こうしたことを制度・政策で誘導していくのが行政としてできること、思いがけない方向に行くこともあるでしょうが、大きなビジョンを持って民間に委ねたり、必要なコントロールや軌道修正をしていくことが大切です。
まちの経営責任
時限爆弾を作って自爆してしまうのか、小さなプロジェクトから丁寧に蓄積してアメーバー状にまちを再編して新陳代謝を促していくのか、それぞれのまちの覚悟・決断・行動によって将来は大きく変わっていきます。
残念ながらそのまちを自爆させる超巨大爆弾に関わってきた人たちは、経営感覚が欠如しているので本気で「まちの起爆剤」と感覚で思い込んでいたりします。既得権益への忖度・その場を取り繕うことによっても時限爆弾は膨張していきます。
こうした爆弾に関与してしまった人たちは、爆弾の影響範囲外にいたりするので更にタチが悪いわけです。
「まちの経営責任」は、そのまちの人たちがとっていくしかありません。
まちは現在進行形です。一発逆転ホームランは簡単に打つことができませんし、普段からバットを振っていない人・それだけのスキルが備わっていない人にはそもそも物理的にホームランを打てません。
地道にまちとリンクしたプロジェクトを試行錯誤しながら経験知や空気感を醸成し、アメーバー状にまちを進化させていく。そうしたなかで更に飛躍していくためにまちの命運をかけるプロジェクトを展開する機会が訪れるかもしれません。
「思いつきでの起爆剤」と「経験知に裏打ちされた勝負のプロジェクト」は全く異なることを理解するしかありませんし、全国的な事例をコンサル丸投げで劣化コピーしてもうまくいかないことは、今回のnoteで書いたとおりです。
あなたのまちの「起爆剤」、本当に大丈夫ですか?
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