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まちの新陳代謝と公共資産

ザ・公共施設マネジメント脱却のための3要素

先日、オガールで開催したセミナーのテーマは、「ザ・公共施設マネジメントからの脱却」でした。

そのときに趣旨を伝えるために使ったスライドがこちらです。

オガールのセミナーで使用したスライド

後段でも改めて説明しますが、「財政が厳しいから公共施設の総量を減らせば良い」という旧来型行財政改革の短絡的な削減一辺倒のザ・公共施設マネジメントが残念ながら機能しないことは、現在の世の中を見れば明らかです。
このあたりは、下記のコラムでも違う視点で記しています。

「ザ・公共施設マネジメント」が通じないのであれば、そこから脱却するしかないわけですが、そのキーワードとなりうるのが「負債の資産化・まちの再編・まちの新陳代謝」の3つです。

今回は、そのなかでも「まちの新陳代謝」にフォーカスを絞って考えてみます。

ザ・公共施設マネジメントの迷走

公共施設等総合管理計画の改訂期限延長

総務省は、公共施設等総合管理計画の見直しを2022年3月末までに行うことを自治体に求めていましたが、「令和4年度の地方財政の見通し・予算編成上の留意事項等について」(17ページ)でシレッと次のように記しています。

https://www.soumu.go.jp/main_content/000789038.pdf

なお、公共施設等総合管理計画については、令和3年度中の見直しを進めていただいているところであるが、新型コロナウイルス感染症の影響等により見直しの完了が令和4年度以降となる地方公共団体においては、適切に見直しを進め、令和5年度末までに見直しを完了していただきたい。これに関し、地方公共団体が適切に見直しを実施できるよう、専門家の招へいや業務委託等、公共施設等総合管理計画の見直しに要する経費に対する特別交付税措置を令和5年度まで延長することとしている。

令和4年度の地方財政の見通し・予算編成上の留意事項等について

そもそも、この改訂に関する総務省通知「令和3年度までの公共施設等総合管理計画の見直しに当たっての留意事項について」では、新型コロナウイルスの「コ」の字も一度も出てくることはありません。
にもかかわらず、改訂期限の見直しはコロナを理由としています。

https://www.soumu.go.jp/main_content/000729985.pdf

ここに新たに書かれているのは、新たに改訂にあたって定める事項として

・ 過去に行った対策の実績
・ 施設保有量の推移
・ 有形固定資産減価償却率の推移
・ユニバーサルデザイン化に関する基本方針

令和3年度までの公共施設等総合管理計画の見直しに当たっての留意事項について

が主なものとなっています。

冷静に考えれば、この通知の出された当時は新型コロナウイルスがまだ得体の知れなかったものであり、リスクヘッジの観点から公共施設は軒並み休館、休校を迫られていました。そして、新型コロナウイルスは同時に旧来型行政で重宝されたマジックワードの「賑わい」「気軽に集える」「みんなが寄り添う」といった概念を根本から覆し、公共施設のあり方だけでなくそもそもの存在意義を問うものとなっていたはずです。
にもかかわらず、残念ながら2014年の総合管理計画の策定要請の骨格を踏襲し、「施設総量」にフォーカスを絞っているのは(大幅に変更すると自治体が混乱するという配慮があったのかもしれませんが)、やはりザ・公共施設マネジメントが旧来型行財政改革の一環であり、「行政の歳出におけるコスト削減」のみが総務省の関心事となってしまっているからではないでしょうか。

国の方向性には何ら疑問を持たず従順に従う自治体は、このザ・公共施設マネジメントで「公共施設の老朽化問題が解決する」と無垢に信じ、総合管理計画⇒個別施設計画⇒総合管理計画の改訂という計画の無限ループに陥ってしまっているように感じます。(さらにタチの悪いのは、この計画づくりの無限ループに入り込んで二次元の計画策定業務で荒稼ぎをするコンサルや、空中戦の議論だけを行う学識経験者などによる有識者委員会です。)

でも、そのようななかでもまちは生き残ろうと必死に動いています。行政が手をこまねいている間に、計画作りに勤しんでいる間に、公共施設・インフラはどんどん老朽化し、機能も陳腐化し、社会ニーズとも乖離していきます。公共施設だけがまちのなかで「硬直化」していっているのです。

公共施設等適正管理推進事業債のメニューが。。。

2022年度の総務省による「公共施設等適正管理推進事業債」のメニューは次のようなものになっています。

令和4年度地方財政対策の概要

また、「公共施設等適正管理推進事業費」について、令和4年度以降も、地方公共団体が、引き続き公共施設等の適正管理に積極的に取り組んでいけるよう、事業期間を令和8年度まで継続し、脱炭素化事業(令和7年度まで)を加えるとともに、長寿命化事業の対象に空港施設及びダム(本体、放流設備等)を追加することとし、令和4年度は5,800億円(前年度比1,000億円増)を計上することとしている。

令和4年度の地方財政の見通し・予算編成上の留意事項等について

SDGsがスマートシティ、DXなどとともに世の中のトレンドになっていることは間違いありませんが、なぜ唐突に「施設総量縮減」「行政のコスト削減」を目指していたはずのザ・公共施設マネジメントで脱炭素なのでしょうか。

気持ちはわからなくもないですし、脱炭素がこれからの世の中の大きなテーマであることも間違いありません。
ただ、脱炭素は「交付税措置付きの起債」で対応するものなのでしょうか。そして、公共資産だけでやるものなのでしょうか。総務省のザ・公共施設マネジメントの枠組みで対応するものなのでしょうか。

それこそ脱炭素を目指して公共施設の省エネ改修をするのであれば、シェアード・セイビングス方式のESCOを活用することで、エネルギーの削減保証(≒脱炭素の定量的な約束)をつけたうえで、かつ民間資金・ノウハウを活用してダウンサイジングしていくことができるはずです。

もう少し単純に照明のLED化だけであれば、(ESCOと比較してメリットは薄いと思いますが)リース方式も有効な手段となります。

しかし総務省が、行政用語でいうところの「有利な起債」を準備してしまうことで、担当者のチャレンジしようとする意欲を削ぎ、あるいは思考停止させ、財政部局や議会の理解も得にくくなってしまうことから、よりクリエイティブなはずのESCOは選択肢から除外されてしまいます。
公共施設等適正管理推進事業債の総額は決まっていることから、総務省が目指していたはずのザ・公共施設マネジメント(≒短絡的な総量縮減)に回せるはずの財源も結果的には脱炭素などをメニューに組み込むことで減少してしまうのです。

旧来型行財政改革の思考回路≒短絡的な総量縮減

このコラムや拙著「PPP/PFIに取り組むときに最初に読む本」でも何度も記載しているとおり、旧来型行財政改革の思考回路による公共施設等の老朽化・更新問題を短絡的な総量削減、「減らせば良い」の一辺倒で解決することはできません。

”ザ・公共施設マネジメント≒「行政が所有する公共資産」を短絡的に減らせば良い”ことの問題点は他にもあります。「行政が所有する公共資産」だけにフォーカスを絞っていることです。
「まち」全体から考えると、行政はそのまちの最大の資産保有者であっても、まち全体の不動産ストックからみたら、その保有している割合はごくわずかでしかありません。利用者市民にとって生活の一部である公共施設、その小さく(設置管理条例で定めたグレードを果たせていない)機能を果たせていない「点」を統廃合していこうが、まちの経営は大きく変わりません。

むしろ、旧来型行政の思考回路で削減一辺倒の話しか出てこないまちでは、希望を感じられれないため、「そのまちに失望した動ける人≒お金を持っている人・他のまちでもビジネスができる人・若くてまだゼロからやり直しのできる人」から流出していきます。まちを創ってくれる・支えてくれる人たちが流出することで税収は減少し、更に公共施設や政策を減らしていかなければいけなくなる。そのことで人の流出が加速する。このような負のスパイラルを自ら発生・助長してしまうのが、ザ・公共施設マネジメントの根本的な問題のひとつなのです。

公共施設等総合管理計画の目標年次?

ザ・公共施設マネジメントによる公共施設等総合管理計画では、「2040年度までに保有する公共施設の総量を30%削減する」といった目標数値が掲げられることが一般的です。
拙著でも解説していますが、公共施設を削減した後に「そのまちの公共サービスはどうなっているのか?」といった行政的な視点すら欠落しています。
本来は、(行政の経営感覚が欠如していたから勝手に発生させた問題を市民に責任転嫁し、)市民生活の一部を切り取ってまで身近な公共施設を削減した見返りとして、「どのようなまちが創出されるのか?」「どんないいことが待っているのか?」を明確に示すべきなのです。

それと同時に、計画の目標年次や「ある瞬間」をゴールと定めて良いのでしょうか。旧来型行政の思考回路では、公共施設は竣工してオープンする瞬間がゴールになってしまっています。だから、使える補助金・交付金は何か?といったイニシャルコストと従来型・PFI・リース。。。どの手法を用いるのかが論点となってしまうのです。
ビジョンやコンテンツも検討・精査されず、誰がどのような経営をしていくのか考えられておらず、竣工・オープンまでに全ての力・資金・モチベーション・興味を使ってしまうから、そこがピークとなってしまうわけです。
数ヶ月後に「あれっ、誰も使っていないぞ。。。」となっても、誰も責任を取りません。なんとか体裁を取り繕わなければいけないため、多額の税金を注ぎ込んだり、官製のキャッシュアウト前提のイベントで現実を目を逸らし続けることになってしまいます。

公共施設等総合管理計画も同様で、「目標年度」が訪れたらそこでおしまいなのでしょうか。総務省のロジックでは、個別施設計画と連動しながら「適切な時期に見直しを図っていくこと」を意図しているので、ある程度のローリングは意図としてあるのでしょうが、やはり前述のように今回の総合管理計画の改訂における主たる論点として「コロナ」が登場しないあたり、柔軟性は低いと思います。

まちは変化し続ける

コロナで激変した「まち」

新型コロナウイルスが蔓延して2年以上の時間が経過しています。当初、日本はコロナを未知のウイルスとして警戒し、あらゆる社会経済活動を「とりあえず」停止させることからスタートしました。
公共施設も例外ではなく、学校は休校となり、図書館・公民館・体育館等のいわゆる公の施設もほぼすべて休止となりました。公の施設はともかく、子どもたちはいまだに十分な修学旅行・運動会などの学校行事や部活動もできなければ、給食では黙食を強いられているのです。

そこから2年間、紆余曲折を繰り返しながら学校では(十分ではないですが)GIGAスクールの前倒し、タブレットの配付、オンライン授業などが行われるようになりました。公の施設でも消毒液・サーモセンサーの設置、換気の徹底、人数・時間の制限などの工夫により、「今までのサービス」をどうにか確保しようとそれぞれの自治体・利用者・指定管理者等が奔走してきました。オンライン会議・セミナー等のオンライン配信などもこの間に浸透し、打ち合わせやイベントなども大きく様変わりをしてきました。

民間ベースでは「とりあえず停止」や「それなりに再開」どころではすみません。飲食や観光業界を中心に多くの業種が、物理的に「人が動かなくなる」ことで壊滅的な打撃を受けることになりました。
様々な支援措置の影響もあり、この2年間での廃業数などは大きな数字として現れていませんが、まちなかの実態をみれば現実的にどれほどの被害が生じているかは一目瞭然です。
同時に政府を中心とした支援措置は「生き延びるため」に必要なものかもしれませんが、それだけでは全く足りません。過去のビジネスモデルと決別し、「コロナ禍でも成立する新しい生き方」を民間は求められています。否応なく新陳代謝が求められるなかで、自分たちなりの新しいビジネスモデル・道筋を見出せた企業、新陳代謝できた企業(と強烈な企業体力をベースとして元に戻るのを待つことができる企業)だけが生き残れるわけです。

最近は「コロナ前の世界」に先祖返りしようという動きもあちこちで見受けられますが、それはコロナから何も学ばなかったのと同じで、まさに「令和版失敗の本質」にしかなりません。

民間事業者や「まち」は、コロナ禍で強烈な新陳代謝を強要され対応しようと必死になっているわけですが、行政はそこまで本気で新陳代謝をしようとしているのでしょうか。
こうしたところに行政と民間のギャップが生まれているように感じますし、まちのなかで公共資産の新陳代謝が圧倒的に遅れている理由のひとつになっているのではないでしょうか。

尾道市

ここ数年、定点観測も兼ねて訪れている尾道市。
公共資産の利活用の関係では港湾倉庫をリノベーションした複合施設のONOMICHI U2が非常に有名です。

ONOMICHI U2_内観

これだけではなく、まちなかには次々と地域性にあふれた、ここでしか味わえない、そしてオシャレなお店がコロナ前からコロナ禍の現在に至るまで次々と出店しています。

尾道市_まちなかの様子

もちろん、コロナで他のまちと同様、本当に厳しい状況に直面していることは間違いないでしょうが、そのような状況下だからこそ空き店舗が増加すること、賃料が下がること等の実態に合わせて新規出店できる若い芽や業態も発生します。
そうした厳しい社会経済情勢だからこそ生まれる新陳代謝の可能性にどこまで気づいて、呼応できているでしょうか。
尾道市ではまさにこのような、まちの新陳代謝が行われています。

オガールの新陳代謝

公務員時代から何度も訪れているオガール。

オガールプラザ_外観

こちらも最初に訪れたときにはまだオガールセンターはまだ存在していませんでしたし、宅地分譲もまだ道半ばの状況でした。

しかし、(たぶん10回目ぐらいになると思いますが、)2022年2月に訪れたときにはオガールセンターも完成し、一部のテナントが既に入れ替わっており、宅地は全区画が完売し、中には仕事の都合で居住者が入れ替わっているところもありました。オガール周辺でも様々な開発事業が行われ、エリア的には小学校の増築が求められるところもあるそうです。

紫波町ではネクスト・オガールという表現をされていましたが、日詰商店街を中心としたリノベーション、オンデマンド交通のしわまる号、旧庁舎でのひづめゆ、廃校を活用したノウルプロジェクトなど、続々と魅力的なプロジェクトが展開されて、そして実現しようとしています。
町職員の鎌田さんは「まちの再編成」と表現されていますが、まさに「まちの新陳代謝」そのものですね。

このようなプロジェクトベースのものだけでなく、オガールのなかのテナントもいくつか入れ替わっています。(前回の訪問の動機になったのも、今まで存在は知っていたけれど食べたことのなかったじゃじゃ麺屋さんが美味しそうだったことだったわけですし、)訪れた当日には、焼肉屋さんが新たにオープンしていました。(←スケジュールの関係で夜のオープンには時間が合わず訪問できなかったので、次回は必ず。。。)

このようにテナントが入れ替わっていくことも新陳代謝といえるでしょうし、真魚板のようにオガールのオープン当時からテナントとして入居し続けながらメニューやサービスをブラッシュアップし続けて、訪れる人々を魅了していくことも新陳代謝でしょう。

公共資産が変わらず居座り続けること

このように考えたとき、公共資産、特に公共施設や都市公園などがまちなかに設置された当時のままの形態でまちなかに居座り続けることは、まちにとって良いことなのでしょうか。

前述のように一般的な公共施設は竣工時が100%の状態で、そこから減価償却や時間経過に伴う物理的な劣化、機能・サービスの陳腐化や利用者・利用時間帯などの硬直化が進行していきます。
それだけでなく、こうした公共施設がまちなかの一等地に存在し続けることは、もし同じ用地を民間が所有していれば、地価の変動や社会経済情勢の変化で新陳代謝が自ずと働きます。しかし、公共施設が硬直化して鎮座し続けること・まちと断絶することは、まちの経済を動かす中心となるエリアでの新陳代謝を阻害することと同義も言えないでしょうか。
このあたりが、中心市街地活性化事業で各地に第三セクター方式などで建設された再開発ビル、まちの「賑わい」のために社会資本整備総合交付金などを使って作った過大・華美な図書館・ホール等、いわゆる「墓標」のまちなかに与えている負の影響の大きさとも考えられます。
近年では市町村役場緊急保全事業を活用して、人口10万人程度の自治体でも100億円を超えるような巨大庁舎を建設してしまうまちも多く見受けられます。

財政の厳しさ・(敢えて既得権益とは表現しませんが)既存利用者の意向・設置管理条例改正のハードルの高さ等により、サービスを時代に合わせてブラッシュアップしたり、そもそも論を取り出して変革していくこと(、ましてや身の丈以上の公共施設をマネジメントしていくこと)は、ザ・公共施設マネジメントや計画至上主義の行政には難しいことになってしまいます。

まちの新陳代謝

まずは「人」

まちの新陳代謝のために一番大切な要素はやっぱり「人」だと思います。
新陳代謝を促すためのプロジェクトを企画する人、実践する人、SNSなどでそのまちの魅力を発信する人、そのまちの魅力に惹かれて移住・新規事業を興す人。。。こうした直接的な新陳代謝に係る人だけでなく、そうしたプロジェクトや公共空間で創出されたコンテンツを消費する人たちも、その行為やマインドがまちの新陳代謝に繋がっていきます。

公共空間とまちのモビリティ

こうした視点で考えると、「人」が動くことが大切ですし、そうした人の動きがまちのなかで可視化していることが新陳代謝を加速するためには有効だと思います。
新型コロナウイルスの影響もあり、近年、オープンスペースである都市公園・道路空間・河川等の公共空間がにわかに注目されています。
公共施設等総合管理計画において、都市公園は東屋・トイレ・管理棟ぐらいしか対象になっていませんでしたし、道路や河川は路盤や河川敷の更新経費の見込み程度しか計画の範疇に入っていませんでした。
ある意味でブルーオーシャンだったオープンスペースを有効活用することで、まちは大きく変わっていきます。

タグボート大正
てんしば
なんば駅前社会実験

これらの写真をみればわかるとおり、豊かな空間とオリジナリティあるコンテンツ、そこから発せられるエネルギーが人々を魅了し、こうした人たちが日々まちなかで動く、展開することでまちの新陳代謝は促されていきます。

このようなダイナミックなプロジェクトはもちろんですが、更に言えば直接その場を訪れなくても、ものによってはAmazonや楽天などのオンラインショッピング、YouTubeやzoomでの配信などでも、その場から発せられるクリエイティブなコンテンツや空気感を受け取ることができます。
四万十ドラマ、タルマーリー、里山ファクトリー(足立音衛門)などは、まさにこの代表格でしょうし、こうした地域性溢れたホンモノを買ったり感じたりするのも「人」ですし、人がSNS等で発信する情報が更なる新陳代謝につながります。

物流システムの脅威的な進展やインターネットの一般化により、ある程度のモノを手に入れることは数年前と比較して格段に容易なものとなってきました。更に新型コロナウイルスにより物理的な人流が抑圧された反動で、「インターネットを媒介としてモノやコンテンツを手に入れる」ことが爆発的に広まりました。
一方で、地方では人口減少・財政の悪化などにより地域公共交通は衰退し、一般的な商店街・観光地や飲食店・物販店は新型コロナにより閑古鳥の状態となり、「人流」によるまちの新陳代謝が難しい状況になりつつあります。
このようななか、各地でオンデマンド交通が「実装」されはじめています。

紫波町ではじめてオンデマンド交通を利用しましたが、スマホひとつで簡単に予約ができて、タクシーよりも安価なだけではなく(特にタクシーの絶対数が限られている地方部では)時間的にも確実性があるインフラとして可能性を感じます。
このようなオンデマンド交通により、買い物弱者や引きこもりになってしまう高齢者の問題が少しでも緩和され、同時に人流が促されることによっても、まちの新陳代謝は進む可能性があります。

コンテンツの新陳代謝

このように、「まち」ではいろんなものが動くこと・変わっていくことによって新陳代謝しているわけですが、ほとんどの公共施設は開設当時から「全く同じ使い方」であったり、貸し館中心で利用者もほぼ固定化していないでしょうか。まちから断絶して硬直化しているのではないでしょうか。
逆に考えれば、公共施設で提供するサービス・コンテンツが時代とともに新陳代謝していったら、公共施設の用途そのものが周囲の状況や社会経済醸成、市民ニーズなどに合わせて柔軟に、短いピッチで変化していったらどうでしょうか。
公共サービス・施設がまちとリンクして、行政と民間のボーダーラインが曖昧になっていったらどうでしょうか。

提供する公共サービスは本来、日々の経営のなかで改善・見直しが図られるべきものです。行政の職員がきちんとまちと向き合って「どのようなサービスが求められているか?」を施設所管課・施設の担当者・指定管理者などと連携して考えブラッシュアップしていくことができるはずです。

「指定管理者がやっているのでコントロールが効かない」とか「行政のノウハウが低下している」といった声を聞くこともありますが、そもそも指定管理者制度は「民間ノウハウを活用した公共サービスの質の向上」を目的としていることから、民間への丸投げでもありませんし、代理執行・コスト削減の手法ではありません。(指定管理者制度は、地方自治法で細かいことがほとんど定められておらず、非常に自由度の高い仕組みです。)
行政と指定管理者がパートナーとして知恵とマンパワーを出し合って、クリエイティブな自主事業やサービスレベルの向上を考え、実践していけば、自ずと新陳代謝が生まれているはずです。

こうしたことの延長として、例えば設置管理条例に「5年ごとの設置目的(や運営方法)を含めた抜本的な見直し規定」をビルトインしておくことも、コンテンツを新陳代謝していくための有効な手段となりえます。

長寿命化至上主義から可変性・柔軟性

公共施設等総合管理計画・個別施設計画の策定要請や改訂、公共施設等適正管理推進事業債では、改築周期を先送りする手法・見かけ上の更新経費を削減する計算式として更新周期を60年から80年とするなど、長寿命化が手段の一つとして位置付けられています。

総務省_公共施設等総合管理計画の更なる推進に向けた説明会に係る配布資料(平成30年4月23日開催)
https://www.soumu.go.jp/main_content/000550090.pdf

公共施設等総合管理計画では単純に改修・更新のスパンを伸ばしているだけのものも多いですが、文部科学省の手引きにあるように長寿命化のためにはコンクリートの中性化抑制(または再アルカリ化)などの通常の改修・大規模改造では求められない工事・コストが発生します。「長寿命化」と書いただけでは全く意味がなく、問題の先送りをしているにすぎないのです。

そして、今回のコラムの観点からも長寿命化を考えてみましょう。
その公共施設を現在の用途のまま長寿命化することは、数十年スパンでそのサービスがその場所で提供されることを意味します。
ここまで書いてきたように、時代が猛烈なスピードで激変し(コロナで公共資産だけでなく)「まち」のあり方も大きく変化していくことが求められるなかで、数十年先の未来まで見えるのでしょうか。

確かに長寿命化により廃材や工数の削減による環境負荷の低減をある程度図ることはできるかもしれません。ただ、これも後述するように一気に完成形をつくるのではなくスモールスタートして、利用実態や収支バランスなどをみながら少しずつ投資・増築・増強していく方が、「無駄が生じない」という面で環境負荷の抑制になるかもしれません。
沼津のINN THE PARKの球体テントも当初は4つからスタートして、その後に球体テントのスイートやデラックスが設置され、現在では同公園内でマウンテンバイクの本格的なコースを携えたコンテンツも整備されています。

前述のオガールでもフットボールセンター、オガールプラザとオガールベースを皮切りに、庁舎やオガールセンター、宅地分譲などが徐々に進められ、その後にまちの再編につながるようなプロジェクトが展開されています。

そのような意味で考えると、(長寿命化を短絡的に悪とする訳ではありませんが、)長寿命化を図る公共資産は慎重に選定すべきですし、その改修を行う場合にはどのようなコンテンツを誰が提供していくのか明確にしたうえで「どこまで」やるのかの判断が必要になると思います。

有機的に動き続けること・変わり続けること

ザ・公共施設マネジメントを安易にただ大規模改修+α程度の長寿命化のみで対応し、まちのなかで公共資産・公共サービスを過去〜現在の状態で硬直化させてしまうと、点としての公共施設だけではなくエリア、最悪の場合はまちも新陳代謝を喪失します。そして、新陳代謝を失った瞬間にまちは硬直化し、衰退していきます。

つまり、目標年次を持った・行政が所有する公共施設の総量削減にフォーカスを絞ったザ・公共施設マネジメントでは、全く「まち」の抱える課題にも対応できませんし、そこから未来は見えてきません。

計画づくりをローリングしていくことも良いのですが、大切なのは「まちとリンク」しながら有機的に地域コンテンツ・地域のプレーヤーとともに動き続けること、柔軟に変わり続けること、新陳代謝し続けることです。
だからこそ「まち」は、旧来型の行財政改革や計画行政のように「数値」や「ある時点」がゴールになることはありません。
同時に常に変化し続けるためには、常に投資し続けなければなりません。

スモールスタートと軌道修正

これまでの公共施設整備や公共資産、そして行政全般に言えることですが、なんらかの事業をしようとする場合には、いきなりゴールを目指してしまいます。
自分のまちの財政規模・状況では、単年度会計現金主義の行政システムにおいて「いきなりゴール」の一般財源が確保できないから、補助金・交付金や起債をフル活用して身の丈以上の公共施設を整備してしまうわけです。当然に、どうハコモノを建てるかだけ、そして「たぶんこうなるだろう・こうあったらいいな」でコンテンツや誰が経営するのかが精査されていないから、うまくオペレーションもできないわけでです。
何より、図体が大きすぎて膨大なマンパワーも求めれるために後戻りもできなければ、(関係者も多く議会や市民の目もあるので)地道で小さな軌道修正も効きにくいわけです。更に悪いことに、追加投資を行うことは財政的・物理的・対議会や市民への建前上難しくなってしまっているので、まさに手も足も出ません。こうしたハコモノの行き着く先が前述の墓標です。

逆に考えれば、やはりスモールスタートが大切です。
ビジョン・コンテンツをしっかりと精査し、サウンディングやトライアル・サウンディングで市場と対話しながら小さな投資で試行錯誤しながらスタートし、少しずつ社会経済情勢やまちの状況にあわせながら柔軟に軌道修正を図っていく。常に小さくても良いから市場と合わせて適切な投資をし続ける。この資本主義経済のまちで当たり前のプロセスこそが新陳代謝そのものです。

求められるのは、まちの新陳代謝に行政も順応していくことと、旧来型行政からのマインドセットの2つです。特に後者は既得権益・事なかれ・前例踏襲・計画至上主義。。。社会から行政が揶揄されるリアルな課題と本気で向き合い、打破していくことが必要です。
行政は非合理的な社会なので、正攻法・正論だけではいきません。どれだけ柔軟に、そして時代や関係者の心を読みながら柔軟に対応していけるか、こうしたマインド面でも常に新陳代謝が重要になってくると思います。

こうした広い視点から「まち」をみて、現場重視・実践至上主義でこれからもまちみらいでは活動していきます。






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