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踊らされるな

恣意的なトレンドと無垢な自治体

何度も繰り返されてきた

行政の様々な政策は、「作り出された恣意的なトレンド」に左右され、しかもうまく機能しないと次なる「作り出された恣意的なトレンド」で上書きされて(過去の黒歴史を抹殺)いくことが繰り返されている。

合併においても、昭和の大合併では財産区、平成の大合併では合併特例債というアメがぶら下げられることによって、必要性があるからではなくアメの誘惑で国の思惑通りに物事が進んできた。

ふるさと創生事業の1億円にはじまり地方創生に至るまで似たような補助金・交付金事業も繰り返されてきたが、残念ながらこうした制度でまちが劇的によくなることはほとんどない。中心市街地活性化関連事業は全国各地に「墓標」を乱立させ、まちの衰退を加速させた黒歴史となってしまった。

2023年8月3日の日経新聞朝刊では「民需なき官製都市広がる」というセンセーショナルな記事が1面トップを飾っている。全国の市街地再開発事業のうち、約3割で補助金・交付金が用いられたうえ、その施設の一部を行政が購入または賃貸する二重の税金投入がされているという内容だ。水戸市に至っては市街地再開発事業の事業費のうち96%が税金で賄われているという強烈な事実も判明した。

オリンピックレガシーなどわずか数年で死語になってしまった・無かったことにするような政策も数多い。(オリンピックレガシーについては、巨大なハコモノが使い勝手の悪い負債として多数まちなかに三次元の世界で鎮座するので、二次元の死語より圧倒的にタチが悪い)

公共施設マネジメント

公共施設マネジメント(やその前段で一部の自治体を中心に試行錯誤してきたファシリティマネジメント)も、総務省による2014年の公共施設等総合管理計画の策定要請によって、旧来型行財政改革の思考回路を踏襲し、「財政が厳しいから公共施設の総量を縮減すればよい」という世界に陥っていった。

上記のnoteでも記したように、この総量縮減一辺倒のザ・公共施設マネジメントにリアリティがないことはこの10年間の歴史が証明してきているにも関わらず、ほとんどの自治体はまだこの呪縛から抜け出せず、計画づくりの無限ループや市民ワークショップ等でお茶を濁すことに奔走している。

PPP/PFI

現在、国はPPP/PFIアクションプランを掲げ協力にPPP/PFIを推進しようとしている。この方針自体は自治体経営のあり方を変えていくものとして重要であろうが、問題は中身である。

「実施件数10年ターゲット」として重点分野575件を目指しているが、このように絶対数にこだわって「数量」をKPIとしてしまうところに問題がある。過去にはPPPプラットフォームの組成数なども目標値に定められたが、重要なのはマクロとしての数ではなく、それぞれが的確に機能することである。
全国各地でPPP/PFIに関するプラットフォームが開かれているが、その多くはコンサルによる定型化された古典的なサービス購入型のPFI法に基づくPFI(サービス購入型)の事例紹介や、まちに貢献しないような点としてのハコモノ事業を実施した自治体による事例紹介、更には同業他社が車座にっての「なんちゃってサウンディング」にとどまっている。
こうしたクリエイティビティや先進性のないことをカウントしたり、「そういうのがプラットフォームなんだ」という既成概念が広まってしまうことは恐ろしい。

また、先日の業界新聞では国土交通省が津山市の糀やを事例として、町屋群等の小規模施設にコンセッションを用いる「スモールコンセッション」を支援していくとの報道もなされていたが、そもそも津山市もコンセッションありきではなかったことの視点が抜けている。

その時点までの事業としての進捗状況、政治的な関係、民間事業者の意向等を踏まえた結果としてコンセッションを選択したに過ぎないのであり、もっと早い段階からクリエイティブに考えていたら、普通財産の貸付で十分に対応可能なものであったのである。

また、支援していたある自治体では、市民会館の改築を中心としたプロジェクトを職員の徹底した議論の中で市場と向き合いながら構築していた最中に、国から「コンセッションを用いるなら全面的に支援する」という悪魔の誘惑が寄せられた。

国の政策や(表面的な)KPIの達成のために自治体が踊らされる必要はない。

DX

DXやスマートシティも人口減少や生産年齢人口が減少するなかで効率的に自治体経営を推進するうえで必須のことになっていく。
しかし、大半の自治体で行われているのはシステム系の大手ベンダー、ベンチャー企業等からの持ち込み企画による国の補助金・交付金に依存した「〇〇の実証実験」にとどまり、自分たちのまちの財政で回していく実装には至らない。
また、ある自治体では国の交付金を活用して中心市街地に何百台もの人流計測のカメラを設置したものの、どのように活用するかのアイディアをコンサルに求めるといった笑えない話もある。

そもそも多くの自治体では、いまだに紙決裁を行っていたり、予算時期には何百冊もの何百ページに及ぶ予算案を印刷したりしている。更に自分も何回も直面しているがExcel職人による1セルに1文字ずつ入力しなければいけない恐ろしいフォーマットの超アナログ(しかも拡張子がxls)なものも多数存在している。

ある自治体のExcel職人によるフォーマット

更に「東京電子自治体共同運営電子調達サービス」では専用のリーダーやICカードを購入しないと、そもそもシステムにアクセスできなかったり、最近までInternet Explorerしかブラウザとして対応していないといった仕様であり、インターフェースも全く使い勝手の悪いものになっている。

Googleフォームで簡単に対応できるレベルのものにもかかわらず、何十年も昔の思考回路・行動原理・システムや既得権益の団体が開発したシステムに依存し、ユーザーサイドの「使いやすさ」を無視した運用をしている自治体や国にはDXを口にできる状況ではないはずだ。

SDGs

SDGsは確かに今後の地球環境などを考えると重要な要素であることは間違いないが、そこに掲げられた項目はどれも「当たり前」の事項ばかりである。
このようななか、公共施設マネジメントにおいても短絡的な総量縮減を目的にしていたはずの総務省が、なぜか公共施設等適正管理推進事業債のメニューに脱炭素を加えたり、庁舎・図書館等の建設にあたってはZEB化が要求水準として当たり前に位置付けられるようになった。

しかし、脱炭素の主要なメニューの一つである省エネ改修については起債に依存して当初と同じようなオーバースペックの機器に更新するよりも、ESCO事業によって経済合理性を基準としてダウンサイジング・運転管理の徹底などを行なったほうが圧倒的に環境負荷を低減できる。

ZEBについても「環境配慮をしない建築物と比較して当該建築物の省エネ+創エネで0%に削減」することが定義とされている。世の中の(特に公共建築における)ZEBは巨大な吹き抜け、全面ガラス張り+ルーバー、(誰も行かないのに)屋上緑化・壁面緑化、高度で複雑な空調システムなど膨大なイニシャルコストを要するものが多い。

例えば、吹き抜け等もない鉄骨造のシンプルな四角い箱として、天井高も必要最小限に抑えて簡易な個別空調で管理できるようにしたら、自重も軽いので杭の本数・深さなどが削減できたり、断熱材や二重サッシなどによりパッシブな断熱性能を高めることで空調負荷を抑制したり、汎用性の高い設備・仕様とすることで改修・更新における廃材を削減できる可能性もある。
こうしたことを踏まえると、本来の目的である環境負荷という面で考えれば計画から解体に至るLCC(ライフサイクルコスト)ベースでZEBも検討しなければいけないはずであり、同時にそのような思考回路・行動原理となった場合には、できあがるハコモノも全く異なるものになるのではないか。

PPA

近年、急速に随意契約保証型の民間提案制度が広まり、2023年8月末現在で約100自治体がなんらかの形で運用をしている。
フリー型の提案募集や脱炭素を対象に掲げると、ほぼ100%の割合で複数事業者からPPAの提案が寄せられる。
これらの事業者からの提案のうち、かなりの割合がなぜか「市場価格より高い単価での電力調達」になってしまっている。「脱炭素はこれからの主要な行政課題なので、単価が高くても脱炭素を進めるために・・・」といったプレゼンや事業者からの発言がなされる。
事業スキーム上、そのグリッド内でイニシャル・ランニングコストがほぼ固定されるが、なぜか市場の物価変動に合わせて購入単価を見直すことが位置付けられたり、契約期間終了後の(老朽化した)該当設備を行政に無症状とすると言った内容が位置付けられている提案も存在する。

足元から考えること

自分のまちを知ること

自治体の支援業務ではかなりの割合で実施している「イケてるところ探しWS」、拙著「PPP/PFIに取り組むときに最初に読む本」でも取り上げているように、そのまちに生活している・住んでいる人でなければわからないホンモノの地域コンテンツ・プレーヤーを抽出していく作業がまちを知る第一歩になる。

イケてるところ探しWS

どこのまちで実施しても「意外と自分のまちのことを知らない・行政が政策的に金をかけてきたエリアとまちなかのイケてるところは一致しない」ことが見えてくる。だからこそ、自分の金を使ってまちで散財していく。そのなかで自分のまちの本当の姿が見えてくるし、そこからポテンシャルや課題も炙り出されてくる。

「国が言っているから、世の中の風潮だから」ではなく、現在・将来に向けてこのまちをどうしていきたいのか、その時に何をしていくのかを考えていけば、恣意的なトレンドに流されることは減ってくるだろう。

ユーザーサイドで考える

前述のExcel職人の事例は、完全に行政サイドで(おそらく何十年も前に必死になって作った)フォーマットをなにげなくそのまま使っているだけであろう。

DXで大切なことは、いかに効率的・正確に業務を進めていくのかであり、そのために様々なデジタルツールや技術を活用していくことである。
ある自治体ではいまだにGISすら導入しておらず、公共施設が市内のどこに配置されているのか、エリアの地価がどのようになっているのか等の基礎的なデータすら存在していない。

更に重要な視点として前述のExcel職人は論外であるが、サプライサイドではなくユーザーサイドであらゆる物事を構築していくことである。
自動運転に対するニーズが高いことは間違いないが、その目的はそれぞれのエリア・ユーザーによって全く異なるはずだ。いくら自動運転とはいえ、片側1車線の追い越しの幹線道路を20km以下で空気を乗せて走行されてしまっては、まちの血流が更に停滞してしまう。

地方部で地域公共交通が脆弱なエリアであればオンデマンド交通を基盤としつつ、主たる限られたエリアを自動運転によって補完していくことなどが現実的な選択肢になるだろうし、(現行法体系のなかでも実施できる道を探りつつ)日本版ライドシェアなども視野にいれていく必要があるだろう。
いずれも単なる自動運転の実証実験では見えてこない世界である。

劣化コピー、水平展開ではない

このように考えてくると、行政が好んで使う「水平展開」はあまり現実的でないことが見えてくる。ましてやアホコンサルによる先行事例の劣化コピーではまちの課題を解決したり、ポテンシャルを生かしていくことは難しいだろう。

残念ながら「恣意的なトレンド」に流されている自治体は、コンサル・ベンダー・大手企業などに税金を垂れ流し続け、「なんとなくやってます行政」を繰り返し、まちに残るものは何もない。それだけではなく、本来まちに投下できたはずの財源もこうしたところに流してしまうので、まちから資金が流出していく。

流出していくのは税金だけではなく、こうしたことに見切りをつけた動ける人たちもまちから消えていく。残念ながらまちを衰退させている要因のひとつに、そのまちの行政のプアな判断があることを忘れてはならない。

自分たちらしく

単に「この方針に沿えば補助金・交付金が取れるから」「隣町もやっているか
ら」「世の中の流れだから」「議会から要望されたから」で政策判断してしまうのは、はっきり言ってオママゴトの世界でしかない。

やはり大切なのは、国等の恣意的なトレンドや中途半端なコンサル等からの営業に踊らされることなく、自分たちの足元を見つめ自分たちらしく、本質的なところから「何をしたいのか」を整理して、プロとしてひとつずつプロジェクトレベルで試行錯誤していくことである。

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