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4)machimin4は移動、協定、卒業、拡大する

2年前のちょうど今頃、machimin1の形が完成しかけていて、machiminなんて誰も知らない環境で、他人のフィールドで1からやりたいという気持ちが芽生えていました。

東深井地区公園という、森の図書館の隣にある公園の真ん中に週に1回椅子と本だけ持参して、居ることから始めました。

12月に始めるという一番公園が辛くなるであろう時から…寒くて寒くて、誰も来ないし、なぜやれたのかもわかりませんが毎週1年はやろうと決めました。梅雨も強風も真夏も真冬もやりました。新緑やお花見、紅葉もです。

次はなに始めたの?
なにがしたいの?
イギリスっぽいね。
中華系宗教かと思った。
子ども系の団体なの?
本屋さんなの?
調査してるの?
遊べるとこなの?
ヨガ教えるの?
毎週散歩してると毎週見えて次第に気になってきた。

みんな、「なんなんだろう?」とワクワク、不安がりながら、遠巻きに、じわじわ、のぞいて、話しかけてくれました。

もっと、公園を楽しめる。
まずは居てみよう、言ってみよう。
誰も私を知らなくても、お金がなくても、特別なことしなくてもできる。その仮説を試していました。

公園に毎週いたら季節や時間の移ろいも知れたし、公園に来てる人が「これがやれたらいいな、できるならしたい」と言う話を聞かせてくれ、かなりの量出てきました。

半年過ぎたある日、市のまちづくり推進部の部長や、みどりの課の課長が仕事のついでにとのぞいてくださり、「同じやるなら総合運動公園でやってみないか」とお誘いいただきました。市がパワーと時間をかけて再開発しており、市民のやりたいがやれる工夫をしていきたい様子でした。
そして、「公園をまちのお庭に」というパークマネジメントの要件を検討するための協定に至ります。

場所を変え、また椅子を持参してコツコツ毎週やりました。公園会議を開催し、みなさんの”やりたい”を語ってもらい、実際に自分がやる気がある人とどんどん企画を進め、春、秋に大きなイベント開催に至ります。

公園では、machiminという名前は基本使いませんでした。だから、うちのルールはなしにでき、協定に沿って、みんなのやりたいの中央になりそうなコンセプトを置いて、あとは手伝いました。

1回目は「普通公園ではできないとされていることは本当はやれると表せるか」、2回目は「運営負荷を下げて調整だけで、各々に自由にやりたいを叶え楽しんでもらえるか」を裏テーマにして。私たちがやりたいことを考えてそれをやってくれる人を見つけたのではなく、みなさんが実際にやりたいということを一緒にやったからこそ、イメージしていたよりもっともっと素敵な場になっていきました。

そして、公園会議を始める時、同時にプレーパークを開催しました。と言っても、テントに松ぼっくりや枝、余ったペンキや毛糸を置いといただけです。
そこから、「プレーパークをしてみたかった」と言う人や「次あるならまた行きたい」「プレーパークでこれやっていい?」声を聞いて毎週繰り返した人がいます。いとうみきさんです。

これは想定外だったのですが、やっている本人のやりたいをやり続けていたら次第に「プレーパークは別団体である」と言う結論に至ったようです笑。
それがプレーパーク流山 です。
まさに、これを卒業というのだと大発見させてもらいました。(参照:著書「もしわたしがら株式会社流山市の人事部長だったら」)

そこでの最大の学びは、「machiminの名前はいらない。具体的にいるのは企画サポートやアシスト、関係者調整、鼓舞。何より人との組み合わせを最適に行いバラバラを最終的に一つにまとめ上げること。」で、
そして参加すると結果的に「自分のやりたいが人のやりたいにもなる喜びの先に、公共が何かを考える機会になること。」がわかりました。

総合運動公園に来て1年。
ここでやったことが流山の他にも広がっていくとよいなと願い、新しい一文加えて協定を更新済みです。

“公園会議で話し合い、総合運動公園で自ら実践し、新しく実践する人をサポートして、それができた人は、他の公園で活動を拡大していい。”

だから、プレーパーク、マルシェの数が増えていくでしょう。流山の公園は約300あるそうです。そして引き続き、公園外のmachiminでも公園会議を月2回開催していますが、machimin4という名前は使いません。

今日はおしまい。

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