迷いながらでもそのままでいい

何の意味もないような時間を生きている。

こんな言葉を残すくらいならもっと有意義な時間を過ごせと脳内で罵声が響く。

誰の声だかわからない。

男の人だったり女の人だったりする。

その脳内の声に打ちのめされて、膝をついて崩れ落ちる私を、陰からクスクス笑いながら見ている人がいる。

それも私だ。


もう何十回目かのつまづき。

もうさすがにいろいろ諦めた。

そう思っているはずなのに。


落ち込み続けるということは、まだまだ自分に期待をしたいのだろう。

まだ憧れを捨てきれないのだろう。


この何もなせず、淡々と何かの役目を果たすということもできず、人様の努力が生み出した空間、食料、安全、衛生、娯楽に包まれた空間で、生きながらえているどうしようもない私。


自ら人とのつながりを薄くしようとしている私に、「あなたはそのままでいい!」と豪快に笑ってくれた人がいる。

「また遊ぼう」と声をかけてくれた人がいる。

「焦らないで」と温かいことばをくれた人がいる。


やさしい言葉のほうが涙を呼ぶ。

そして、強くごめんなさいと思うことが頭をよぎると涙が出る。


強がりや自虐や虚勢やプライドや絶望やいろんな自分の虚像を作りすぎてわけがわからなくなっても、涙だけは私の本心を知っている。

涙を見て初めて私も私に気づく。


3月はダメなりにこつこつやってきた。

4月の目標も立てた。


あまりにも小さな目標。

それでもやってみようと思う。


とてつもなくおしゃべりなはずの私が、言葉を出せなくなっている。

そのまま無に近づけばいいと思ったのだけれど、やはり悲しくて悲しくてたまらない。


また、少しずつ言葉を発してもいいだろうか。

誰に許しを請う必要もないはずなのに。

そんな祈りにも似た気持ちで、いま、このnoteを書いています。

リハビリとして、日記のようにぽつりぽつりつぶやいてみようかな。

まだまだ気持ちが不安定なので、数時間後にはまた全削除とかやらかしてそうな気もするけど(苦笑)。



人間らしい人間だと笑ってくれる人がいたらいいな。

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