少女性を愛せない
わたしにとっての「少女性」は、必ずしも愛すべきものではない。むしろ、嫌悪の対象である。
そう気づいたのは24、5歳くらいで、遅い自我の目醒めと同時期だった。以前の自分はどちらかといえば少女趣味に近い「女の子らしい」服装を好んでいたので、この発見は意外でありショックでもあった。いかに少女らしく振る舞えるかを美徳としていたのに、自らその聖像を破壊してしまったのである。
きっかけは、今でもよく分からない。ただ、わたしが理想の少女像を追うようになったのは、良妻賢母主義かつピューリタン的な女子校で過ごした長い年月に関わっていると確信できる。大人が率先して出る杭を打つような、暗く閉ざされた環境だった。決して居心地は良くなく、何度も挫折しかけ、実際挫折もしたが、高校卒業後にはいったん“箱詰めの女子大生”として社会に出荷されることになる。
鏡を前にして、出来上がった少女を眺めながら、わたしはそれなりに満足していた。抜きん出た美人ではないけれど、身綺麗に装って、この先に待つ幸せを疑わないばら色の頬をした娘。他人に対する奉仕の歓びで高揚した目は、不器用ながら周囲へ気を配ることを忘れなかった。
ただ、今だから言えるが、この姿かたちはわたしの内にあるセクシャリティを無視することでしか成立しない。
好奇心から初めて新宿二丁目に飛び込み、初めて親に連絡せずバーで夜を明かした後、わたしは長かった黒髪を切り、うっすらと染めた。何のために伸ばしていたのかといえば、成人式では長い黒髪がよいと周囲に勧められたからだった。
この時期からはっきりと意識するようになったのは、保護の眼差しである。これは親以外にも、あらゆる場所で、どんな他人からも注がれる。
少女は、社会全体が保護したり、愛しむべき存在なのだ。
それまでは、安全な中庭でのんびり暮らす花のように、眼差しを受け入れてその恩恵に与っていた。ただし、自らの意思と足で目的地に赴こうとするとき、この眼差しは蜘蛛の糸のように絡みついて妨げる。
保護と制限は常に一体であり、良心という両腕をひろげて道を塞ぐ。
ゆるく巻いた髪や淡い色のワンピース、フリル……
少女性を次々と脱ぎ捨てるにつれ変わる周囲の態度に、わたしは、変身とは案外簡単なものだと拍子抜けした。少女を囲っていた籠は、脆く儚いものだった。
(↑3〜4年前の自分)
(↑今の自分)
やがて「良い子」でいることもやめようと決意してから、わたしはかつての少女だった自分をある程度客観視するようになる。
そこで生まれたのが、嫌悪の感情であった。厄介なことに、その矛先は自分自身だけでなく、少女という概念そのものにまで広がることになる。
何か壁に当たると、その原因となった弱さや未熟さの源がすべて、わたしの身体にこびりついて残った少女性にあるように思えた。
挫折や失敗のたび、わたしの内部の“少年”が同じく内に棲んでいる少女を激しく叱責した。
ただ、外部からその少女が攻撃されたとき、それを庇って傷を受けるのはいつも少年であった。
この無益な循環が変わりはじめたのは、ごく最近のことである。
いつしか詩を書くようになってから、少女を主題とした創作活動をする芸術家の方々と交流する機会が増え、わたしは「少女」という概念の多元性に気づきはじめた。
そこでわたしは、「少女」と「強さ」が結びつけられたとき、劇的で比類ない「反逆」が生まれることも知った。わたしはこの恐るべき子供が生まれるためのこれ以上の掛け合わせを、他に知らない。
しかし、その可能性に気づいたところで相変わらず少女の肉体はよわいし、将来、そのよわさを“多様性への寛容”、“平等”という力を借りて皆が知性的に眼差すことができるようになるなどと、わたしは楽観視できない。そこにはどうしても不条理が存在する。(少なくともわたしが生きている間はそうであると思う)
不条理とうまく折り合いを付けるには、考え続けるしかない。
そして今、自分がかつて少女であったということに改めて向き合わねばならない時期に差し掛かっている。なぜなら少女は、まだわたしの中にひっそりと花に囲まれて棲んでおり、避けようのない「成人女性」という未来に向けて、長い準備を続けているのだから。