嶋田青磁
大学院生は、つくづく特殊な立場にある。やるべきことは山のようにあるものの、(恐ろしい事実だが)意外と手を抜けば「やり過ごせて」しまう。人文系あるいは自分の大学だけかもしれないが、学部と違って授業数も少ないし、たまにある発表の機会をどうにか乗り越えさえすればいい。ラボという概念はなく、教授もほとんどが放任主義である。ゆえに虚無に陥りやすく、もともと何かに興味を抱きやすいので、専攻とは関係ない分野をアマチュアで研究したり、ポカンと天井を見つめながら考え事をしてそのまま日が暮れる
ごきげんよう。 先日、同じタイトルで書いた記事の続報になります。 ほぼ自分用の記録ですので、読みづらい部分もあるかと思いますがよろしくお願いします。 今回書きたいことは、 ・コンサータの副作用(食欲減退) ・コンサータの効果について ・体重減少の危機 など。 あれからコンサータによる食欲減退がひどく、体重の減少が無視できないところまで来たので、11月頃から量を減らしていました。 忙しい日は27mg、休日は18mgでしばらく様子見していたのですが、もともと食が細いの
8月頭にコロナになってから、本当に久しぶりに「鬱」という言葉が頭をよぎるようになったので、記録としてここに近況を残しておこうと思います。 あまり明るい話題ではないので、よかったら少し心に余裕があるときに見てください。 まず、8月に入ってすぐに初めてコロナにかかりました。経路は不明。38〜39度の熱が3日ほど続いたあと、微熱が1週間くらいありました。味覚は問題なかったのですが、嗅覚は発症から2週間程度は消えていました。(匂いを感じとれる範囲がすごく狭くなった感じ) 発
前に、わたしはこのnoteで『わたしだけのお人形がほしい』というちょっとしたドールお迎え体験記を書いた。このときはファーストドールであるリアンについてしか扱わなかったので、今回は二番目にお迎えしたドールのことを、その運命的な出会いとともに振り返ってみようと思う。そして、「おそろいコーデ」をキーワードに、わたしとドールの関係性についても、少しだけ深く考えてみたい。 たしか今年の3月頃。どうして検索しようという気になったのかは覚えていないけれど、ネットで球体関節人形のことを
ああ、わたしだけのお人形がほしい。 夢に見るほどほしい。 お洋服を着せかえて、髪を撫でて、いつも一緒にいられる分身が。 *** ドールという存在への憧憬が溢れてとまらない。どういうわけか、前々から抱いていたこの憧れが、ここ最近、どくどくと脈打ってわたしを駆り立てる。それも、リカちゃん人形のようなものではなく、「球体関節人形」といわれる類いのものがほしい。あんまり考えすぎるので、ついに夢にまで出た。まだドールが家にいなかった頃、届いた箱を開けて、その無機質で大きな瞳を覗
はっと辺りを見回すと、むかし一緒にじゃれあっていたような女友達は皆、大人になっていた。就職し、お金をもらい、パートナーと暮らす。あるいは、独立。何より明らかなのは、「成人女性」としての自覚があること。ぼく(あえてこの一人称を使う)にとってその概念は、ぼやけた抽象画のようであり、遠くに浮かぶシャボン玉のように不確かで掴めないままである。けれども、何となく直感として、ぼくの未来にはいずれその言葉が意味するところの一本道が、きちんと絨毯を敷かれて用意されているのだと分かる。ぼくは
誰かに会う日、一人で過ごす日。 洗面台の棚には、壜に入った二つの「選択」が並んでいる。その日をどんな一日にするか決めたら、二つのうちどちらかを選んで、手首、ときには首筋にふりかける。これが、毎朝わたしが秘かに行う、小さな儀式である。 人と会う予定がある日、わたしは決まってメゾン・フランシスクルジャンの「ジェントル フルイディティ ゴールド」をつける。 香りの中でもわたしが一、二番目に好きなムスクに加えて、バニラの甘い香りが目立ちながら不思議と透明感があり、決してしつこ
わたしは、長年にわたって自分の“やさしさ”がコンプレックスだった。これがあるために出来ないことが多すぎるし、表現の幅も自ずと狭くなってしまうから。 それに、やさしさは社会一般の印象として“女性らしさ”に繋がる。だから、わたしのやさしさが露呈したとき、多くの人は「女の子らしくて素敵だね」と褒めてくれた。その度にわたしは、どうしようもなく悔しい気持ちで大人を見上げるしかなかった。このやさしさが「女の子の」ものではなく「自分の」ものであると叫びたい衝動に駆られながら。これは前回
わたしにとっての「少女性」は、必ずしも愛すべきものではない。むしろ、嫌悪の対象である。 そう気づいたのは24、5歳くらいで、遅い自我の目醒めと同時期だった。以前の自分はどちらかといえば少女趣味に近い「女の子らしい」服装を好んでいたので、この発見は意外でありショックでもあった。いかに少女らしく振る舞えるかを美徳としていたのに、自らその聖像を破壊してしまったのである。 きっかけは、今でもよく分からない。ただ、わたしが理想の少女像を追うようになったのは、良妻賢母主義かつピューリタン
La nostalgie 濃紺のみなもに 銀の絨毯が敷かれたみちを おまへの手をとり 駆けてゆきたかった 裳裾を垂らしたやうな 細く白い雲、澄みゆく大気 耳もとで囁かれるのは すべてが 残酷な結末である #詩 #散文詩 #文学
月明かりさへ霞ませる 燦然たる光は 橙色をして ぼくの心臓を震わす 光はあまりに眩しく 肋骨のすき間を洩れ 辺り一帯に 恒星のリュクスを 撒き散らすやうだ 八月の夜の静寂に 燃え盛る星が叫ぶ ぼくは此処にゐて それから 恋をしてゐると #詩 #散文詩 #文学 #8月31日の夜に #夏
近頃の息苦しさは梅雨の煮詰まったような空気のせいだろうか。 何だか息をするたびにごろごろとした夾雑物が肺に取り込まれ、そのまま大きな花に生長してしまいそうな季節である。 先日、初めてニコラ・ド・スタール(1914-1955)という画家を知った。 日本ではあまり知名度はないが、作品のどれもが力強さと繊細さをあわせ持つ、未だかつて見たことのない抽象画だった。 わたしは部屋に「飾れる絵」と「飾れない絵」があると思っているが、彼の作品はまちがいなく後者である。 思考の轍を思
白波をかすめる海鳥の風切り羽 夕立ちの最初のひと粒 心地よい疲労から眠りへ沈むとき ≒美の在り処