カントー行くねんで
中学1年の秋、大阪の片田舎で機嫌よう暮らしていた私に大事件が起きた。
父の川崎への転勤がきまったのだ。
生まれてこの方、関西地方しか知らず、カントー、川崎など、宇宙より遠い
異世界、芸能人の住むお洒落で何を買うにも高いところと教わってきたため、
まさに青天の霹靂『えっ、何やのそれ』『知らん知らん、聞いてないし』
『いや、むりむり、あかんて』だった。
今でこそ、大阪のスーパーには納豆は何種類もあるが、
当時はスーパーにはなく、八百屋にわら納豆があるだけだった。
1993年、ディズニーランドが開園した年だ。
引越しをギリギリまで言いたくなくて、直前に友達に言った。
皆口々に、『いや、原宿いけるやん。でもカントーは地震があるらしいで、気ぃつけてや』
『ディズニーランドできるって聞いたで。うらやましいわ〜』
『「〜じゃん」とか言わなあかんねんやろ、いけるか〜』などと、
私を羨ましく思ってる風を装いながら、
皆、カントー行くんか?うわー、こいつ大丈夫か??という顔をしていた。
もう行くしかないという夜、部屋に大きな蜘蛛が出た。
私は「そら そうやで カントー行くねんで、大変やで」と心の中で思い、
じっーと蜘蛛を見た。
なんとかこの地に留まりたいと親に言ったが、
13歳の娘を置いていく親などどこにもいない。
初めて行った東京は、想像していたより、ずっと大都会だった。
山手線に乗り、新宿、代々木、原宿、渋谷と聞いたことのある駅名が続き、
いちいち興奮した。
何度か乗り換え、家に着いた。
空気がよくないのか空は、ずっと薄曇りだった。
中学校で転校の挨拶をし、最初のうちは話しかけてくれる子もいた。
大阪弁喋ってみてとよく言われたが、一人ではなかなか難しく、
うまく話せなかった。
ある日、先生からコピーを頼まれた。
そのコピー室は、狭く扉がなくどこへ行くにも生徒たちが通る場所にあった。
1人でコピーをしていたら、
量が多いからと、先生がもう1人男子を連れてきて、一緒にやってと言った。
こんなとこで2人きりになったら、みんなにからかわれるやんと思ったが、やるしかない。
関西地方の方ならわかると思うが、中学生の男女が2人で狭い空間にいる、
その横を通りかかる、このシチュエーションは、
「一言、言わなあかん」やつだ。
例えば『そんな狭いとこで何してんのん』
『知らんかったわ〜、付き合ってたん、言うて〜や〜』
『いやー、ショックやわ、私、〇〇くんに、今日、告白しよ思てたのに』
などと声をかけ、
こちらも『やめろや』『ちゃうて、おまえも手伝えや』
『俺にも選ぶ権利ある』『アホか、私もや』などと賑やかしく、
皆でひとくだりやる。
これを黙って見過ごす奴など、まじでアリエナイ、どした?腹でも痛いんか??である。
それが皆、コピー室の横を何にも言わず
通り過ぎていったのだ。
一緒にコピーしている男子も何を考えているのか黙ったままだった。
ええっ、これ何??
何ですのん??
今日、お通夜かなんかありましたっけ??
あれ?私、嫌われてる??
私の頭の中に、ハテナマークがいっぱいになった。
関東には、今、笑いを取りに行くところ、絶対からかわなきゃいけないやつなどの法律は存在しない、
何の悪気もないのである。
しばらくして、だんだん分かってきたが、しかし、やはり、それはさみしく、
大阪に帰りたいなあと思った。