宇野弘蔵編著『経済学(上)』を学ぶ

宇野編著『経済学』はわかりやすくまとめられていて良い本である。
まだ読書中だけど、気になることをちょっとだけまとめてみました。


《利潤の源泉》について。

資本制の生産様式における利潤の源泉について書かれてある。

人が労働するときには、必ず一日に必要な生活資料以上の富を生み出す。だから、富が蓄えられる。奴隷制においても封建制においても、それぞれ奴隷は自らの生活資料とともに奴隷主の生活資料以上のものを、農奴は自らの生活資料とともに領主の生活資料以上のものを生み出していた。それが社会の基盤であった。

資本制ではどうか?まさしく労働者が自らの生活資料を生産するとともに資本家の生活資料の他、莫大な富を生産しているのである。

資本制の基盤は奴隷制や封建制のような身分的支配によるものではない。商品の所有者の対等な交換に基づいて社会がまわっているから。

資本制の下では、労働者という自己の〈労働力〉以外に売るものを持たない者たち(農村共同体の崩壊などによって大量に生み出された者たち)があって、その労働力を資本家に売ることで自分の生活資料を得ている。

さて、労働力を売ると言ったが、その価値にはどのような根拠があるというのだろうか?

まず確認すべきことは、全てのものが商品として生産される資本制下では、総体として一般的には、全てのものが、その生産に必要となった労働の量がその価値となる。それを資本制の価値法則という。

ゆえに、労働力の価値とは、また明日も働きに来られる、あるいは次世代の労働者を育てることができる、その再生産の費用である。

要するにそれが賃金である。(現代では最低賃金が設定されているが、それが労働力の再生産、労働者という存在の再生産の費用の目安に見える。日々の生計を立てうる程度のものだ)。

そんな事情のもとで、売られた労働力商品は資本家の手に渡り、生産過程で各々の生産品目などに応じて具体的なプロセスの中で〈労働〉として発揮され消費される。
労働力を消費して生産するのは資本家だから、労働力の持ち手の意図は介入しえない。だって売ってしまったんだもの。そして、労働力は個々の人間の身体の働きのことであり、個々の人間の内部から労働力を身体外へ取り出すことができないから、労働者は実質的には身を売る形をとる。それゆえに労働者は資本家に隷属することになる。

原料や生産設備などとともに労働力が消費されて生み出された商品の価値は、原料費、生産設備その他もろもろの費用、そして賃金という必要経費を除けば、資本家のものとなり、それが剰余価値(平たく言って利潤)となるわけだ。

同じ日当で一日の労働時間が長くなればなるほど(絶対的剰余価値の生産)、新たな機械装置の導入などで資本の有機的構成が高まれば高まるほど(相対的剰余価値の生産)、より多くの生産物が生み出されることとなり、資本家の利潤はよりますます大きくなりうる。

こんな感じです。
資本−労働者の関係の肝となる部分ですね。

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