トロツキー『わが生涯』


ぼくは、トロツキーに引きつけられるものがある。
それはトロツキーが、オルガナイザーとしても演説家としても政治家としても理論家としても軍略家としても非常に優れた人物であるからというのもあるが、それ以外の「弱点」も魅力的なんだ。

有名な話だが、誕生したばかりのソ連という国の命運を賭けたトロツキー対スターリンの党内闘争のとき、当時腐敗が進んでいたロシア共産党の内部事情(とりわけ政治局内の事情)に嫌気がさしたトロツキーは、重要な政治局会議の場で議論に参加せず、バルザックなどのフランス小説を読み耽っていたという。
いかなる危機に直面しても、自身の才能を惜しみなく発揮して乗り越えてきたトロツキーではあるが、身内の腐敗には言葉もなくウンザリしていた。

ウンザリしている場合ではないと思うが…

トロツキーは、レーニンのような身内に対しても冷徹であること、転んでもタダでは起きない根性、打ち倒すべき敵と認識したら噛みついて離さない執念深さ、そして手段を選ばぬ図々しさを持ってなかったんだろうね。

レーニンが言うには(スターリンとの交渉のときに)「トロツキーはたびたび腐った妥協をしてしまう」と。

それでレーニンの死後、トロツキーはスターリンとの闘争に敗れ、国外追放となり、その11年後暗殺される。

同い年のスターリンと比べられて、「ひまわり(トロツキー)と月見草(スターリン)」という対極的な評価がされていた。
スターリンは、頭角を現す前はとても地味だった。そして才能があまりなかったんだ。

しかし、スターリンは自分の味方をつくるのだけは上手だった。政敵を追い落とし、権力を握るためには味方となる連中を組織し、そして手段を選ばず、なんでもした。

トロツキーにはそんな邪心は皆無だったし、彼はその多方面における才能と実績によって絶大な賞賛を受けていた。とても慕われていた。
彼が姑息な身内固めを嫌ったのは、そんな身内固めは、社会主義の実現にはなんの役に立たないどころか、むしろ有害だと思っていたのだろうね。

結局、スターリンの勝利は彼一流の姑息な根回しと組織化によるものといってよい。

知ってのとおり、トロツキーを追放したスターリンは、その身内を次々と粛清し、絶対的な権力を手に入れる。歴史上初めて成立した社会主義国家は、ここで早くも絞殺されたといってよい。

その国家の遺体は、埋葬される1991年までの間、悪臭を放ちながら腐敗していったわけだ…

だが、そのソ連の墓から甦ったのは、他ならぬ敗将のトロツキーである。

ゴルバチョフのペレストロイカからソ連崩壊の過程でずいぶんと隠匿されていた史料が出てきた。
ロシア革命の成就とソ連の建設の初期でのトロツキーの実像が史料の後づけを得て、一般に知られるようになる。そうして、トロツキーこそが社会主義の命運と自分の生涯を重ね合わせ、ひたすら突っ走った偉大な人物であると復権され、再評価されることとなる。

彼は歴史の荒波でもまれ、そしてまた歴史をも動かした。20世紀最大の事件=ロシア革命と国際共産主義運動に全生涯を捧げた人物の軌跡が味わえる書物となっております。

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