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『怒り』という感情


人に怒りが出た時、その怒りの対照は本当に自分を怒らせたその人自身ですか?

怒りの感情をよくみてみると、
同じようなシチュエーションの時にその怒りは出てきませんか?

客観的に見てみると、もしかしたらその人から出た特定の言葉や、態度、シチュエーションに無意識に自分だけ過剰に反応しているかもしれない。
そんな時は、怒りの対照はその人ではない。

では、誰か?

大抵は幼少期のインナーチャイルド(満たされなかった子供の自分)が今も解決できずに反応している。なので、対照は本当は『両親』ではないでしょうか?

両親が対照なのに、同じシチュエーションを起こしたその人を怒ることは、人間関係において、自分にとってのデメリットですよね。

では、本当の対照に自分の気持ちを伝えるのが、本来の形かなと思います。
もう私たちは、あの頃の、親しか頼ることのできず、黙るしか選択できなかった子供の頃の自分ではない。

でも、あの頃の私の気持ちを多分心底わかってもらえることは
少ない。でも、自分の中の何かが、安心感、なによりも自分に正直にできた、という自信、自己信頼の悦びを、すぐにではなくても、じわじわとやってくるはず。

そんなことを今日思いました。

追記:伝えてもわかってもらえなかった寂しい気持ち、でも伝えれた、という自分への賞賛を、他の人からもしてあげれる場ってあるといいな、と思っています。

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