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女性を取り巻くカダイは男性のモンダイ

 武田砂鉄さんの新刊『マチズモを削り取れ』(集英社)の発行に合わせて、こんなインタビュー記事が掲載された。

 これらの問題(痴漢、セクハラ、女性活躍、男性優位の構図)は、そもそも男性が解消すべき問題であり、先ほども言いましたが、“女性問題”というより“男性問題”です。男性が気付いて改善すれば、なくなる問題ばかり。男性側が自分や周囲の行動を検証すれば、良い方向に変わるはず。この本は「女性の味方」ということではなく、男性が中心となって作ってきた社会構造を考察しているにすぎません。これは良くないので直そう、という話です。

 10年以上前からまったく同じ意見。当時から事態は何も好転していないと痛感する昨今なので、改めて過去のブログ記事を再掲する。

(2010年2月28日「松ちゃんの教室」ブログ記事再掲)

 男性の育児「参加」を求める声が高まる一方、育児ギョーカイではまだまだ男性が受け入れられていないなぁ……と感じることが多い。プレママクラス、両親学級、保護者アンケート、育児雑誌などでの肩身の狭さ、違和感、疎外感である。

 父親自身に関心がない、あるいは時間的余裕がないという場合も多いだろうが、そもそも父親の「参加」を促す情報、案内、体制がどれだけ発信、整備されているだろうかと逆に問う必要もあるのでは……?

 今でこそ、男子トイレにもおむつ替えのコーナーが設置されるようになったが、授乳スペースと同様、男性も入れる(入りやすい)赤ちゃんスペースは子連れのパパにとって切実な問題である。

 もちろん、女性特有の課題もある。産休、育休、生理休暇、母乳育児、子育て支援などなど……。ないがしろにされてきた権利として女性や母親が獲得してきた運動の歴史、成果もある。

 しかし、振り返ってみれば、女性の課題とは概して男性(社会)の問題である。女性だけが団結して議論し、世に訴えても、あまり合理的ではない気がする。なぜなら問題の根幹は、男性側にある場合が多いのだから。

 話が飛躍するようだが、さらに加えて言うと……かつて「女こども」とくくられた「子女」への教育がほとんど顧みられなかった時代に、女子教育が必要だったことは十分認めつつ、今の時代に女子と男子で区別して授業を受けさせることに一体どれだけの教育的意義があるのか、甚だ疑問である。

 とりわけ性教育などの分野で、女子だけ、男子だけがそれぞれ別々に別の内容を教え、議論することがどれだけ不毛で非合理的か。もちろん、極めてデリケートな問題も含むので最大限の教育的配慮に神経を遣う必要があることは言うまでもないが……。

 今一度、そのメリット・デメリットを考え直す必要があるのではないだろうか。先に述べた男性(社会)の問題とどこかでつながっているような気がしてならない。

 そしてこれは、国内に存在する多くのミッションスクールが、今後直面していく課題でもある。学校で浸透してきた男女混合名簿ですら異論があるようなので、正反対からの主張もあるのだろうが、男子校で勤めていた立場から、あえておぴにおんさせていただく。


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