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教育系雑誌で「道徳教科化」をdisったらボツにされた話

(2018年3月3日 連投ツイより)

 某保守系雑誌に寄稿を依頼され、喫緊の課題である「道徳の教科化」についてダメ出ししたら「これだと載せられない」と修正を依頼された。全国の公立校関係者が読むとのことなので、せっかくの機会を逃したくはないが果たしてどうすべきか……。当たり障りないテーマで書き直すのもありだが、うーむ。

 学校における「道徳」教育をめぐっては、そもそも教師が道徳的に唯一絶対の「正しい」価値観を教えられると思い込んでいること自体が誤り。教師にできるとしたらせいぜい、「正しさ」が無数にあることを教えることぐらい。それぐらいの謙虚さと相対化できるセンスがなければ子どもの心は動かせない。「いじめはダメ」「思いやりが大事」とか言いながら、かたや差別と暴力、貧困と格差、搾取、捏造、収賄、ヘイト、パワハラ、セクハラといった問題にマトモな対処ができていないオトナたち。どれだけ立派な教科書や副読本なんか作ったところで、何の説得力もない。子どもはオトナの欺瞞を容易に見抜く。

 「道徳を教えればいじめがなくなる」などと、本気で誰が信じているのだろうか。かつて「郷土愛」と「自己犠牲」「忠義」の精神を叩き込まれた日本人は、勇んで隣国に侵略した。「愛する者を守るため」という名目で。彼らは戦争のために自ら進んで節制し、秩序を重んじた極めて「道徳的」な国民だったはずなのに……。

 「だったら対案示せ」「いじめを放置するよりマシ」みたいな意見もあるだろうから先に言っておくと、非道徳的で人権感覚に乏しい教員が教科として「教える」ことなんかよりまずは、教える側のオトナ自身が子どもの前で恥ずかしくない生き様を見せることが先決でしょう。子どもは自ずと学ぶもの。むしろ上辺だけの「道徳」教育によって「本音と建前」「表と裏」を使い分けることや、オトナの顔色をうかがいながら「望まれる答え」を提示するという処世術を無意識下に学ばせてしまうことの方がはるかに罪深い。すでに教員自身が「物言えぬ査定の対象」と化してしまっている学校現場ではなおさら。

 あと、宗教系の私立校がこの流れに乗じて「やっぱ心の教育大事よね」「ウチらは前々からやってます(ドヤ顔」的な反応するのにも嫌悪感。宗教って道徳なの? 道徳的じゃない宗教(宗教者)とか腐るほどあるし。心の教育ってマインドコントロールだったの? って聞かれたらちゃんと答えられなきゃ嘘。

 一連のツイートは元私立校教員としての非力さを棚に上げた発言ではなく、在職時、自分自身がその辺の自覚も力量も足りなかったことを恥じ、悔いた上での提言。今も現場で、保護者の過度な要求と文部行政の無策に翻弄されながら奮闘と模索を続ける教員諸氏には最大限の敬意を表したい。教育学部で学び、教育実習も経て半ば「教師に向いている」と思い込み、子どもが好きだと自認していた若造が、子どもたちの無垢な「悪意」に日々直面させられるのは正直しんどかった。それでも、5年間という短い在職期間で得られた収穫はあまりにも大きかった。……ので関係者には今も感謝しかない。

 以下、日の目を見ることがなかった幻のボツ原稿。

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