バディ・ホリー

41曲のロックンロールの名曲が詰まった映画「アメリカン・グラフィティ」。同一の歌手で複数の曲が使われているのはチャック・ベリーとビーチボーイズ、ダイアモンズ、そしてバディ・ホリー。
時代設定された1962年はビートルズが英国でデビューした年であり、その後、ブリティッシュロックが席巻していくことになるエポック。ジョージ・ルーカス監督はDVD特典の「メイキング・オブ・アメリカン・グラフィティ」の中でも、50〜60年代初期のロックンロールへの郷愁を語り、ブリティッシュロックの席捲がアメリカン・グラフィティの企画につながったと紹介しています。
「バディ・ホリーが死んでロックンロールは終わった」
走り屋ジョン・ミルナーのせりふにルーカスの思いが現れています。

そのバディ・ホリーは1959年2月3日、飛行機事故のため22歳の若さで他界した不世出のロックンローラー。3人組のザ・クリケッツとしてメジャーデビューし、映画の中の5曲目に入っているTHAT’LL BE THE DAY(1957年)が最初のヒット。
裏声と地声をたくみに交錯させる楽器的な歌唱法や、リズミカルな言語感覚(例えばメイビー・ベイビー、オー・ボーイあるいはwellをア・ウェラ・ウェラ・ウェラと発音)はその後のロックに大きな影響を与えています。
ポール・マッカートニーも少年時代にバディ・ホリーがアイドルだったようで、後年、ホリーの楽曲の著作権を買い取りました。また、ホリーはバンド名をつける際に当初、ビートルズ(カブトムシ)を考えたけれど、結局、クリケッツ(コウロギ)になったという逸話を萩原健太さんの著作で読んだことがあります。

ファッションの面から僕がバディ・ホリーに注目するのはメガネです。ボー・ディドリーなどメガネをかけたロックンロールのルーツはいますが、メガネのロックンローラーは当時珍しかったのではないでしょうか。べっ甲やセルのフレームが中心の時代。デザインも限られていたと思いますが、ホリーはガリベンタイプのようには見えないクールなメガネのウエアリングです。

僕も高校1年のときにメガネが必要になりました。授業中に黒板を見るためのものでしたが、最初に選んだのはセルのボストンタイプ。やっぱりアイビーだったら「ボストンしかない。ハーバードはボストンにある。猪木もミスターXをボストンクラブで仕留めた」などと説明はしませんでしたけど、親戚のおじさんが勤めていた百貨店のメガネ売り場で購入しました。
目が悪くなってメガネが必要になったことを変に嬉しく思ったのは、今思うと本当に馬鹿でした(笑)。

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