プロット「桃酔の里(仮)」
◆ジャンル:時代小説+ファンタジー
◆ターゲット:13歳~22歳(中学1年生~大学4年生)
◆コンセプト(メッセージ)
「他者をありのまま認めなさい」
「異なるものでも、許容する心と思考を持ちなさい」
受け継がれてきた文化・慣習を、
他の文化圏の人たちが非難してはいけない。
たとえそれが野蛮と思われる文化・慣習だとしても、です。
なぜならその国・地域で暮らす人たちにとっての個性であり、
アイデンティティだからです。
自分たちとは違うという理由で、
また自分たちの考えに従わないという理由で、
拒否や暴力的な行動に出るなどは、もっての外。
相手が望まない積極的な交流すら迷惑です。
文化・慣習は、時代とともにゆるやかに変化していきます。
変化のなかで、徐々にお互いが混ざり合い、溶け込んでいくものです。
個人との関係も同じです。
あせらず他者をありのまま認めることから親交は始まるのです。
異なるものとしてあからさまに拒まず、
許容する静かな心と思考を意識することで、
次第にお互いの理解が深まっていきます。
~ タイトル:桃酔の里(仮)~
延享4年(1747年)の夏、中山道 木曽福島の関所。
それまで昼夜開け放していた関所の門扉が、
日没とともに閉じられるようになった。
文献には、関所内の番所に吹き込んでくる強風を遮るためと書かれてある。
また同じ夏、この木曽福島宿で、若い女が斬首されている。
番所の記録には「切支丹 小女一人 吟味 斬首」とだけ残されており、
このキリシタン発覚事件が、
関所の門扉を閉めるようになったきっかけとも言われている。
■お夕と忠吾の編
若い女の名は、お夕。
お夕は、木曽福島宿にある旅籠で働く飯盛女。
※飯盛女:給仕もしながら、泊まり客の夜の相手もした住み込みの女中
ある夜、お夕は、懇意になりつつあった若い男、
番所に勤めている役人・青山忠吾に、
自分が隠れキリシタンであることを気づかれてしまう。
(お夕は十字紋のある「赤い鈴」を隠し持っていた)
忠吾は、好意を寄せているお夕が、
隠れキリシタンであることを知り、思い悩む。
そして苦悩の挙げ句、お夕を告発してしまう。
旅籠の女将も捕らえられたが、取り調べの結果、
お夕の素性をまったく知らないことが分かり、しばらくして釈放された。
お夕は、どんな責め苦を受けても、
生まれ故郷をかたくなに明かさなかった。
木曽の山は、優良な材木が採れる地であったため、
幕府直轄領として尾張藩の山村氏が代々、代官を務めていた。
そんな木曽の地で起こったキリシタン発覚事件。
厳格な対処が求められるにもかかわらず、
木曽代官第8代・山村良啓は、
故郷を守り通す健気なお夕の姿に温情を見せる。
山村良啓は、自らの屋敷に連行し、御殿医に傷の手当をさせた。
※御殿医:幕府や大名に召し抱えられた医者
数日後の夜、木曽福島宿が豪雨に見舞われる。
山村良啓は、豪雨に紛れさせ、お夕を解放した。
責め苦で傷つき疲労した身体を引きずりながら、
豪雨のなか、逃亡するお夕。
しかし、逃げる道すがら、青山忠吾に出くわしてしまう。
観念したお夕は、忠吾に自分の首を突き出す。
「忠吾さまの成敗ならば本望です」
「後生です。この場で切り落としてくださいませ」
忠吾は本差を振り上げたが、結局その刀を振り下ろせなかった。
「…… 行ってください」とつぶやき、
お夕に背を向け、本差を収めた。
お夕は忠吾の背に向かって、抱えていた想いを打ち明ける。
「叶わぬ願いかも知れません」
「わたしは忠吾さまのことを恋い慕っております」
「夫婦になりとうございます」
「いっしょに逃げることは叶いませんか?」
忠吾は、ふりしぼった声で、背にいるお夕に言った。
「…… 何も申し上げられません」
「ですから、もうこの場から早く」
お夕は、最後の懇願をあきらめ、
忠吾の後ろ姿に深く頭を下げ、
体をひきずりながら山の中へと入っていった。
その後、この事件は、
山村氏の私邸からの逃亡ではなく、番所からの逃亡であるとされ、
以降、関所の門扉は、
逃亡阻止の目的のために、日没とともに閉じられるようになった。
また、幕府への対面もつくろわれ、
「切支丹 小女一人 吟味 斬首」という、ウソの記録が残された。
■りんと太助の編
江戸中期の木曽が舞台。
太助は、流れ児だった。
口減らしのための間引きは、江戸時代には貧しい農村などで行われており、
太助は菰にくるまれ、川を流されてきた児だった。
子に恵まれなかった木地師の夫婦に掬われ、太助は育った。
※木地師:ろくろを回して木地製品(椀や盆など)を作っていた人たち
15歳になった太助は、
自らの出生の秘密を知るべく、
自分が流されてきた川の、川上へと向かう。
木曽の山は、幕府直轄領・尾張藩の御用林であったため、
庶民は立入禁止だったが、木地師だけは特別に許されていた。
木地師の祖が、第55代文徳天皇の、
第一皇子である惟喬親王だったからとされている。
川上へと向かう太助は、森の中で、一人の少女と出会う。
少女の名は、りん。
動きやすく短めに切られた裾丈の着物に体を包み、
左の手首には「赤い鈴」をつけている。
りんに導かれるまま、太助は木曽の山深く、森の奥へ奥へと案内され、
りんの暮らす集落へと辿り着く。
そこは、女性ばかりが暮らしている小さな集落。
中心には、お堂(教会)らしき宗教施設が建っている。
太助は、人里離れた隠れキリシタンの集落に連れて来られたのだった。
集落の女たちは、よそ者である太助の侵入に慄然とする。
りんの母・里の首長ちひろは、
「掟を破って、よそ者を連れてくるなんて」
「いずれ跡を継ぐあなたがどうして!」と身勝手な娘を叱った。
りんは、集落の掟と、
首長を後継しなければならないことに反発していた。
ちひろは、集落の者たち全員をお堂(教会)に集め、
「里のことを下界に知られないために」
「この男は一生、この里から出さない!」
太助を集落にとどまらせることを宣言した。
太助は、隠れキリシタンの集落で暮らすことになった。
集落から出なければ自由の身である太助は、女たちから歓待を受ける。
恋心を寄せるりんは、嫉妬する。
次第に太助も、りんに対して恋心を募らせていく。
太助はこの集落への疑問をずっと抱えていた。
なぜ女ばかりなのか? なぜ男がいない?
男がいないのに、どうして子が生まれてくるのか?
やがてその仕組みが分かる。
集落の女は、ある年齢になると山を下りていき、
下界でしばらく暮らす。
飯盛女として旅籠で働く者、
下女として仕える者、かりそめの夫婦になる者など、
さまざまではあるが、彼女たちの目的は男から精をもらうこと。
妊娠が判明したら、それまでの生活から逃げ出し、
里に戻って子を産み、女児なら育てる。
男児なら川へ流してしまう。
太助は、この集落で生まれ、川へ流された男児だった。
太助は実母らしき女を探り当てる。
女の名は、鶯花。
太助を産んだあと、集落の掟に従い、太助を川へ流した。
鶯花は産後の具合が良くなく、つぎの妊娠をあきらめ、
そのままずっと集落で過ごしていた。
実母?と再会し、太助は本来の目的を果たした。
惹かれ合う太助とりんは、やがて結ばれる。
そしてりんは少しずつその身勝手な振舞いも減っていった。
ちひろは、りんの変化(長としての自覚の現れ)を認め、
首長をりんに継がせることを決意する。
若くしてりんは首長を継ぎ、
ちひろは隠居することになった。
太助は、新しい首長・りんに仕える役を命じられる。
専属の種役として。
やがてりんは妊娠する。
ところが産まれた児は、男児だった。
掟に従うならば、川に流すことになる。
新しい首長・りんは、
集落の者たち全員をお堂(教会)に集め、皆に向かって宣言する。
「この先、産まれた児を流すなどという無慈悲なことはしない」
騒然とする集落の女たち。
「男児であってもこの里で育てます。希望する者は下界に下り、男を連れ帰ってきてもよい。ただし、一生この里からは出さない。信仰はこれまで通り守り続けます。私たちの存在はこれまで通り隠し続けます。しばらくの間は下界に下る者たちが増えるでしょう。いずれそれも無くなります。男たちが殖えれば、下界へ行かなくてもよくなる。そうなれば、下界との交わりを完全に断つことができる。この里を、私たちの信仰を、永久に守り続けることができるようになるのです」
掟は更新された。
里の新しい首長・りんによって、集落の掟は書き換えられた。
■エンディング
太助の育ての親である木地師夫婦のもとへ、
一通の手紙と、一体の木彫りの像を持って、ひとりの女が訪れる。
木彫りの像は、仲睦まじい若い男女と赤ん坊の彫像。
手紙は、太助からの、育ての父母宛のものだった。
「ご無沙汰しており、すみません。心配なさらないでください。遠く離れた里にて夫婦となり、子にも恵まれ暮らしております。鉋の仕事も続けております。せめてもの孝行の品。どこかにでも飾ってください。父さま、母さま、末永く達者にお過ごしください」
木地師夫婦は、
手紙と彫像を受け取ると、
届けてくれた女に礼を言って、女を見送った。
その女は、美しい顔立ちをしていた。
しかし、まだあどけなさを多く残した少女だった。
この少女こそ、
これから下界へと下る、
木曽福島宿に向かう直前の、お夕だった。
おしまい
※以下、補足
「お夕と忠吾の編」「りんと太助の編」が交錯しながら、
小説「桃酔の里」は進んでいきます。
◆お夕と忠吾の編について
◎木曽路中山道沿いの各所には、
隠れキリシタン信仰の名残が散在しています。
遺物も多数残されており、
奈良井宿にある大宝寺のマリア地蔵は有名です。
◎キリストの最期の言葉、
「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ」
(神よ、神よ、なぜ私を見捨てられたのですか)
という嘆きのシーンを想起させるべく、
構想の初期段階では、お夕は斬首される結末でしたが、
コンセプトに従い、やめました。
◆りんと太助の編について
◎桃源郷伝説と桃太郎伝説をモチーフにしています。
◎深い霧が晴れると、またはトンネルを抜けると、
そこは別世界(桃源郷)という話は、古今東西あります。
「千と千尋の神隠し」も同類。桃源郷伝説のバリエーションです。
里の首長ちひろの名が、このアニメと同じなのは、偶然です。
りんと太助の編の原型は、23歳のとき(1993年)に書き残しました。
またその年の夏に、
木曽福島(長野県)へ第1回目の取材旅行にも出かけています。
(「千と千尋の神隠し」が公開される8年前です)
ちひろは、もちろん千尋と書きますが、
尋(ひろ)とは、両手を真横に広げた長さのこと。
またその姿が十字架をイメージし、
シャーマンの姿としても適しているため、名づけました。
◎桃太郎伝説は、日本各地にあります。
シチュエーションなどが変わった桃太郎に似た昔話もたくさんあり、
その中には、成長して親探しに出かける話もあります。
◎童話「桃太郎」。
そもそも川上から赤ん坊が流れてくるなんて話は、
間引きされた子どもの話であると解釈できます。
そして成長した子が親探しに出かける際、
重要なのは「鬼征伐(鬼さがし)」の、鬼です。
方位で言う鬼門の方角は、丑寅の方角。北北東です。
川上が北北東である必然から、小説の舞台は木曽川上流になりました。
鬼が、ウシの角を生やしてトラのパンツをはいているのは、
丑寅の方角 = 鬼門 に由来しています。
ちなみに、愛知県犬山市には「桃太郎神社」があり、
ここにも桃太郎伝説が残っています。
犬山市は木曽川流域にあり、市の北側は木曽川に面しています。
※この小説の舞台は木曽です。
◎また、民謡「木曽節」には、こんな一節があります。
♪ 木曾の習いか 藪原流か 婿も取らずに 孫を抱く ♪
※小説「桃酔の里」には、打ってつけのフレーズです。
◆コンセプトとの整合性について
◎お夕と忠吾の編では、
若い役人・青山忠吾と、木曽代官・山村良啓の、心の葛藤が描かれます。
異教徒である隠れキリシタン・お夕に拒否反応を感じつつも、
健気な姿に動揺してしまう。
もっと異形な者たちだと思っていたキリシタン。
しかし、自分たちとまるで変わらない。
むしろお夕はたくましく、そのたくましさは、とても美しい。
青山忠吾と山村良啓は、
幕府の禁教令を破ってしまうことを自覚しつつも、
お夕のそのままを認め、許容し、見逃すことを決断する。
◎りんと太助の編では、子殺しの風習の続く集落に対して、
太助は嫌悪感を抱きます。
風習の犠牲者でもあるため、
怒りや悔しさなども綯い交ぜになって複雑な感情です。
しかし、集落の女たちとの交流、実母?との再会、
りんとの恋などを経て、
太助は集落の人たちのことを静かに許容していきます。
そして、集落の新しい首長となったりんが、
掟を緩和するという大団円。
異なるもの同士が互いを受け容れ、
少しだけ融合するという結末です。
◆小説をしめくくるエンディングについて
◎別々に進行する2つのストーリーが、最後につながります。
小説冒頭にループするという手法はありがちですが、
「そうきたか!」っていうセンセーショナルな結末は、
読後のときの高揚感を与えてくれます。
なので、このエンディングを採用しました。
以上、プロット「桃酔の里(仮)」でした。
★「桃酔の里(仮)」が生まれるきっかけになった小説 ★
酒見 賢一 著「後宮小説」
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