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境界線

人間には2種類の人がいて、「しにたい」と思ったことがあるひとと「しにたい」と思ったことがない人。
私が「死にたいとおもったことがない人」の気持ちがわからないように、「死にたいと思ったことがない人」には、私の気持ちはわからない。
一生「しにたい」と思わなくて済む人生ってどんなふうだろう、と考えたりもするけど、それも、いつも「しにたい」と思っている私にはわからないんだろうな。
そんな私でも健康?に生きられているタイミングだってある。でも、一度「しにたい」を知ってしまったら、そこに落ちるのは簡単だ。中毒者みたいだ。
「しにたい」へ行く道には普通の人には、壁が作られている。日常生活という壁が。
そうしないと、すぐにそちらに向かってしまうから、仕事したり、家事をしたり、趣味を作ったり、何かをみんなしているのかな?考える時間を作らないためかな?
本当はしにたいと思うことは、本能とは逆行しているはずなのにどうしてそんなこと思うのだろう。

私がいない方が、家族がうまくまとまるんじゃないか、みんな私の世話をしなくてすむ、何より私がこの現実から逃げたい。
明日が来るのが怖い。
やすみたい。やすめない。
ずーーーーっと眠れるなら眠っていたい。でもいくら薬を飲んでも目が覚める。絶望。

先週まではどうにか持ってたのに。これまでにないくらい頑張れてたのに。治ったと思ってたのに、なんですぐ戻っちゃうんだろう。
なんで急に何もできなくなってまわりを失望させなきゃいけないんだろう。
元気だったのはまた躁状態だったのか。元気だったんじゃなくて病気か。

病気と元気の境界線ってなんなんだろう。
正常と異常の境界線は?

死にたいか死にたくないか?

日本という平和な国で、命を脅かされることもなく暮らしているからこんなこと思うのだろうか。異常な考えになるのだろうか。
私よりももっともっと大変な人はたくさんいて、もっともっと頑張ってる人はいるのに、何で私は病気になっちゃったんだろう。そのせいで迷惑をかけてる。何で動けないの?何で何もできないんだろう。

もうがんばりたくないよ。

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