「古着をまとっている娘たち」が意味するもの ー 「オート・クチュールとオート・キュルチュール」論考
はじめに
ここでブルデューは何を言おうとしているのだろうか。引用元、「オート・クチュールとオート・キュルチュール」においてブルデューは、「オート・クチュールの生産の場の構造」を描くことによって、「知的生産の社会学つまり知識人の社会学、同時にフェティシスムや呪術の分析に貢献」し、「社会学の機能はどこにあるのか」という問いに答えようとする。本稿では、「オート・クチュールとオート・キュルチュール」の読解と付記を通じて、「ファッション研究」(工藤: 2021)における「古着」研究の役割に言及したい。
当該テクストにおけるブルデューの目的と理論的視座
「オート・クチュールとオート・キュルチュール」というタイトルが意味するものとは何なのだろうか。オート・クチュール = haute coutur(高級仕立て服)であることはお分かりのことだと思うが、オート・キュルチュール = haute culture(高級文化)を、オート・クチュールについての社会学的分析を通じて社会学的に研究しよう、という目的が書き込まれている。
このように、オート・クチュールが「一見すると少しばかり軽薄なテーマ」であるとしつつも、「高級文化」との構造の類似性をもとに、言及を行う。その上で、なぜ高級文化に直接言及しないのか、という問いに応える形で、次のように応える。
本稿の目的として据えられている「社会学の機能」に対する問いというものが端的に現れた一節であると同時に、ここにはブルデューの認識論が明確に現れ出ている箇所でもある。
『認識と反省性』内の、磯が『ディスタンクシオン』を訳出した箇所からの引用であるが、換言すると、「客観化の場所そのもの」を「客観化」するという試みを行わない限り、「客観化」はなされないということであり、ここで客観化の場所そのものを客観化することを強調している理由は、いうまでもなく観察対象であるわれわれまでもが「場(=界)」の力学に含まれてしまうからである。ミイラ取りがミイラになるという例えはこの場合適切ではない(というのも、ミイラ取りがミイラになっている自覚がなくミイラになる、というような構造であるため)が、概ね要旨は伝わるだろう。
つまり、「これらの正統な対象(マルクスあるいはハイデガーに対する論評の生産、絵画の生産、絵画に対する言説の生産、筆者注)は、その正当性によって科学の視線から守られており、神聖な対象を科学的に研究しようとするなら免れえない脱神性化の仕事から守られている」というのは、「その正当性」という「場(=界)」の力学が働くが故に、「脱神聖化」を行うことができない(ここでは、文化社会学の目的を「脱神聖化」だと捉えて良い)ということである。そのため、同様の「場(=界)」の構造を持つ「オート・クチュール界」の分析をもとに、「高級文化界」の構造を分析しようとしている、ということである。
ここで注目すべきは「オート・クチュール界」が「高級文化」に比して「脱神聖化」しやすいと捉えられていることである。ブルデューの『ハイデガーの政治的存在論』が1975年に上梓され、「オート・クチュールとオート・キュルチュール」が1974年に上梓されたことを考えれば、「高級文化」の中に「ハイデガーに対する論評の生産」が含まれていることは示唆的であり、加えてコレージュ・ド・フランスでの「象徴革命」講義(マネ論)が1998-2000年にかけて行われていたことも言及の余地がある。
「高級文化」に比して「脱神聖化」しやすい領域であるからこそ、ファッション研究はいわんや重要であることは言うまでもない。そのようにブルデューが捉えたのも、1974年時点では哲学・思想史や美学・美術史のような制度化が行われておらず、「大学界」、ひいては「権力界」の作用が薄い故に、「反省性」を機能させるための「認識論的断絶」が比較的容易に(ブルデューや大学人にとっては)行えるから、ということであろう。
このように、民族学の役割を社会学の役割と対比させて論じることもブルデューの特徴である。まさしく社会学の役割を卑近なものにたいする民族学として考えるような実践は、ブルデューのアルジェリア経験に由来するところ、またレヴィ=ストロースに代表される構造主義人類学が趨勢を誇っていたこと、ブルデューもまた影響を受けたことが大きい。
オート・クチュール界の構造
的確にオート・クチュール界の構造が描かれている箇所の引用である。「支配的な位置を占めている者」としてはLVMHやHermesなどがわかりやすい例であろうか。新参者は数多いるが、当然パンクスタイルの象徴であったヴィヴィアン・ウエストウッドは当時は新参者であっただろうし、マルジェラやフセイン・チャラヤン、ヴェトモンなんかもそうである。当時は、という言葉が意味しているのは、ヴィヴィアン・ウエストウッドがパンクスタイルから離れていく過程にわかりやすく見受けられる。
「モード界」に参入することは、新参者であり、「アンチ・モード」を掲げたとしても、モードのシステムの中でLVMHに代表される「支配的な位置を占めている者」とのゲームを興じるにすぎないという事実がここでは皮肉にも見てとることができる。そのゲームの中で、新参者は、「支配的な位置を占めている者」に変化していき、そのための「転覆の戦略」=「賭け金」として、この場合ウエストウッドは「歴史再解釈」というものを持ち出したということである。
本論に戻ろう。ここではバルマンが「支配的な位置を占めている者」として、シェレルが「新参者」として、前者が「右」、後者が「左」として類比される。
まさしく、ここではバルマンのような「支配する側」が、シェレルのような「支配される側」に対して、超善とした態度をとり、「沈黙し、黙認の状態を守る」(ブルデュー 1991: 256)。一方で、シェレルのような「支配される側」は、「支配者たちが自分たちの支配を正統化している原則そのものの名において」、「ゲームの原則そのものをひっくり返すことを狙った戦略をとる」(ブルデュー 1991: 256)。であるならばなぜ、「オート・クチュール界」「モード界」そのものが破壊され転覆されることはないのか。なぜ変化がなく、キューブリック映画や黒澤映画をサンプリングし、大金をかけショーをすることが「パリ・モード」に必要なのか。クレージュやシャネルが行ったような、シルエットそのものに対する改革などはめざされず、二番三番煎じ、子供騙しのシミュレーショニズムもどきを多くのブランドが毎年2回、飽きることなく発表し続けるのか。ここには大きな問題がある。つまり、なぜそれらの、どう考えても服飾史、モード史的に価値のないクリエイションを行うブランドが指弾されず、彼らの体制が維持されるのか、という問題である。仮に「パリ・モード」の体系を芸術の体系であるとしよう(そんなことは一切ないのだが)。どの芸術家が毎年決まった時期に決まった回数作品を発表しようか。しかもそのクリエイションのレベルが明白にそれ以前のものと比して劣化しているのに。つまり、どういう力学によってこの「パリ・コレクション」に代表されるシステムが存在しているのか。それに目をやる必要がある。
「超えてはならない一線」。ここにおいては、「パリ・コレクションに代表されるパリ中心のモードの場」とでも言い換えられようか。ここで述べられているのは、「超えてはならない一線」という「不変項」が、「パリ・モード」の体系に代表される「追い抜きレースの形態をとる闘争」においては、その体系内での「変化の所産」として「不変項」となるということである。換言すると、ヴィヴィアン・ウエストウッドも、コムデギャルソンも、マルタン・マルジェラも、「アンチ・モード」の代表格とされてきたブランドがもたらす変化そのものが、「支配する側」と行う「追い抜きレース」によって、「パリ・モード」は維持され存続されゆく、ということである。
「アンチ・モード」?
さて、ここで一つの問いが生まれる。「アンチ・モード」とは何であるのか。象徴的に美を操作し、それをコントロールしてきた「パリ・モード」を、その権力の座から引き摺り下ろすことができるものとは何であるのか。その多くが広告費に当てられ、上流階級が提起する美の形式をひっきりなしに再生産、喧伝し、言いようもなく階級格差を目の当たりにさせ、いわんや70年代以降下層階級が生み出してきたストリート・スタイルをも「今季のテーマ」にあつらえ、下層階級が生み出してきた「ブリコラージュ」「キャンプ」の手法をも自らのブランディングに資し、既存の「ファッションにおける美」の権力を維持温存させる「パリ・モード」に対する、本当の「アンチ・モード」とは何であるのか。最初の引用に戻ろう。
ここでブルデューはそれを「古着をまとっている娘」に見ている。なぜか。
「神聖化」が「神聖な財の生産システムにかかわる行為者すべての共謀だから」というのが一つの答えとなるだろう。つまり、どうあがいても、「神聖な財の生産システム」から切り離されて存在している古着そのものは、「モード界」の外に存在しているのである。ただ、ここで強調しておかねばならないのが、「神聖な財の生産システム」から、「古着をまとった娘」が切り離されているわけではない、ということである。というのも、「娘」は、「神聖化のサイクル」の中で、「パリ・モード」や、それに影響を受けたファッション言説、すなわち「流行り」に影響を受けて装っている限りにおいて、少なからず「神聖な財の生産システム」にかかわり行為しているからである。それゆえ、「なかなかいいじゃないか、素敵だよ」と、「一定のところまで」は言うのである。つまり、「アンチ・モード」とは、ブルデューによれば、「神聖な財の生産システム」から切り離された古着の「場」であり、「神聖化のサイクル」に与さない形で装う人間により構成される「古着界」なのである。
「古着界」
「新品屋」という言葉がある。過去ヴィンテージ古着屋に勤めていたときによく耳にした言葉であるが、この対比、すなわち「古着屋」と「新品屋」という語による対比は、まさしくその「屋」が属する「界」の違いを示唆しているように思える。いわば、「モード界」に対する「古着界」が存在しているかのように。ただ、この指摘も一面的なものでしかない。「古着界」の中で「卓越性」を独占しているもの、換言すれば「支配する側」にあるのは、紛れもなく「アメリカのヴィンテージ古着界」であるが、その「アメリカのヴィンテージ古着」自体も、終戦後の米軍払い下げ品からアメ横での輸入服販売、60年代の「VAN」に代表されるアイビースタイルや、70年代平凡パンチが出版した『Made in USA』(『ホール・アース・カタログ』に影響された)に代表されるカタログ消費、80年代の山崎真之の「クリームソーダ」に代表されるフィフティーズスタイルや渋カジスタイル、90年代の裏原新品屋(それらは「モード界」に参入したものも多い)など、「古着界」という場の論理だけで動いているというよりは、歴史的、相互作用的に過去・同時代のアメリカン・スタイルに影響され、その中で商品の価値や特有のモードも動いているからである。つまり、ブルデューが考えるところの「モード界」に対して「アンチ・モード」たりうるスタイルの一つが、「日本で独自に解釈されたアメリカン・スタイルの古着界」であり、ただそれも「一定のところ」を超えているかいないかは未だ不明瞭である。ある意味で、ここを明瞭にする作業が私が取り組む卒論の目的の一つではあるわけだが、業界内での相互作用が高いこともあり「アンチ・モード」であるというよりは「オルタナティブ・モード」であるというのが現実的なところではあろう(マークス 2017)。
ただ、こうした「オルタナティブ・モード」なるものが「アメリカ」という準拠をもとに構成されているのは極めて興味深い事象である。「銀座」という「盛り場」が、「銀座レンガ通り」をはじめとする〈銀座的なるもの〉の意味の源泉の中に、〈先送りされる未来=外国〉という超越的な審級を用意して〈眺める=演じる〉という身体感覚を惹起したことが重ねられるというのはいささか早計であろうか(吉見 2008)。「モード界」とはことなる「オルタナティブ・モード界」なるものが、その意味の源泉、超越的審級として必要としたものが「アメリカ」という表象であったこと、そしてそれがもっぱら焼け野原と化し、それまでの超越的審級として存在していた「天皇」なるものの「人間宣言」と重なっているとするならば…。「オルタナティブ・モード界」は渋谷・原宿という都市論と通底する形で出現したものだと言うことができるならば、この議論は眉唾の陰謀論とは言い切れないのではなかろうか。
ファストファッションと手を結ぶ「モード界」
そういう意味で、昨今頻繁に起こる「ユニクロ」コラボは容易に理解されうる。つまり、「ユニクロ」に代表されるファストファッションブランドが、「モード界」の「ゲーム」の中で、明白に「卓越性」を欠いたものであるがゆえに、そのコラボにおいて「モード界」の領域を明示的に拡大し、「モード界」には手が届かない消費者を「神聖化のサイクル」に組み込むことで訓致させ、「モード界」の体制を維持温存する試みであるとするならば。「コラボ」という言葉で他ブランドとのタイアップを行う手法はまさに裏原的であることが、極めて皮肉な事象であると個人的には思っているが、このような「モード界」の訓致に金銭的に余裕がなく服に割ける可処分所得が少ない人びとが巻き込まれていることは許し難い。一方ではストリートカルチャーの文化をサンプリングする形で自らの懐を温め、他方では、発展途上国の人びとを低賃金労働に従事させ、川上から川下まで全てを管理することで低価格を維持し、それを経済的社会的に不利な人びとに売り捌き、そのビジネスをもって「モード」や「美」を語る。なんとくだらない構造であろうか。なんと皮肉な構造であろうか。
これはあるファッションライターの記事であるが、「消費者が求めている」ものが低価格でトレンドを加熱させるものだから、「モード」ファッション業界もそれに向き合うべきであるという論旨である。4年も前の記事を引っ張りだして何を言及したいのかといえば、ファストファッションに破壊される「モード界」など存在しないという論理的誤謬に加え、「消費者」に向き合う、などという言説でごまかされている構造である。インスタントでトレンディなものがファストファッションを買い換える若者文化の中から生まれることはありえない。それは、「モード界」や「オルタナティブ・モード界」の象徴闘争において生まれるものであり、そもそもその「象徴闘争」に加わることのないファストファッションブランドから生まれることはありえない。もし、「象徴闘争」に加わっているのならば、「モード界」の「支配する層」が「支配される層」に対しコラボレーションを行うはずがない。何故このような的外れの意見を開陳してしまうのか。一つの答えをブルデューは示唆している。
「モードのジャーナリストでありながら、モードについて社会学的な観点に立つのは望ましからぬこと」だからこそ、事実誤認と論理的誤謬を繰り返し、その体系の維持発展に与することとなる。もとより、引用したライターは「モード界」の体系の位相、すなわち「ゲーム」が行われている場のなかにファストファッションを組み込み、そこで象徴的闘争が行われていると誤解しているので、「モード界」の維持発展に貢献しているかは甚だ疑問であるが。なぜ彼がライターとして活動できているのか未だに理解できないし、彼について仕事の関係で話した「モード界」が好きな男性が評価するような言葉を残したときには晴天に霹靂の感があった。
おわりに
「個性」なる近代に従って制度化された概念を信じるにせよ信じないにせよ、その辿り着く先にファストファッションは存在しない。なぜなら、ファストファッションが「モード界」においてコムデギャルソンらが果たしてきたような「アンチ・モード」の様相を呈することはなく、そうした「象徴闘争」に参入する気がはなからないからである。
「服は身体の一番外側」だとか、「服は肌」であるだとか、鷲田清一をはじめとする身体論的な枠組みで服を捉える思想に一定の真理があるとするならば、「個性」を信じるにせよ、そうでないにせよ、「象徴闘争」の枠組みに参入する気がないのに、「モード界」が生み出した「美」の残滓を吸い取り、低賃金労働で帝国主義の枠組みを再生産し、それを低価格で販売するファストファッションを着用することはやめておいたほうがいい。なぜなら、「個性」を信じるならば、あなたの最も外側にある肌は、様々な人間が必死の思いで生み出した個性の残りカスでできていることになるし、「個性」を信じていないのならば、残りカスを着用することなく、徹底的に機能を目的に作られた「ミリタリー古着」という「オルタナティブ・モード」があるからだ。
アジテーションは大概にしておき、上記のような問題意識をもとにここからも論文着手に入る。本稿をもとに多少なりとも「ファッション研究」や読書に関心を持ってもらえれば冥利に尽きる。