ロシェールおばさんの憂鬱 マカピーの日々 ♯1586
マカピーです。
先日訪れたロシェールおばさんの話の続きです。
フローレンス母娘についてロシェールおばさんのところへ見舞いに行った後で、いろいろ考えて見ました。
それはロシェールおばさんの世話をしていたのが「他人」であったという驚きの事実をハナさんから聞いたからでした。
「どいうこと?」
「彼女の子供たちは海外に住んでいて、母親を面倒見てもらっているって事なのよ。あの若者たちは他人だって!」
「え、彼らはロシェールおばさんの孫かと思った。家族じゃなかったんだ」
「だから、あんな穴倉みたいなジメジメしたところに閉じ込められていたのよ。それに誰も訪ねて来てくれないからあんなに泣いてたのよ」
「確かに病人がすごす場所ではなかったね。かといって階上に上げるというのもあの傾斜地の家では無理があるかな」
「そういう問題じゃなくて、子供たちがきちんと母親の面倒を見ていないって事よ!」
「そりゃそうだ」
「父親の方はロシェールおばさんの一年後にやはり脳溢血で言語機能も喪失してしまって、近くの別の親戚の家にあずけられているんだって」
「夫婦二人を一緒に面倒見ることが出来ないって事?」
「そうじゃないわ。他人任せにして、彼らの子供たちにそうする気がないってことよ」
「子どもたちはそれぞれシンガポールや他の国に住んでいるのだって?」
「私には彼らの行動をどうこう言う事は出来ないけど、彼らの両親がどんな気持ちで子供たちを育てたのか分かればこういう事にはならないと思うのよ」
この集落をつくった最初の家族がロシェールおばさんの両親だったそうで、彼らには戦後隠し通さなければならない「日本人」の秘密を抱えながらひっそりと暮らし続け7人の子供を育てたという事でした。
もちろんマカピーが少ない情報からロシェールおばさんのケースを判断する事は出来ません。
マカピー自身だって、田舎にいる父母を兄夫婦に任せっぱなしにしてしまって数年前に父が亡くなり、残った母の認知機能が低下すると近くの施設に入る際に「マカピーが引き取る」とは言えませんでした。
それは「姥捨て」になってはいないか?
そう考える事に無理があるのだという医療関係者がいます。
それは、昔のように平均寿命が50歳くらいの社会では90歳を超えるケースが稀であったけれどこれからはますます少子高齢化が進む状況にあります。
脳溢血を発症してしまった後でマヒが残る生活を強いられても、程度の差がありますがハリー叔父のように経済的に余裕があれば「自由」を手に入れることが出来ます。
ところが、ロシェールおばさん達のようにかなり厳しい立場に立たれる事になるわけです。
経済的な問題だけではありません、そもそもそうした患者を受け入れられる施設が絶対手金不足している現実があるのです。
きっと自分の母がああした環境にある事を思い出すだけで、胸が締め付けられるような思いをしている子供もいるのかと思います。
一体どうすればいいのか、どうなるべきなのか?
マカピーにその答えはないのですが、とりあえず自分はそうした状況に陥らないように健康管理に努め毎朝の散歩も続けようと思うのでした。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。人生を楽しむには努力が必要ですね!