バンドルな世界 マカピーの日々 #1236
マカピーです。
「バンドル」な世界をご存知ですか?
英語ではBundleということで、固まりや束を指しますがマレーシアでは中古品の事を指します。
早い話が日本でもおなじみの「2nd Street」とか「Hard Off」のようなものですね。
サバ州の州都であるコタキナバルに行けば、日本ブランドである「Uniqulo」や「ダイソー」もあり人気です。
そうした有名なモールに行けば、銀座にあるブランドも手に入ります。
もちろん、それなりの値段は覚悟すべきですけど(笑)
しかしそれに対抗するバンドルと呼ばれる中古市場も熱いのです。
マカピーが青年海外協力隊員でマレーシアのサバ州に来たころは、ペナン島に橋が架かり、三菱自動車の協力で初めて国産車プロトン・サガが登場した時代だったんです。
もちろん、今でも日本車は沢山走っていますがマカピーが役所から供与され仕事で使っていた車は真赤にペイントされたランドローバーのロングボディー車で「救急車」とも呼ばれていました。
もちろん使い込んだボロボロの車で、しばしばワークショップで修理する必要がありました。
赴任地であるクダットのルングス族の村から州都コタキナバルまでは乗り合いバスを使って、200㎞足らずを6-7時間かけて走ったのは現在の道路ではなくキナバル山の麓を大きく迂回する道路しかなかったからでした。
それでも、2‐3か月に一度はコタキナバルに行くのは隊員の会議や健康診断などがあったからで、一種の息抜きでもあったのでした。
日本人会主催の餅つき大会やソフトボールやバレーボールの試合にも参加さし、その後は冷えたビールで焼き肉を提供してもらったりその節は大変お世話になりました。
マカピー達の村落開発チームにはリーダーがいて、とても面倒見のいいケイさんでした。
彼はコタキナバルにある地方開発局の本部にいて、マカピー達をまとめていたのです。彼の家で集まって会食をしたり「国際協力」について語らった日々を忘れることが出来ません。
ケイさんは、ふっくらとした体型ながらいろいろ「モノ」に対するこだわりがある方でした。
例えばシャツ。
公務員として働いているので、暑くても常に襟のあるシャツを着ていました。
当時コタキナバルのナイトマーケット(Pasar Malam)に行くと中古シャツやパンツが入手できました。
それが現在の「バンドル」だったんですね!
ケイさんはその中から自分の体形に合ったタンガリーやオックスフォードシャツのブランドを好んで選んでいました。
マカピーは最初、農作業に間に合えばいいと思っていたのですが次第に「ナルホド、ブランドものというのは中古でも良い品質なんだなあ」って分かってきました。
米国から来るバンドルは、体形が大きいものが多く「いいデザインだな」と思ってMサイズを選んでもマカピーにはダブダブでした。
日本のものはクリーニング店で引き取りに来ないで廃棄されたものと思われるタッグの付いたものとか、名前が刺繍してあるシャツなどがあり全体的にとても清潔なものがありました。
まだ、ユニクロやRAZAどころかUnited Colour などが無かった時代です。
日本製だとレナウンやアローといったものがしっかりしていましたね。
ケイさんの狙いはシャツの「ヴァン・ハウゼン」とか「ブルック・ブラザーズ」で、沢山仕入れていました。
確かに、品質が良いものを探し出す楽しみは宝探しの要素があるのでマカピーも次第に中古品に対する抵抗が無くなり、日本でも次第に中古市場が豊富になって行くのを眺めていました。
もっともその後も海外に生活をつづけたのでカンボジアなどでは日本からの中古自転車を購入しましたが、しっかり前の所有者の名前や住所電話番号まで書いてあったので思わず連絡したくなったものです!
時代が流れ、マレーシアのサバでも巨大な倉庫を改造したバンドルショップが存在していて、シャツ、パンツ、シューズ、帽子、食器、電化製品などが豊富にあり眺めるだけでも面白い世界です。
こうしたリサイクル市場が「バンドルファッション」などと称して根付いているのでした。
確かな目があれば、掘り出し物に遭うチャンスはありますよ!(笑)
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。村での生活ではバンドルで十分でーす!
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