三月になれば君は マカピーの日々 #1386
マカピーです。
新しい年が明けたとばかり思っていたら、もう三月になりました。
日本では卒業式シーズン、そして新入学、新社会人誕生の季節になるわけですよね。
桜の咲くころになると色々なイベントがあるという感じですが、常夏の国マレーシアではそういう季節の感覚はありません。
マカピーの経験で恐縮なのですが、高校を卒業すると「ともかく群馬から出たい一心」で東京の学校に逃げ出したという感覚だったんです。
それでも、親への学費負担を少なくしようと「朝日新聞の奨学制度」を受けて新聞専売所の二階に住みながら新聞配達しながら学校に通うのですが1年三カ月でギブアップ。
普通の学生になりたかった?のかといえばそうではなかったんです。
じゃあ「遊びたかった・・・」というのでもなく、そもそも自分は何のためにこの学校に来たのか、東京にいるのか良く分からなくなったでした。
農業学校なのですが農業実技は限られていて、本格的な活動をするために夏は北海道の中標津の酪農、信州八ヶ岳山麓でのレタス畑収穫などを手伝いながら、もっと実学を学びたいと思ったのでした。
農作業で体を動かしていると、落ち着くものがありました。
そんなモヤモヤがあった時に、一年間の休学をして派米実習制度で米国アイオワ州の酪農実習に飛び出したのです。
そう、ジッとしていることに耐えられずともかく「行って見れば何かわかるだろう」的な根拠の薄い発想だったと言わざるを得ません。
実習後帰国して4年生を終えて卒業するのですが、バイトで働いていた養豚会社に就職したのですが、こちらも一年で青年海外協力隊を受験して二年間マレーシアのサバ州に派遣され過ごすのでした。
それを終えて、大分県杵築市でのミカン農家に永久就職する「見合い」を申し込んだのです。
ところがそれに見事に失敗すると、半年ほど東南アジア、南インドをバックパッカーの旅をしたんで段々普通の人の軌道とはズレて行くのでした(笑)
その後は海外勤務をすることが決まったので家庭を持つことになりフィリピンを皮切りに10か国も国際協力の現場で働くことになりました。
30年も現場に立ったので、もう若い人たちに任せることにして、マカピーは古巣的なマレーシアのサバ州に戻って来たんです。
今考えて見ると、どこかに行きたい!というただそれだけでここまで来たように感じます。
あの、高校を卒業して三月に東京に出て行ったマカピーの後姿はどんなだったでしょう。
不安と希望が入り混じったオドオド状態だったに違いありません。
いろいろな人に出会い、助けられこうして生きて来れたのです。
そして、あの時「エイヤ!」って飛び出したことを決して後悔しません。
むしろこれから新しい人生のステージに立ち向かう人たちにも勧めたいのです。
転機が訪れたら、それを利用してみよう!
だって三月って最高のチャンスの時期だよって!
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。まだまだマカピーは挑戦中
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