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卒業式の頃に逝った先生!マカピーの日々#1044

 
マカピーです。
高校時代のクラスメートからヤマダ先生が亡くなった連絡がありました。

マカピーはちょうど500㎞車を走らせコタキナバルに辿り着いつくところで街並みを見ながらいろいろ思い出すのでした。

え、先生逝っちゃったんですか?


ハノイにあるロッテタワー



先生は高2年3年を担任していた数学の先生でした。
マカピーが1年生の時に隣のクラスの担任だったので2年生になった時「え、今度はタヌキが担任なの?」と意外だったんです。

それはマカピーらのクラスがちょっと特殊なクラスだったからです。
その学校は私立なのに群馬県らしく男女生徒がいても「共学」じゃなかったんです。

通常は男子クラスと女子クラスに分かれていて、唯一「理数科クラス」一組だけ「共学クラス」だったから。

で、学校側が試しにもう一つ共学クラスを作ったところに、たまたまマカピーは放り込まれたらしかったのです。

当時は一切事前の話は生徒側に無く(なかったと思います)、2年生に進学した途端「え、今日から共学クラスなの?」って驚いたのはマカピーだけでなくクラス全員同じだったと思うんです。

1年生からの流れではマカピーの元のクラスからは数人だったけど、隣のヤマダ組からが一番主流だったようで、そこに女子が12名加わったのでした。

周囲を見渡して、運動部でバリバリだったのはテニス部のノブユキとマカピーだけで、後は比較的おとなしい連中を集めたのは男女のいざこざが発生する危険を恐れた学校側の配慮だったのかも知れません。



夕方に雨がやってくる気配西湖(ホータイ)の様子



マカピーも一年の頃「男子クラス」にいると、それに慣れてしまって女子クラスとは縁遠くなっていたのです。

バレーボール部に所属していたころは女子バレー部の同級生から誕生日プレゼントをもらうなどそれなりに青春だったようですが、特定の彼女がいるわけでもなく、それでも陸上部にいた彼女は何だか遠い「憧れ」状態だったのでした。

その頃、マカピーはバレー部から山岳同好会に籍を移していて、二年になっても習慣で昼食ともなると弁当を持って部室に行くのでした。

ランサとユリの花束は誕生日だったかしら?



マカピー:「おい、女子がクラスにいると緊張して早弁(腹が減って昼食まで待てない頃の話です)も出来ないんだよ」
トシ:「何言ってやがる。女子がいるだけいいじゃねえか。オレたちは先生もむさくるしい同級生も去年のまんまなんだぜ」
コロ:「そうだ、贅沢言っちゃいかん」
ホシマン:「バーカじゃねのか?ま、どうせ俺には関係ないけどね」
トシ、コロ、ホシマンそしてマカピーが同級生だったんです。

それでも、4人は部室や一緒に山を登りながら、どこのクラスの女の子が良いだの、先輩の彼女はどんなのだのと話をしていたわけです。

そんな時、マカピーはたまたまクラス対抗のバレーボール大会が開催され、元バレー部だったマカピーは他の経験者を中心にヤマダ組を優勝させつつ。女子チームのコーチをしながら楽しんだのです。

それまで、勝つことに集中してぼろ切れになるような練習をしていた「部活」を辞めてしばらく経っていたのですが、ヤマダ組の仲間と一緒に勝ち進む中で「バレーボールって面白いなあ」って思えたのです。

その時にマカピーば気づいたのは、他の男子クラスからも女子クラスからもヤマダ組への嫉妬というかやっかみが多く「お前らだけ男女クラスでおもしろくない!」ようなヤマダ組負けろ!的なブーイングも耳にしたからです。

だから余計にクラスがまとまったのかな?


こちらはサラックと呼ばれるヤシの一種の果物で好物です

マカピーは山岳同好会以外にも生徒会やら学園祭の実行委員会などに首を突っ込んでいたことから、比較的その存在を知られていたせいか周囲のクラスと摩擦を起こさず、ヤマダ組も仲の良いクラスだったと思うんですが、先生は当時の事何か覚えていますか?

3年生になると更にクラス編成がされるのですが2-3人入れ替わっただけで、最後にヤマダ組は卒業を迎えるのでした。

900人位の卒業生がいる私立高校にはまだ自前の講堂がなく、バレーボールができる体育館は、全生徒どころか一学年税印を収容する事も出来なかったので、入学式同様に卒業式も学校から遠く離れた市内にある音楽ホールを借りて行われたのです。

先生、フッと思ったんですが「マカピーは先生にとってどんな生徒」だったんでしょうかね?

特に学業が優秀な訳でもなく、まあ学校内でいろいろ活動していた「普通の生徒」だったとおもうんですけどね。

そんなマカピーがあの音楽ホールの卒業生代表で卒業証書を授与されたのは、きっとヤマダ先生が推薦してくれたからだろうなと今でも思ってます。

本番では、クラス全員分の証書を手渡され分厚いので調子が狂い、脇に抱えて後ろ向きに数歩退場するのですが、ステージ幅が分からず危うく転落しそうになりました。

そんなことも、なかなかできない経験ができたとマカピーは今ではとても感謝しているんですよ。


ヤマダ先生とこんな路地を歩いてみたかったなあ



そう、卒業式はちょうど今頃だったですよね。

知っての通り、ボクらは先生の事を「イソベのタヌキ」と呼んでました。だから運動会でも大きなうちわにヤマダ組のタヌキの絵を描いて・・・、ね、先生あの頃の事を覚てますか?


先生はボクらを担任したころお嬢さんを亡くされて、マカピーもイソベのご自宅での葬儀に参列したんです。

今思うとどんなに辛かったか、マカピーも親になって分かるのでした。

でも先生は当時そんなそぶりを露とも見せず、少しボケた「タヌキ」ぶりを発揮していたのはすごいなあって感心するのでした。

ヤマダ先生、今頃むすめさんと再会していることでしょうね。それにヤマダ組のヨウコちゃんやアマダともそちらで会いましたか?

いつかそちら側でヤマダ組のクラス会やりましょう。

先生に倣って?学校の教師になったミチオやセイキョウに任せておくといつまでたっても出来ないから、やっぱりボクが幹事しますよ!


ハノイもマレーシアのサバもあまり違わない交通事情



マカピーです。
最後までお読みいただき感謝します。仰げば尊し


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