マジック! マカピーの日々#0992
マカピーです。
明日出発を控えてチューリップの『心の旅』を口ずさんでます。
子どもの頃の事です。
群馬田舎にも行商的なものがありました。
夏の間には新潟の柏崎あたりからの「イカの販売」そして冬季になると「信州リンゴ」が売られていました。
スピーカーで都はるみさんの曲を大音響で流しながらそのトラックはやってくるのでした。
「三日遅れの便りを乗せて、船があああ、出て行く波浮港・・・」
狭い県道沿いに停めるわけにはゆかなかったので、長野の上田あたりから来たトラックは我が家の駐車場に停めて商売をするのでした。
いつもの歌が聞こえてくると、マカピーも母親の後を付いてトラックに行くと近所の人が来ていました。
近くにスーパーもない時代ですので、当時は我が家ではリンゴを箱買いしていたのです。
当時のリンゴと言えば「国光」「紅玉」です!
「フジ」系の甘い品種に慣れた人には驚くべき酸っぱさがあるリンゴ種です。現在は殆ど目にすることは無くなってしまいましたがジャムを作ったりするのに最適だとも言われています。
マカピーが1年間酪農実習でいた、米国のアイオワ州の農場に一本のリンゴの木がありました。ちょうど国光のような味でトラクターで乗り付けて枝から実を取って楽しみました。
初冬にリンゴの実をすべて収穫すると、ホストマザーのノーマジーンはそのリンゴからアップルソースを作り、タッパー容器に沢山ディープフリーザーに保存するのでした。
彼女はビーンズ(インゲン)などもジャー(広口瓶)に保存食料として地下室にズラーッと並べていました。
マカピーも手伝ったことはありますが、周辺地域での主婦のたしなみだったようです。
一年を通して朝食にでるアップルソースとカッテージチーズはマカピーの大好物でした。
そんなことを思い出したのは、近くの八百屋さんの店先に「インド・リンゴ」なる品種が売っていたので思わず買ってきてしまったのです。
この品種は酸っぱい国光や紅玉に慣れていたマカピーにとって衝撃的な甘さを提供してくれたので覚えていたのです。
早速、翌朝の朝食のデザートに出したのです。
ところが、それはマカピーの期待していた味と違ったのです。
あれ、こんな味だったっけ?
しかもフジのようなシャキシャキ感が無くモサモサしているんです。
現在は貯蔵技術が発達していて新鮮な果実の鮮度を落とさない工夫がされていますが、その「インドリンゴ」はそうした処理がされていない「もう季節はずれ」的な雰囲気のモサモサした食感だったのです。
そうだ、そうだ、そうだった。
ミカンも箱買いするのですが、底の方は大概潰れていて、ペニシリンが取れそうなアオカビだらけのものがあったりし、リンゴも季節の終わりになるとなんだかスカスカしてくるんです。
今は農業技術も発達して、季節の感覚が無く「端境期(はざかいき)」が無くなってきています。
ですから、マカピーが子供の頃のはなしで妊婦さんが真冬の夜に旦那さんに注文するのでした。
「スイカが食べたいの!今すぐ。早く買って来てよ!!!!」と無理難題を吹っかけてくるのですが、その当時は24時間営業のコンビニも無いどころか、そもそも季節外れの野菜も果物も殆ど入手困難だったし、それが普通だったんですね。
現在だったら「エッ。なんで今なの?夜中の2時だよ」と言いつつもセブンイレブンかローソンへ行けば切り身のスイカくらい買い求める事が可能ですもの!
マカピーは信州リンゴ売りのおじさんから「味見」のリンゴを貰うのが大好きでした。
ただで貰うのが嬉しいのではなく、おじさんがトラックの荷台で「ほら、たべてみな」って渡すリンゴを素手でパカッ、パカッと一瞬のうち割る様子を見るのが好きだったんです。
もちろんその後で家に帰ってリンゴを素手で割ろうとすると全くできなので「あんなマジックしたいなあ」って憧れていたんです。
大人になり腕力が強くなると「マジック」だったリンゴ割が自分でも出来るようになりました。更にちょっと古いリンゴの方が割り易いのでした。
おそらく風物詩のようなリンゴ売りの行商は途絶えてしまったと思います。
そして当時は道路もあまり整備されていない中、上信越の峠を越えて商売する人たちも大変だったろうなあって、今更ながらに「みんな生きる事に一生懸命だった時代だなあ」って思い起こされるのでした。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。リンゴ可愛いや!