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なんと帯状疱疹でした! マカピーの日々 ♯1542

割引あり

マカピーです。
胸と背中の痛みは約2週間続き、ハナさんに処方されたアスピリンとパラセタモールを服用するもあまり改善はありませんでした。

それでも理学療法器具(ブロアー)を使っていると、七転八倒するような痛みは少なくなっていたのです。

それで昨日は手の届かない背中をブローしてもらおうとTシャツを脱ぐとハナさんが叫びました。

きれいな背中ではありませんが、左肩甲骨下に発疹がありますね!かつてはそこに血栓のようなものをハナさんは感じていましたが、違ったんです。帯状疱疹の発疹です。

「なんだ、帯状疱疹じゃないの!注射を一本打てばもうアスピリンは飲まなくていいわ」

最初彼女が言っているShingles(シングル:帯状疱疹)という言葉が分かりませんで何となく「herpes zoster」なんて言ってみたのですがハリー叔父も知ってた普通の病名なんですね。

ともかく、大腿筋に5mlほどのステロイド剤を打たれました。

最初は「何ともないね」と笑っていたのですが、その後にズーンと痛みが来て「アタタタ・・・」とピョコピョコ走り回るほどになりました。

この後オートバイに乗ってハナさんの診療に約40㎞程離れた隣町まで出かけることになったんです。

そこで修理のために荷台がなくなったので、ハリー叔父の家の前で横着にもバイクにまたがったままシート下に荷物を入れようとしたところ、バランスを崩して転倒してしまいました。

150㏄のスクーターと言っても120㎏はある重さでハナさんを乗せる際も一度二人して転倒してしまったことがありました。

その時はこらえきれずに右にハナさんを乗せたまま倒れる際に左手の薬指の腹に深い傷を負いました。

今度は左側に倒れたのですが、先ほどの注射の痛みで踏ん張りが効かなかったんです。

道路で転倒してはいませんが、皆が見ている前で転倒とは何とも情けない!

今回は左ひじを擦りむいてしまいました!


転倒なんて、全く嫌になっちゃう!

ヤレヤレ

それでもバイク走行は道路が強い日差しで焼けて熱風をともなうものでしたが軽快に往復できました。

患者さんは先日のダヤンのケースに似た若い主婦でした。

イフガオの山の中にあるインサンマロンとロスリンの家に軽トラを借りて来たのは実に片道60㎞くらい走ってやってきたことになります。

患者さんたちは「治りたい一心」で本当に遠いところからやってくるんです。

町の中心地にあるレストランで待ち合わせをして、旦那さんのオートバイの後について彼らの住む住宅地に行きました。

先日元気が無かった小学校2年生の息子もハナさんの薬のおかげか元気になっていました。

ハナさんは寝室のマットレスの上に横たわる若い主婦に色々話しかけながら施療を進めました。

後でハナさんに「彼女の状態はどう?」と尋ねるました。

「前回彼女の処方されている薬をチェックしたら痛み止めが最大処方されていたので危険だから辞めるように言ったら、おかげで頭痛が無くなったと喜んでいたわ」

「一時使用のものが慢性に投与され続けるって、医療機関も患者が治ると思っていないってことだよね?」

「フィリピンでもマレーシアでもガッカリする事は沢山あるわね。病院へ高いお金を費やして何年も症状が改善しないからワタシのところに来たのだから、なんとか元気になっても貰いたいわね」

寝たきりの奥さんの代わりに、旦那は簡単な昼食を作って息子を午後の部の学校へ送り出していました。

いつか、彼女が台所に立てる日が来ると良いですね!

患者さん宅の裏ではお隣さんが洗濯していました!

さて、マカピーの背中の発疹はまだ少し痛いですが注射を打たれてから1時間ほどすると肺の周囲に響き渡るような痛みはなくなっていました。

マカピーの帯状疱疹経験はこれで2回目です。

50歳を過ぎたらワクチン接種をすることを、ワクチンを開発された浅野医師(小児科)にザンビアの仕事でお会いすることになり、強く勧められたからで2014年頃、日本の近所の小児科クリニックで接種しました。

https://www.jspid.jp/wp-content/uploads/pdf/03104/031040373.pdf

(小児感染免疫 Vol. 31 No. 4  追 悼 ■ 浅野喜造名誉教授を偲んで 吉川哲史 藤田医科大学医学部小児科)

ノーベル医学生理学賞にも匹敵すると言われてた水痘ワクチン開発をされた方がいたおかげですね!

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