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コタキナバルでの再会と別れ マカピーな日々#0820

マカピーです。
コタキナバルに来て、長年実現しなかったカズエさん夫妻に会えたんです。

椰子の種類は豊富です

KK(コタキナバル)にきて会いたいと思った方が二人いました。
一人はニトさんそしてカズエさんでした。

お二人ともマカピーが若い頃、青年海外協力隊員(JOCV)でお世話になった方です。

日本人会に尋ねたらわかるかなあ、って思ったのですが最近名簿的なものは「個人情報」で入手できなくなっています。

ところが、不思議なものでその話を聞いていたユスフさんが「ああ、○○ツアーの日本人女性でしょう。ボクKKのツアー会社のほとんどを知ってたからね。でももうお店は畳んだと思うけど」

世の中狭いものです!
しかし、連絡先が分からない事には変わりありませんでした。

ヘラコニア

ハジさんが「それじゃ、このあたりで長く日本料理屋をしている方を紹介するから連絡してみなさい」と名刺を渡してくれました。

名刺をコピーさせてもらい、既に遅い時間だったので翌日コンタクト取ろうと思ったのですが、カズエさんが以前フェイスブックをしていたことを思い出して探し出したのですが7年も更新されていなかったのです。

ダメもとでそこに「マカピーです。KKに来ています」と書き込んだのでした。

着生シダ

翌朝、マカピーの元にカズエさんから返信があり「ぜひ会いましょう」という事で夫氏の車で迎えに来てもらい夕食をご一緒しました。

聞けばカズエさんは最初FBを盛んにやっていたのですが疲れてしまい、長らく休眠状態だったのですが、たまたまマカピーともう一人の友人が同じ日にコンタクトしたことがわかり、開いてみると驚きの再会となったのでした。

マカピーはKKが任地ではなくそこから134㎞北上したボルネオ島の最北端近くのクダット(Kudat)地区の村で活動していたので、2-3か月に一度上京?していたのでKKは不案内だったのです。

ダイサギ

それでも、JOCVメンバーたちが利用する旅行店に気風のいい日本人女性がいるというので各種チケットの手配をしてもらったのがカズエさんの事務所でした。
そして今では覚えていませんが、きっと姉御肌だったカズエさんにあれこれ相談したのでしょうね。

今回も夫氏の運転する車中から二人で長年の経験を持ち寄ってあれこれ話していたのですが、夕食時に「ところでこちらで建設をされていたニトさんて、ご存知でした?マカピーは村の集会所を作ってもらったことがあったんです。それから偶然カンボジアの首都プノンペンでお会いして夕食を食べたんです。そのあとアフガニスタンに行くと聞いていたんですけどね、こちらにいるのだったらお会いしたいと思ってたんですよ」

マグノリアの仲間

するとカズエさんが急に真顔になって「マカピーさん、ニトさんは数年前に亡くなったの。仕事でアフリカに行っている際にマラリアに罹って日本での治療が遅れてしまってそこで亡くなったのよ。その後でKKでお別れ会があり私も参加して彼のこれまでの生き方がわるスライドショーがあり、良かったわよ」

マカピー:「え、亡くなっていたんですか。知らなかった。カンボジアで『マカピー、ダンスをやれ。ダンスはいいぞ。奥さんとずーっと楽しめるから、社交ダンスを習え!」って言われたんです。隊員時代からのお礼を言えなくなっちゃった」

カズエさん:「・・・残念よね。人の別れって突然来るものなのよね」

キナバル山がちょこっと見えた

マカピーはマレイシアのサバ州での2年余りの任期が終了して、KKからシンガポールのチケットを予約していました。
そこでチケットを取りにカズエさんのところへ挨拶に行くと「じゃあ、ご飯を食べましょう」夫氏(中華系サバ人)を誘って3人でハイアット・ホテル?の食事と御馳走になったのです。

お金のないマカピーが出入りするような場所ではなかったのですが、旅の餞(はなむけ)をしてくれたんですね。

マカピーはそのお礼を言っていなかったので、その事を伝えるとご夫妻とも「??? そんなことあったかしら」と覚えていないというのです。

マカピーは久しぶりにお会いしてその時のお礼を言って、その晩の夕食をマカピーが持つつもりだったのですが払わせてくれませんでした。

マカピー:「これじゃあ、マカピーがお礼する機会がないじゃないですか?」
カズエさん:「いいのよ。これからKKに長く住むんでしょうからね?(笑)」

と意味深な笑いをするのでした。

陽が高くなるとまぶしいLikas湾道路

マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。再会可能の人とそうでない人

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マカピー
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