実は弟の事を知らなかった マカピーの日々 #1125
マカピーです。
こうして兄弟間の話を作ってくれたのも母でした。
郷里で施設に入る母の前日に会っておきたいと日曜日に群馬に行くと伝えると、弟が「3週間前と同じように往復乗せて行くけどどうする?」って嬉しいオファーがありました。
朝9時前に来てもらい高速に乗ることなく17号線を北上しちょうど11:00に到着しました。
マカピー兄弟は3歳の差があるので、かつては大学一年生、高校一年生、中学一年生というピカピカ時代があり、マカピーはその真ん中でした。
ちなみにマカピー息子の団子三兄弟は二歳違いです。
マカピー兄は農家を継ぐ惣領(そうりょう)として育てられ、他の二人はどこでも勝手に生きてくれ!というか、養蚕や養鶏をする農家でありながらよく働く家出もあり、贅沢はありませんでしたがしっかり東京の学校に行かせてくれたことは感謝しています。
特に自分の息子たちの教育が終わると、その安堵感には特別なものがあり自分の両親の苦労を実感するのでした。
一方マカピー長男は英国で妻と長女を育てながらの「育メンパパ」を楽しんでいるようですが、本来のイラストレーターの仕事では食ってゆけずIT関連の会社で働いています。
次男はカナダのトロントで先月まで自力で学校に行っていて、今月の国家試験がうまく行けば仕事の幅が広がるとも言われていますが、さてその後は何をするのかな?
今はネパール時代の親友が結婚式をコロラド州でやったので駆けつけて祝っているって、Messenger通信があったなあ。
三男は東京にいますが、3年務めた会社を退職し今月中は有給休暇消化中だそうです。車の免許を取ったのでマカピーは「いっそ、慣れるためにもこのスバルR2で日本一周してきたら?」ってけしかけてるんだけどね(笑)
そうそう、三歳下の弟です。
実は彼もかれこれ30年くらいイラストレーターやってんです。
やはり、日本でもアーチストとしてだけでは食って行けない?ので環境アセスメントの野外調査などのバイトをしています。
ちなみに彼の奥さんはこの日学会?出席で一緒ではありませんでした。
弟は道中マカピー妻にいびられながら、あれこれ話をしながら群馬に向かったのですが、その話題がノイローゼというか心療内科になったのです。
弟:「もう、当時は気持ちが落ち着かなくなっちゃってさ、2年ほど群馬に帰って農作業して暮らして元気になったんだ!」
マカピー:「え、あの会社を辞めてすぐイラストレーターとして別の会社に行ったのかと思ってたよ」
弟:「新入社員としての入社日が緊急入院日となってしまい。一日も出勤していないのに会社から半年ほど給与の六割が支払われるというのには救われたけど、逆にその後が地獄だったよ。広告業界の営業なんて分からないし半年遅れての新人には教育もなしにいきなり、『電通へ行け!』なんてもんで。病み上がりもあってボロボロになっちゃったんだ」
マカピー:「そりゃ辛かったね」
弟:「異常心理状態だから、辞めるに辞められなくなっちゃうんだよ。ストレスで飯を馬鹿食いして、太るし顔中吹き出物だらけだったんだ」
弟:「辞めて群馬の実家で農作業できてよかったよ。あれで命拾いしたんだ。そしたらさマカピー兄が結婚してさっさとフィリピンへ行っちゃったんだよ!それを見たおふくろが『アンタもいつまでもブラブラしてないで、出て行け』って言われて、元気になった事もあり横浜の先輩のところに行って、そこで一緒に暮らしたんだ」
マカピー妻:「ああ、知っている。マカピー母から聞いたことあるよ『三男は男と同棲しているからホモかも知れない!』って言ってたんだよ」
弟:「え、ホモ? ウーン確かに彼はそちらの趣味があったけどボクはストレートだったしね。何となく知ってたけど、おふくろそんなこと言ってたんだ!ヤレヤレ」
マカピー妻「その後だって、私の友達のミサコと一緒に群馬に行くと『子持と結婚するのかい?』とか、年配の女性陶芸家を連れて群馬の家で紹介したら『あんな年増に騙されているんじゃないかい?』って心配していたんだよ」
弟:「アッチャー、おふくろはもう無茶苦茶だなあ。どうしてそういう話になっちゃうのかねえ。そういえば、おふくろって昔から根も葉もない話をする人だったよなあ」
マカピー:「心配していると勝手に妄想しちゃうのかもね」
マカピーはこうして初めて弟の事を知ることが出来ました。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。これも母のおかげです。
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