ヤマシタ君の事 マカピーの日々 #1192
マカピーです。
フッと北海道の事を思い出したのです。
新聞配達(朝日新聞奨学生)だったので1年目は夏休みも関係なく過ごし、それをやめた2年目には夏休みのバイトは最初は長野県の小海線沿いにある千曲川の源流に近い川上村のレタス畑の収穫をしました。
それは、仲の良い同級生がいたし研究室の憧れの女性先輩も参加していたからです。
もっとも彼女はレタスの軟腐病の研究もしていたので、ちゃんと趣味と実益の様に筋が通っていましたが、マカピーの場合は農作業を終えた後で、みんなとワイワイ話をしたりするのが目的のような軟弱な考えだったのでした。
それでもマカピーは農業の学校へ行きながら、漠然ながら休学して米国での農業実習をするのを夢見ていました。
そこに何があるかは良く分からなかったのですけど(笑)
https://note.com/macapy/n/nd15984ddf37b
野菜栽培を選べばカリフォルニアやアリゾナでの野菜管理収穫になるだろうと分かっていたので、マカピーは学校で畜産を専攻していないのにもかかわらず西海岸でなく中西部の酪農地帯に行きたくなり、酪農の経験を積むために北海道中標津の酪農バイトをすることにしました。
実は同じような感がの奴が他にもいて拓殖のタケムラ、農業工学のホシノ、農村社会学のスズキも畜産じゃなかったのに中西部に行っていたのはマカピーと同じような考えを持っていたからかもしれません。
もっとも、中西部に行ったマカピー達は西海岸では味わえない100年振りの極寒の冬も経験する事になりました!
オートバイ仲間であったヤマダ先輩が一年休学して酪農実習した経験があったので「マカピー、知り合いがいるから紹介するよ」と言ってくれたのでその話に乗りました。
オートバイ(Honda XL250S)にキャンプできる荷物を載せて、東京晴海ふ頭から釧路港へ行きそこから中標津養老牛のSさん宅に向かいました。
sさんは若い奥さんと小さな娘さんの3人家族で、30頭ほどの乳牛を飼っていて、バイトを募集したのは夏の期間牧草を刈り乾燥する「乾草づくり」で冬季の牛の餌(粗飼料)の確保が目的でした。
ご存知の方も多いと思いますが、中標津は道東でオホーツクからの冷たい風が入り込むと濃霧が発生する事が多いのです。
そうなると夏でもTシャツでいる事が出来ないくらい寒いです!ましてやちょっとオートバイに乗っても歯をガチガチいわせるほどでした。
お金が無かったので、マカピーの防寒具と言っても米軍放出のフィールドジャケットに寒くなったらカッパをはおる程度だったのですけど(笑)
さて、Sさん宅にはバイトの高校生ヤマシタ君がいました。
彼はどういった経緯でSさん宅に来たのか知りませんでしたが、熊本出身でペラペラと喋るマカピーとは対照的に無口な性格でした。
ヤマシタ君は農家出身でもなければ農業高校の生徒でもないので、あまり農業に馴染みがありませんでした。
マカピーは群馬の実家が豚、鶏、ヤギを飼育していた関係で搾乳もすぐに覚えて搾乳する機械のミルカーの取り扱い、牛がミルカーを蹴落としたりしないように体を牛にあずけてその挙動が分かるようになるのでした。
ところが、ヤマシタ君は牛に触る事も出来ないのでした。
野某にして草つくりではトラクターに接続したベーラーを使って乾燥した牧草を圧縮して羊羹状のブロックにします。
この羊羹状の乾草を「ベール」っていうのですが、これをトラックや橇(そり)の上に回収し牛舎の二階に保管するのでした。
そのベールは手で持ち運ぶのではなく、三本フォークを使うのですがそれにはコツがいるのでした。
乾燥していると言っても10㎏以上はある重さなので、通常の様に突き刺して持ち上がらないのでフォークを刺したら「テコの応用」でヒョイと持ち上げたらフォークの先を送り出すようにして頭上高く掲げるわけです。
ところがヤマシタ君に幾度も「こうやると良いよ」って教えるのですが出来ないのでした。
マカピーは日曜日に休みをもらうと朝の搾乳を終えてからオートバイで摩周湖へいったりしてましたが、ヤマシタ君はSさんに中標津の町まで車で連れて行ってもらいそこで「パチンコ」をしていたようです。
ある朝、マカピーが目覚めて「ありゃ、もうこんな時間。搾乳時間だよ!」と布団から出ると、部屋の片隅にうずくまっている人影がありギョッとしました。
マカピー:「ワーッ、ビックリしたよ。なんでそんなところにいるのよ。ほら、仕事・・・あれ、どうして作業着じゃないの?」
ヤマシタ:「ボク帰ります。お世話になりました!」
マカピー:「ちょ、ちょっと待った。荷物を片付けて帰るって言ったってSさんたちは知っているの?」ヤマシタ:「これから、言って駅まで送ってもらいます」マカピー:「何で急にそうい事になるの? ちょっとこれから搾乳が始まるり忙しいんだけど・・・。ともかくSさんに知らせてくるね」
マカピーは牛舎で搾乳準備を開始したSさんにヤマシタ君の事を伝え「後はボクがやっておきますから、よろしくお願いします」
麻の搾乳が終わり家に戻ってみると、案の定ヤマシタ君はいなくなっていました。
彼にとってここでの酪農アルバイトは何だったのだろう?
彼にとって、引き留めることは良い事だったのだろうかしら?
マカピーは彼に対して、何か効果的な事ができたのだろうかしら?
マレーシアのサバ州に来て、何故ヤマシタ君の事を思い出したのでしょうかね?
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。不思議だなあ。