海辺集落の変貌 マカピーの日々 ♯1479
マカピーです。
初めて訪れた海辺の集落は焼失していました!
この間の日曜日だったのですが、その前の金曜日(通常は午後4時から開店)を一日フルで働いてもらったので休日としました。
それで出かけたのが約180㎞離れた町でした。
シェフのランが車を買いたいというので、それに付き合った旅となりました。
ランはハマナスレストランから3㎞程の場所に住んでいます。
先週から加わった、炊事係のレンとミナも同じ地区なのですが、やたらと野良犬が多い地区で地域住民が怖がっているのでした。
ムスリムの多い都市でも、宗教的に忌み嫌われる野犬の問題は解決されていません。
また、それとは真逆に積極的に野犬に餌を与えている中国系住民の存在にマカピーは朝散歩をしていて気付きました。
州都コタキナバルでも現在のハマナスレストランのある町でも車やカートに餌を入れて、決まった場所にドッグフード混じりの残飯を給餌している婦人に幾度も出会いました。
毎朝犬に餌を与え続けている方は、直接聞いた事が無いので動物愛護の観点から「良い事をしている」と考えているのかどうかは判明しませんが、どんどん繁殖する犬の群れが脅威になる事に対してどう思っているのか知りたいものです。
違法滞在者を厳しく取り締まる警察もそうですが、行政も「野犬狩り」のように駆除することはありません。
シェフのランもかつて夜道で犬に襲われ嚙まれたことがあるので、夜10時過ぎに帰宅するのをとても怖がっていてマカピーが毎夜送り届けることになっています。
マカピーも朝散歩の最中に10頭ほどの犬の集団に囲まれる事が良くありますし、かつて滞在していたカンボジアではプノンペンの王宮近くを早朝散歩していると実際に後ろから忍び寄って来た犬にくるぶしあたりを噛まれました。
靴下をめくると血が出ていたので、直ぐに自宅に戻り傷口を水で洗い営業開始時間を待って近くのクリニックで狂犬病注射を打ってもらいました。
日本では発症例が殆どありませんが、東南アジアでは致死率の高い狂犬病報告がある怖い世界なのです。
ヤレヤレ。
ですから、もしもランに車があれば彼にお願いして新しい女性二人を同じ地域へ送ってもらう事も可能性です。
それで車の代金をこちらで一時立て替えして買い取り、月々の給与から差し引くという方針にしたのです。
ただし、スマホ情報などで車の状況は大体わかっても現物を見て運転してみないと分からないので一日かかりで見に行くことにしたんです。
今回は最近遠出を一緒にしていないアジズを連れて行く事にしたのは、いつもは誰かがレストランの店番をしていないと行けなかったのが、その日休業できたからです。
ところが朝ランを迎えに行くと、なんと臨月のランの妻もお腹を突き出してやって来るではないですか!
おーい、彼女が急に産気づいたりしたらどうするの?
女医でもあるハナさんは「自分で決めたんだからしょうがないでしょう」と笑っているだけでした。
ヤレヤレ。
3時間近く走って辿り着いたその町と言うのはサバ州の中の3番目ほどの大きさの都市で、国際空港もありハマナスレストランのある町よりもずっと大きいのでした。
街の中心地に入る手前で左折すると目的地の住宅地で木造家屋が立ち並ぶ典型的なバジャウ族の住宅地となり海の近さを感じました。
そこの橋のたもとで待ち、車を持ってきてもらう事にしたのは橋を渡った向こう側の異様な様子に違和感を覚えたからでした。
やがてバジャウ族の男性と女性が車(ヒュンダイ製の1.3リッター)で現れました。
マカピーは全体的なチェックをして車を借りて高速走行が出来る国道を走ることにしました。
戻って来て「すこし加速が弱いけど、まずまずOKだと思うよ」という評価を伝え購入することにました。
ところが、ここでお金を支払っても引き取れない事が分かったのは車検や保険が切れていた事です。
マカピーも免許不携帯で捕まった事のあるJPJ(交通警察)がどこにチェックポイントを設けるか分からない土地柄ですから、捕まったらその場でアウトとなります。
やっぱり買う事を約束して、こちらで手続きを完了した後に再度引き取りに来ることになりました。
実は先ほどの男女は姉弟で車は姉の旦那が乗っていた車でした。
その前に夫が半島マレーシア側の首都クアラルンプールで働いていると聞いていたのです。
ハナさんが「私もバジャウ系サバ人なのよ」という事でいろいろ話をしていると、信頼されて是非家の方に言ってくれと電話でクアラルンプールにいる旦那氏から言われ彼らの車について行くことにしたのです。
マカピーは橋を渡る際に左右の様子が違うのに違和感を覚えました。
上流側は最近公共事業で土手を構築したあとがあり最近家を建てた様子があるのですが、反対の河口側は高床家屋が密集してその床下を濁った流れが洗っている状況だったのです。
なんだかすごく汚い感じがするし、それにこの荒廃した感じは一体どこから来るんだろう?
やがて先導した車が停まり、こちら側に停めろと空き地を指示されたのはモスクの裏手で道路の行き詰まりでした。
さあ、どうぞこちらに。
道路の脇に立つ掘っ立て小屋に近い一軒に案内されました。
中で休んでくれと言われ狭土間の椅子に座ると、近くからコーラなどの飲み物を買って来てくれた先ほどの姉は店先にぶら下がっていた売り物のお菓子もふるまってくれました。
低い天井の梁を見ると木口の小さな丸木で出来ていて、2階屋ながらかなりの安普請である事が分かります。
姉が昨年の大火事でこの地域の家のほとんどが焼失してしまったのだと当時の様子を話してくれました。
すると、ランの妻が思い出したように言いました「あ、そうそう昨年この町で大火災があったってここの事だったのね!」
もともと小さな漁師の集落だったのですが船で逃げられる人、陸路で逃げられる人たちは持ち出せるわずかな家財だけ生き延び、文字通り焼け出されてしまったのだそうです。
その後政府は殆ど何もしてくれないし、姉たちの家も大きかったけど再建する資金がないので、元の住民はこうして小さな家を建て肩を寄せ合って生きているとの事でした。
周辺では割のいい仕事が見つからないので仕方なく彼女の夫は首都へ出稼ぎに行き、家計の足しにするために車も手放すことにしたのだとも。
ああ、そういう事だったんだ!
この街並みの持つ独特の荒んだ感じの理由が分かりました。
なかなか辛い経験には違いないのですが、たくましく生きている人々に出会い勇気をもらいました。
来週にも修理と書類手続き(譲渡)などが終われば戻ってくると約束してマカピー達も小雨の中戻る事にしました。
確かにこの地区を抜けると昔からの大きな木造家屋が立ち並ぶ家並みがありました。
あの焼失した地区もかつてはこんな感じだったんだろうなあ。
大規模火災により一晩で生活基盤を失うってしまうという事がどんなに大変なのか思い知らされるような小旅行となり、そういえばマカピーが今年の1月に出国する前にあった能登の地震被災地の人々も同じ思いをしたのだろうなあって改めて同情するのでした。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。被災地の持つ雰囲気はなんとなく似ていますね。
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