チームの力を引き出す鍵は、リーダーの「手放す勇気」にあった。
もうダメだ。。
もうムリだ。。
つい数日前の深夜2時、東北のとある青少年自然の家の長い長い階段を歩きながら、口からこぼれ出てきた言葉だ。
なかなかこんな典型的な弱音を吐くことはないのだけれど、このときばかりはそれを抑えられなかった。
ちょうど一年前の夏、私は、所属するボランティア団体が企画するイベントの実務リーダーに任命されていた。全国から500名の青少年とその指導者を集め、交流と心の成長を支援するために6日間の合宿を行うという。
一年がかりの大型プロジェクトに不安もあったが、リーダーの一人として青少年の支えになれることへの期待がそれに勝っていた。
仕事との両立を図りながら携わり、素晴らしいメンバーとのミーティングを重ね、日を追うごとに成功するイメージを膨らませていた。
そう、8月の本番を迎えるまでは。
いざ当日を迎えると、初日から自分の計画の穴に、欠陥に、予期しないトラブルに、次々と遭遇した。一難去ってまた一難なんて甘いもんじゃない。
ジャグリングのボールをキャッチできずゴロゴロと落としているのに、どんどんボールが追加されていく感覚。
目の前のわんこ蕎麦を食べ終えていないのに、口を無理矢理こじ開けられて、次の蕎麦をお椀ごと突っ込まれる感じ。
睡眠時間は削られ、心身ともに疲労困憊し、3日目の深夜2時、ついに自分にシロハタをあげた。
もうダメだ。。
もうムリだ。。
部屋まで続く長い階段を登るのを、やめた。
今登ってきたばかりの階段を、トボトボとくだった。
その日はもう、会議室の薄くて硬いイスをつなげて寝ることにした。
惨めな自分にはそんな場所がお似合いだよ、という気持ちからだったのかはあまり覚えていない。
午前2時の会議室。非常口の緑の灯りと、虫の声だけの空間。
確実にホラー映画の一幕になり得る環境。
でも、落胆ぶりが大きくて怖さなんて感じなかった。
イスが薄すぎて、痛くて、何度もゴロゴロと体の向きを変えながら、考えた。考えて、考えて、考えた。何がダメなのか、何がムリなのか。
そして、私に決定的に足りないものに気がついた。
「手放す勇気」だった。
限界ギリギリに追い詰められて初めて、次の3つのことに固執していたことに気がついたのだ。
① 「何でもできるリーダーだと思われたい」というカッコつけ願望
② 「チームメンバーに迷惑をかけたくない」という行き過ぎた遠慮
③ 「リーダーは誰よりも動かなければ」という誤った責任感
① 「何でもできるリーダーだと思われたい」というカッコつけ願望
認めたくはなかったけれど、これがダントツで一番の問題だった。
新しい問題が降ってきたときに、決断を迫られる。決断できないリーダーだと思われたくないので、「OK。ちょっと調整しますね」という言葉でお茶を濁す。
解決できない問題をどんどんふところに溜め込んでしまう。もうパンパンなのに。
② 「チームメンバーに負担をかけたくない」という行き過ぎた遠慮
自分も大変なんだから、それをチームメンバーに押し付けちゃいけない。そう思っていた。
ジャグリングのプロがいるのに。わんこ蕎麦の達人がいるのに。
過度な気遣いで、その人たちの貢献や充実感や達成感を奪ってしまっていた。
③ 「リーダーは先頭に立って動かなければ」という誤った責任感
リーダーは先頭に立って動くべし。それは真実だと思う。
でも、動き方を間違えていた。自分が最前線で獲物と闘おうとしていた。その後ろにいるチームメンバーを、手持ち無沙汰にしていた。
本来先頭に立ってすべきことは、もっと遠くを見て、チームメンバーに方向性を示すこと。自らが狩りをするのではなく、チームメンバーが気持ちよく狩りをできるように支援することだった。
薄暗い会議室の天井をボーッと見つめ、背中に痛みを感じながら自分の不甲斐なさを悔いた。
でも、逃げ出すなんて選択肢はない。嘆いている暇はない。
だから、勇気を出して3つのこだわりを手放すことにした。
手放して空になった手で、山積みになった課題に対して次のことに専念することにした。
課題ごとにチームを作り、チームリーダーを任命する
各チームに明確なゴールを渡す(いつまでに、どのような状態になっているべきか)
具体的なやり方は各チームで自由に検討し決定してもらう
各チームに必要なリソース(人員、道具など)を把握し、速やかに提供する
各チームの様子を全体に随時共有し、バラバラに動いていても一体感を持てるようにする
各チームの貢献に対して、心からの感謝を伝える
気がつくと、暗かった会議室の天井が白みがかっていた。朝だ。
シャワーに打たれながら、手放すと決めたこと、やると決めたことを頭の中でシミュレーションした。
そして朝食後、やると決めたことをやり始めた。勇気を出して。
すると、目の前で奇跡が起き始めた。
私の懐で熟成されまくっていた問題たちが、あれよあれよと解決されていった。
しかもチームメンバーは楽しそうに、嬉しそうにしている。私が奪ってしまっていた機会をやっと手にして、誰かに貢献することの喜びを感じているようにも見えた。
一方で心身ともに余裕が出てきた私は、もっと先を見据えたり、もっと細かい支援に気を回したりできるようになった。
イベントの最終日までその好循環は続き、大成功と感動のうちにフィナーレを迎えることができたのだ。それも一人ではなく、チーム皆んなで。
私の仕事は、研修講師である。リーダーのすべきこと、あるべき姿なんて、日々の研修で腐るほど伝えてきた。知っているはずだった。
でも、「知っている」と「できる」はまるで別のこと。
経験したことのない修羅場に放り出されて初めて、チームが発揮できる力の大きさや自分のリーダーとしてのできてなさ、そしてノビシロに気付かされた。
あの午前2時の会議室で、自分の無意味なこだわりに気付けて良かった。
そして勇気を出してそれを手放すことができて、本当に良かった。
チームが持つ力と、チームだからこそ感じられる喜びを体感することができて、本当に良かった。
これからはさらに確信を持って、そのことを周りに伝えていける。
ゼッタイに伝えていく!!!