銀ちゃんといっしょ 4
介護って…
2年前に母が他界しました
徳島で生まれ育ち
結婚し
東京 沖縄 愛媛 東京 愛媛と
三人の子どもを育てながら引越を繰り返し
その時代の男性としては標準の
頑固親父の夫を見おくり
2年後に認知症を患い
サ高住に入居し一年間を過ごした後
召された母
私自身 自立し家庭を持っているので
母を失った喪失感などは
あまり感じていない冷たい娘だけれど
いまだに繰り返し思うのは
母は幸せだったんだろうか
という事
もちろん結婚前の母を知る事はできないし
今 同じように
三人の子どもの子育てが終盤に向かっている私には
子どもとして見ていた母が
母の全てではない事はわかっているけれど
子どものような笑みを浮かべた母
だだっ子のような物言いをした母
かと思えば
真顔になって的を射た事を口走った母
〝認知症〟というレッテルを貼ったから
認知症になっただけの事かも知れないと思ったり
結局のところは
認知症であろうとなかろうと
別にどうでも良かったのかも知れない
最後の一年をサ高住という名の〝施設〟に入り
それまで縁もゆかりもなかった人たちに囲まれて
四六時中 何かしら面倒をみてもらい
どこに出かけるでもなく
テレビさえも見ることなく
食べて
寝て
少し笑って
食べて
寝て
娘が来て
食べて
寝て
また寝て
82年の最後の一年が
そんなんで良かったのかって
いろんな試みをしている施設
人を人として手厚く最後まで尊重し
みんなが素敵な笑顔で過ごされてる施設
もちろん
表に出されるのはそういう施設だからだけれど
そんな所にいる高齢者を目にすると
なんでうちの母はそこにいないんだろうと
思ってしまう
決して劣悪なサ高住だった訳ではなくても
そう思ってしまう
どんな道を選んでも
結局は〝後悔〟をしてしまう
いつまでも
何を見ても聞いても悔やんでしまう
それが〝介護〟なのかなと思う
母が言った最後の〝まとも〟な台詞
「ごめんよ~!またこの役立たずが迷惑かけてる」
そんな台詞を最後に言わせてしまった私は
それこそ役立たずな娘だったって思っている