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遅ればせながら〝ポテサラ論争〟

〝ポテサラ論争〟というのがあったそうですね
私はさっき知りました

私はTwitterを見ていないし
どれが原文ママなのかわからないので
引用はしませんが
スーパーのお惣菜のポテトサラダを手にした女性に
〝ポテトサラダぐらい作ったら…〟と男性が言った
とか

それを発端に
その男性への批判や
〝手作りの料理について〟とか
〝ポテトサラダが簡単な料理なのかどうか〟等
いろんな面から意見が出て賑わっていたようですね


ポテトサラダに関しては
いつも宅配の食材を利用しているので
その日のメニュー通りに作らなくて
じゃがいもが貯まって来たら作ります

大量にできて翌日持ち越しになったら
ポテサラサンドかコロッケに…
めんどくさいのでめったに作りませんけど

なので
貯まってきたじゃがいも

肉じゃがかポテトサラダか

お肉がないからポテトサラダ

大量にできて余る

サンドイッチかコロッケか

作る元気があるからコロッケ

noterの優まさるさん

というのが私のポテトサラダからのイメージです



手作りの料理は小学生の頃から
まあまあやっていました
お皿洗いが好きでお手伝いをよくしていたからです

手作り至上主義かといえば全くそうではありません

私が何より好きなのは
臨機応変と優先順位でする事を決める…なので


三人の子どもが幼稚園児と赤ちゃん時代に
朝ごはんがほぼ毎日コンビニのおにぎり
という時期がありました


朝の私は大わらわでした

主人はその頃は独身時代の名残で
朝ご飯は食べなかったので手間はかかりませんが
三人の子どもらを起こして事務所に下りるまでに

幼稚園に行くのをぐずる長男
好きな遊びに没頭したい次男
訳のわからん長女

それぞれのう○ち し○こ
それぞれの支度をするだけで精一杯でした
幼稚園のお迎えバスにも間に合わないといけないし

自分自身はかろうじて歯を磨いて着替えるだけで
鏡も見ずに出る事もしょっちゅうでした


そんなにしてまで早く事務所に行っていた理由は
職人たちの朝の顔色を見るためでした

当時二十歳前の職人見習いを数名預かっていました
みんな仕事よりパチンコ屋さんに行きたい子たち
そんな若者数人にちゃんと手に職をつけてあげたい
元気に現場へ行って欲しい
そう思っていたので
朝の挨拶と見送りはちゃんとしようと
決めていたんです


隣がコンビニだったので
子どもたちのおにぎり一個ずつと
職人たちの缶コーヒー一個ずつ
それを買って雑談をして送り出していました

義母や小姑たちが
〝おにぎりの二個や三個作れないのか〟
〝缶コーヒーばっかり買って贅沢な〟
と口々に言っていましたが
無視

定食屋をやっている義母に頼るばかりの彼女らに
言われる筋合いはまるでないと思っていたし
缶コーヒーは現場の人間にとっては
コミュニケーションツールのようなものですから


よく手作り料理の話で

めんつゆを常備しておけば
お素麺をサッとゆがけば良いだけで…とか
野菜をパッパッと切って衣をつけて
油で揚げればたくさん天ぷらができて…とか
おにぎりたくさん作って
後は卵焼きでも焼いておけば…とか言いますが

麺類をゆがくのにどれだけ暑い思いをするのか
〝ちょっとした薬味〟がうまい具合にちょっとずつ
冷蔵庫に残っているのか
揚げ物の前後の油の扱いや後始末の大変さ
みんなが満足する量の卵焼きって
どれだけ卵が必要でどれだけ時間がかかるのか…

もちろんそれぞれ手の抜きようもありますが
根本的にわかっていない人には
言われたくないですよね


ポテサラ論争にもたくさん書かれていました

とにかく他人の家のお金の使い方を
とやかく言うのがおかしいです

例えば私にとっては高級車も貴金属も
お金をつぎ込む対象には全くなりません
でもそれが必要な人は買えば良いんです

牛丼屋さんの朝定食やカフェのモーニング
朝からあれだけのものを揃える手間が嫌だから
お金を出していただくんです
空間や時間も含めてお金を出している訳ですよね


お惣菜を買って悪い訳がないです
後ろめたさがあるのならアレンジすれば良いし



手抜き上等です





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