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どんな人生?

前記事の〝会話しましょう〟という台詞は
冗談のようですが
父が母に本当に言った台詞です
ホワイトカラーで昭和どころか
明治か大正か…という男性だった父
ある業界の技術面で功績を挙げ
早くに出世し管理職となり
退職してからは
ゴルフとお酒以外に遊びを知らず
見下し続けた妻と子とは話すネタもなく
口を開けば
〝メシ!〟〝酒!〟〝コーヒー!〟のみ
ゴルフは退職後3年も経つと誘いもなくなり
スナックへ呑みに行き唄って悪酔い
ただそれだけの毎日でした
そしてある日母の部屋へ行き
〝会話しましょう〟と

そんな父のおかげで何不自由なく
大人になったけれど
お金はなくても子どもたちと本気で遊び
私以上に慕われている主人を見ると
人生って何なんだろうと
思わずにはいられません


この川中さんの記事で
井上陽水の〝人生が二度あれば〟という歌を
思い出しましたが
人生が二度あったら
満足のいく人生を歩めるんでしょうか?
二度目の人生を送りながら
あーもう一度違う人生があれば…と
思い巡らせる気がします

そしてこの歌の一節

〝子どもを育て家族のために年老いた母〟
〝そんな母を見てると人生が
誰のためにあるのかわからない〟

自身の両親の事を描いた詩だとしたら
息子なりの思いやりだし
そうなりたくはないという反発心ですよね

私自身はどんな時のどんな自分も好きです
どれもこれも私の人生の一部です
借金を抱え髪を振り乱して
子育てに奔走していたのも私

やり直す必要があるのか?
なぞって少しずつやり直したら
それはそれでまた〝別の私〟なのかな…と
そんな風に思います

〝会話しましょう〟という台詞は
哀しくて重いです
どんなに密な人間関係を築いて来た人でも
この台詞を言わなければいけないような
状況になり得ると思います

その時その時に小さな満足を重ねながら
生きて行くしかないのかなと思っています

そしてどんな人生でも
一人一人みんな違う
比べたり羨んだり順位をつけたり
ましてや
区別して分類分けするものじゃない
そう思います


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マボ
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