生きるということ
何もかもすべてが嫌になった。
僕には生きる意味があるのだろうか。
あの日僕は一人だけ助かった。僕以外の家族はあの交通事故で死んでしまった。僕は一人だけ生き残った。なんで僕は助かってしまったのだろうか……。
血の繋がった家族は僕にはもういない。お金だけはたくさんあった。僕の心を満たせるものはお金ではないということを僕は知った。どれだけ好きなものを買っても、どれだけ好きなものを食べても僕の心が満たされることはなかった。僕はあの日なんのために生かされたのだろうか。いっそあのまま、あの時に死んでしまえばよかった。こんなにも生きることが苦しいのなら。胸が痛いのなら……。
だけど、時間だけは残酷に進んでいく。僕は自分からその時間を止めることができないまま日々を過ごしていた。常に生きることがつらいという気持ちを抱えながら。僕は何のために生きているのか。ずっと頭の中から離れない
僕は今日も一人公園に座っていた。大学にも行かず、行く意味が分からず、働くこともせず、ただ夜になるのを待っていた。夜になったら何かあるというわけではないけれど、僕は夜になるまで公園のベンチに座っていた。何もする気は起こらない。僕はただ、ベンチに座って空を見上げているだけ。雨の日も晴れの日も。そうしていると、そのうち死ねるんじゃないかと思っていたけれど、人間は案外弱くわないみたいだった。事故では簡単に死んでしまうというのに。何日くらい僕はこうしていただろうか。夜になれば、もちろん家には帰っているけれど、次の日の朝になればまたこうしてベンチに座って空を見上げる。生きる目的がない僕にとってあそれくらいしか、知の繋がった家族がいる空を見上げることくらいしか生きる目的がなかった。いっそ、自殺でもしてしまえば楽になるのかもしれない。だけど、何度も試したけど、どうしても死ねなかった。誰かが、僕にまだ死ぬなと言っているみたいだった。いつも、直前になって僕は死ぬことをやめてしまう。本当は死ぬのが怖いだけかもしれない。この世界に何の未練なんてないというのに。
「どうしたの、そんな顔して」
正面から女性の声が聞えてきた。僕はその声のする方を向いた。そこには一人の女性が立白いワンピースを着た、とても綺麗な女性だった。髪は長く、ワンピースに負けないくらいの肌の色で顔もスタイルもモデル並みだった。
「隣に座ってもいい?」
僕は何も言えなかった。いきなり声をかけられたことにビックリしていたのもあるが、彼女があまりにも美しすぎるので言葉が出なかった。僕は小さく頷いた。彼女は僕の隣に腰を下ろした。
「何か悩み事でもあるの?あなた今、幸せじゃないでしょ?」
どうしてそんなことがわかるのだろうか。僕はそんなに暗い顔をしていただろうか。たしかに僕は今、幸せではないし、悩み事も抱えている。だけど、そのことを人に言われたことは今までなかった。どうして、隣に座っている彼女はそのことを見抜いたのだろうか。
「あなたの悩みを私に聞かせてよ。私は光。あなたは?」
「僕は龍太」
「龍太ね。それで、なにに悩んでいるの?」
生きることが辛いなんて、初対面の人に言えるはずがない。僕は何も言わず、黙っていた。
「言いたくなかったら言わなくてもいいわ。でも、あなたが幸せになるまで私は何度でも、ここに来てあなたと話をするわ。あなたがここにいればだけど」
それは、迷惑だなと僕は思った。かといって、悩みのためを言いたくはない。そんなに簡単に話せるような話ではない。まして、初対面の人に言えるわけはない。
「そっか、言えないよね。こんなどこの馬の骨か分からないようなはじめましての人に。悩みは簡単には打ち明けれないよね」
彼女は少し下を向いた。落ち込んでいるようだった。
「あの、質問してもいいですか。さっき、僕のことを幸せにするって言いましたよね。どういう意味なんですか」
彼女は顔をあげて言った。
「ああ、それね。私の使命なの。私は人を幸せにするために生きているの」
彼女のっていることが理解できなかった。人を幸せにするために生きている。いったいどういうことだろう。
「それって、どういう……」
その言葉の続きを言おうとした時、彼女が言葉を遮った。
「それ以上は聞かないで、何も言えないから」
「そうですか……」
それからは、沈黙が続いた。僕は空を静かに眺めていた。隣に座っている彼女のことなど最初からいなかったように。
「やっぱり、私はあなたを幸せにしたい」
しばらくの沈黙の後、彼女が立ち上がってそう言った。
「明日もここにいる?」
「うん、たぶん」
「そっか、じゃあまた明日来るね」
そう言い残すと彼女は手を振って走り去っていった。
一体何だったのだろうか。彼女は一体何者なのだったのだろうか。今日も僕は夜になるまでベンチで過ごした。夜になるころには彼女のことは頭の中から消えていた。
次の日。僕の日々はそう簡単には変わらない。いつものように公園のベンチに座っていた。
「こんにちは」
聞き覚えのある声が聞えた。
「あなたは」
「どうも、今日も来ちゃいました」
彼女は天使のような笑顔を向けていた。
「えっと……」
「あれ、覚えてないですか?私のこと。悲しいな~」
僕は、記憶を探った。そういえば、昨日、誰かに声をかけられたことを思い出した。
「あ、昨日の人ですか?」
「そうですよ。ひどいな~」
彼女は悲しい表情ではなく、楽しげな表情をしていた。そして、僕の隣に腰を下ろした。
「それで、話す気になりましたか」
彼女は僕にその気がないことが分かっているくせに聞いてきている感じだった。
僕は何も言わなかった。
「やっぱり、そうですよね。悩みを打ち明けるのって勇気がいりますもんね」
そう、僕に足りないのは勇気だけ、自殺するためにも誰かに悩みを打ち明けるのにも違う自分に変わろうと一歩踏み出すためにも。僕にはその勇気がない。だから、僕はいつまでも変われないのだ。
「ねえ、どうしたら勇気が出ると思う?」
「そんなこと分かっててたらとっくに僕は……」
「変わってる?」
「え……」
「勇気を出すのに必要なのは心だよ。強い心。どんなことにも打ち勝てる信念を持ってる心。その心を持ってる人はね。いつも、きらきらと輝いてるよ。心の部分がね。でもね、今の君にはそれがないみたい。だって、全然輝いてないんだもん」
僕は輝いてないのか。僕は自分の心の部分を見た。
「あなたには、見えないよ。見えるのは私だけ」
「そうなんだ」
僕はそのことを特に深く考えなかった。
「昨日のことは覚えてるんだよね」
「はい」
「私があなたを幸せにするってこと」
確かそんなこと言ってた気がする。
「信じてないでしょ」
彼女はぷくっと頬を膨らませた。心の中でうんと頷いた。
「そんことは」
「いいよ。分かってるから。大体、最初はみんなそんな反応だし」
「そうなんですね」
「さて、なにから始めましょうか」
彼女は顎に手を当てて考えるポーズをした。
「ねえ、これからいろいろと質問していくから答えてくれない」
「分かりました」
僕と彼女は向き合った。
「まず一つ。あなたが楽しいと思うことは何ですか?」
楽しいと思うこと。僕が楽しいと思うこと。楽しい。僕はいつからその感覚を失っていただろうか。記憶を遡ってみても、最近楽しいと思った記憶はなかった。
「ないです」
「ないの?一つも?美味しいもの食べるとか、好きなことするとか」
「ないです。最近は何をやっても楽しくなくて」
「そうなんだ」
彼女は僕を心配しているのか少し暗い顔をした。
「じゃあ、 次の質問。あなたの夢は?」
夢か。それもないな。子供の頃なら、多少夢を持っていたかもしれないけれど、もう忘れてしまった。今は、夢なんか持っていない。そんなものを考えることはやめていたから。
「それも、ないですね」
「そうなんだ」
今度は、ビックリしていた。
「ねえ、生きてて楽しい?」
楽しいわけないだろ。そもそも、生きていること自体、もう辛いんだ。彼女は一体、僕に何を言わせたいんだ。だんだんと、怒りが湧いてきた。
「楽しいわけないだろ」
「ごめん」
彼女はうつむいた。
「あ、ごめん……」
僕も下を見た。
「ごめんね。私が無神経なことを聞いたから、だよね」
「すみません。僕の方こそ」
そして、お互いクスっと笑い合った。なんだか少しだけ、心が温かくなった。笑うなんていつぶりだろうか。
「これが最後の質問。幸せになりたい?」
幸せ。僕は幸せになっていいのだろうか。あの日、交通事故で僕だけが生き残ったあの日、僕は自分が幸せになることをやめた。誰が許してくれるというのだろうか、運よく生き残った僕が、僕だけが幸せになることを。僕は空を見上げた。
「僕は、幸せになんてなれないよ」
「どうして?」
「だって、僕は家族を見捨てて自分だけが生き残ったんだぞ。そんな僕に幸せになる権利なんてないんだよ」
「幸せになるのに権利なんていらないんだよ」
「え……」
「幸せになりたいなんて誰でも思うことじゃん。逆にそれを思わないことは凄いことだと
だと思うけどね」
誰でも幸せになりたいか。確かにそうかもな。普通の人間ならそう思うのかもしれない。
「だから、本当はあなたも幸せになってもいいんだよ。誰のためじゃなくて自分のための幸せを見つけなさい」
自分だけの幸せ。
「僕が幸せにあってもいいのかな」
僕は過去のことを彼女に話した。そして、いつの間にか涙を流した。
「そっか、それがあなたの不幸だったんだね」
彼女は何かに納得したように頷いた。
「じゃあさ、これから幸せになっていけばいいじゃん。きっとお空の上にいるあなたの家族もそれを望んでると思うよ」
僕たちは空を見上げた。視線を隣にうつすともう彼女の姿はなった。まるで、空に消えていったみたいだった。
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