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2024/10/15日記_『福田村事件』

『PACHINKO』シーズン2を観終えたて、問題としてつながる『福田村事件』を観た。関東大震災の時に起きたデマによって朝鮮人が虐殺されたのは話はよく知られている。そのなかで誤って日本人が日本人を殺したというのが福田村事件だった。讃岐から千葉県の福田村福田村まで薬の行商に来ていた一行が朝鮮人と誤認されて殺された。これをノンフィクション映画で有名な森田達也監督が撮った。しかも商業映画で、事実をベースにしたフィクションで、著名な俳優がたくさん出ている。こういう類の映画を森さんが監督したのは意外だった。でも噂どおり、エンターテインメント性もあったし人間臭い脚本も個性的な俳優の演技も素晴らしかった。

日本人は朝鮮半島で、朝鮮人を騙して土地を奪ったり、騙して建物に大勢を閉じ込めて銃殺したあげく火をつけて焼き殺したりというエピソードも出てきた。そういう扱いをしながら、朝鮮人からの復讐を警戒し、それによってさらに危険な人々というレッテルを重ねていく。関東大震災ではデマが広まり、そのデマに国もお墨付きを与えていた。

福田村の人たちは主に農業をしながら暮らしていた。女性同士の生活の会話や暮らしぶりだけでなく、艶かしさまで描かれていた。村には元軍人がたくさんいて、引退して久しいにも関わらず軍服を着ており、その誇りを感じさせる。その誇りやアイデンティティは自警団の活動にも積極的させた。

日本人か朝鮮人かだけではなく、社会主義者のアカ狩り、元軍人と軍人未経験者、社会的身分の差別意識を細かく描いている。殺されてしまう行商は穢多でだった。彼らは最後に殺されるからといって善人として描かれない。ハンセン病患者たちを騙して薬を売りつける場面もあった。

事件のきっかけはちょっとしたことから始まって、いざこざに発展し、被害妄想で先走った男が警鐘を鳴らし、村中の騒ぎにしてしまう。自警団をはじめ村中の人たちも集まって、行商人と村人の口論がヒートアップして、たがが外れ殺戮行為に至る。そういう扇動されていった人ばかりではない。村人の一部は、彼らが日本人であることを説明し守ろうとしたし、民主的な村長は確認が取れるまでは留まるように説得した。でも勢いづいた彼らは止まることができなかった。

この映画を観たあと、現在的な意味を考えた。パレスチナについての状況はイスラエルの人は多くの福田村民にも重なる。劇中では新聞というメディアがデマを否定しなかったことが虐殺を後押しした。SNSを通じた情報の拡散は、それが誤りであっても各自がファクトチェックせずに加勢してしまう。行商人が穢多で外部の人間であったことや、日本人が朝鮮人を悪者にしたことは、叩きやすい人を叩いて不満の捌け口にするという現象は今も続いている。

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