2024/08/31日記_ジョン・バージャーの『第七の男』
10月のイベントのことでアーティストさんと打ち合わせをした。どんな絵を描いていただけるか楽しみだな。人と何かやることがあまりないので余計に楽しみ。
Podcast「これって教養ですか」の物語についての回を聴いた。書評家のスケザネさんはエニックスのゲームのシナリオライターで誰でも物語が作れる方法を説明してくれた。その作り方で良い作品というか売れる作品は作られているのかもしれないけど、物語をおもしろく思えない理由がわかった気がした。とくにミステリーが入った物語は楽しめないことが多い。序盤の広がっていく感じは楽しくても、終盤に向かって収束していくが楽しめない。
ジョン・バージャーの『第七の男』を読み終えて、今年読んだ中でも指折りだと思った。
彼は即物的な描写で個人を描き出していた。ひとりひとりが何を考えているか感じているかのような主観的な書き方はせず、そのひとの所持品まわりの物質的な環境との関わりを描いていく。移民の所持している写真を取り上げても、勝手な物語を挟み込まない。その写真には何が誰が写っているのか、その写真をいつもどこにしまっていて、どこで見ているのかを記述する。バージャーはマルクス主義の芸術論をベースにしていて、それはこういう視座なのかと知った。
移民たちがどんな過酷な作業をしているかを淡々と書く。自分が生まれ育った地では食べる分だけ殺してきたのに、移民先の屠殺工場では大量に殺す作業に従事する、どう殺してどう解体するかをを細かく描写する。きれいな街の地下に下水や配線を埋設するためのトンネルを掘る作業では肺に影響を与える粉塵まみれになり、吸い込んではいけない粉塵が肺の中でどうなっていくのか、を記述する。
個人の話の一方で資本主義のシステムを描いてく。移民がなぜ発生して、移民たちはなぜそうするのか、移民先の国の企業にとってはなぜ都合がいいのか、移民のシステムが維持されるのはなぜなのか、先住民の労働者にとって移民がなぜ都合が悪いのか、移民を平等に扱わないということがどんな作用をもたらすのか。
哲学的な問いもある。過去と現在と未来のことが説明される。本来つながりがあって溶け合っているようなもので、自分の現在があるからそれが過去にもなっていきイメージする未来がある。でも囚人や移民たちにとっては自分の現在がない。彼らにとっての過去と未来は、その場にいない自分のそれであって今の自分とは溶け合っていない。
とてもまだまだ読みきれていないし書ききれない。